明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



江東区白河の臨済宗の冝雲寺(ぎうんじ)は太鼓持ちであり絵師でもある英一蝶が島流しから許され逗留したことから一蝶寺と呼ばれる。本日その一蝶寺で『英一蝶と白隠』に参加して来た。興味深い話を聞くことが出来た。禅と美術はやはり面白い。一蝶の『一休和尚酔臥図』を見て同名の作品を作ったし、いつか背中の火焔を濡れないように傍に置いて滝に打たれる『不動図』も作ってみたい。一方の白隠は臨済宗中興の祖といわれ、地元深川に縁があったが、臨済宗に迫真の頂相が残されているので作れているので、白隠にはないと思われ、手掛ける機会はなかった。 芭蕉記念館に収蔵されている芭蕉像を作った時、それは門弟3人が残した肖像画のみを参考に制作したが、全国に数千残されているという芭蕉像は、門弟の作を無視ししていい加減な枯れ木じみた爺イばかりだ、と腹を立てていた。こんな年寄りがあんなスピードで全国歩き回れるかよ、と。その中には与謝蕪村や白隠の芭蕉像も含まれる。芭蕉像制作時、私はすでに芭蕉の没年齢を超えていたので、余計爺い扱いが気に障ったのであった。




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