スケッチの必要がある作品が一つあった。達磨大師である。今までの達磨大師がインド人に見えない、というところから始まった。なので衣はインドのサリーやビルマの水島上等兵っぽくした。面壁九年の坐禅修行のある晩という設定である。『月下達磨図』。本来、作りながら、その表情をこう撮ろうと、それを基本に全てが決まるのだが、月と崖、その背景に月を配すのだが、その月に、少林寺の多重塔がシルエットになっている設定にした。そうなると、適当な上空にポッカリ、月百姿破窓月という訳には行かず、低い位置になる。カメラの視点と月の間に達磨大師。どの角度で達磨を撮るか。それが決まらないと、どんな崖を作るか決められない。ヘソ下三寸の私は思い付くだけで、あとは良きに計らえと丸投げである。 月岡芳年に『月百姿 破窓月』という作品がある。私はインド人風にしたが、達磨は一説にはペルシャの血が入って青い目だったともいう。芳年の達磨は目こそ瞑っているがほとんど西洋人で〝爺ィやりやがったな“と思う。
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