明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



当初の目標が一休禅師のカットで達したので、部屋の片付けとギターの修理。   中学生の時、親戚の納屋に打ち捨てられていたのをもらって来た60年代の国産ビザールギターで、愛着が拭えず、同じ機種を再び入手し使っている。YouTubeで目にするB、C級ブルースマンやアフリカのミュージシャンが手にするかつての日本製安ギターが実に格好良く見える。音もまた個性的である。 一番好きなことを仕事にし、2番目を趣味とする。別のいい方をすれば、長時間やっていて苦にならないことを仕事にし、2番目を趣味とする。ギターは30分も弾いていればやることはなくなる。おかげで不可解で奇妙なくらい上達しないままである。もう一つ加えるなら、思い通りに行かず途中挫折に終わろうと、まったく苦にならないことを趣味にするのが良い。



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新作の一休は陰影があるが、それは『半僧坊荒海祈祷図』以来である。半僧坊は、東シナ海に轟く雷鳴を表現したかったし、何より人間ではない。これは旅に出たり手術をする友人に、ご利益があるからと勧め、私も待ち受けにしている。 人間では一休が久しぶりであるが、そんなきっかけにも一休が貢献してくれると考えている。男の種々相を描くために手法の選択を広げておきたいという思いもあるか。特に和尚の顔は凹凸に富み陰影による演出のしがいがあるし、今から〝房事“での灯を想定して、といえなくもない。行燈のあかりを当てる当てないで悩んだ『ゲンセンカンの女』を思い出す。房事を描いて品を保つためには主役をなかなか見せずに恐怖を演出したジョーズ方式が適切ではないか、と今は考えているのだが。



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