半僧坊は、当初船のへさきに立たせるつもりだったが、帆柱の先に気が変わっている。ただの帆柱よりへさきの方が船らしいとと考えていたはずだが。 奥山半僧坊大権現のある浜松は方広寺の月例法話の中で和尚が半僧坊登場の様子をに一言「帆の上に」といわれたのが耳に残っていたのだ。嵐なので帆は下ろしているだろう、と帆柱の先にしたのだった。ただの柱の先では、と思ったが、そこに蝉と呼ばれる滑車を着け、ロープをかける。単なる柱には見えないだろう。それに半僧坊は直立させるが帆柱は斜めにし、嵐の海ということにしたい。蘭渓道隆、無学祖元、半僧坊をの袈裟に付いている絡子環(らくすかん)という輪っかを着け、ようやく法衣らしくなった。
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