明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今月に入って〝一休はモチーフとして今までの誰とも違うところがあり、いずれ何かをもたらすだろう。私の勘がそういっている“と書いたばかりである。問われるけれど受け入れる。とでもいえば良いのか。そう思いながら一休に陰影を与えた。 写真に浮世絵やかつての日本画の自由を取り入れるため陰影を排除し〝石塚式ピクトリアリズム“私の大リーグボール3号だ。などといっていた。確かに自由を得た。特に構図に関してはやりたい放題といって良い。しかし現在のモチーフ、鎌倉や室町時代の人物にとって陰影がないのが当たり前である。ならばむしろこれら仏教美術の中の人々に,逆に陰影を与えるべきではないのか?と一級和尚がいうのである。この期に及んで何を。と一日何も手に付かず。
 
 
 

 



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