〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私は引き算による思考が苦手である。来日前の宗において、蘭渓道隆が仙人が住まうが如き景観を背に、洞窟の前で面壁坐禅をしている。陰影を排して7年ほどになるが、ハードルの多さにおいてはこの作品が最難関となるに違いないが、陰影があったら一つのハードルも超えること何出来ないに違いない。〝夜の夢こそまこと“な私は、頭の中にイメージが浮かぶたび、それは無理だ諦めろ、まことを写す写真なるぞ。と私の前に立ちはだかって来たのは陰影だったろう。 かつての日本人は何故陰影を描かなかったのか。確たる説はないようである。光源が一灯の世界と違い、日本には便所にまで神様がいる〝多光源“の国である。冗談でいっていたが、今に至り、私の説はこれとしたい。
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