明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日届いた京都国立博物館編『日本の肖像』(中央公論社)には目次に日本肖像画の諸問題そのニ(頂相)があったので、これを読むのを楽しみにしていた。しかし冒頭のある禅師の著した『禅林象器箋』の頂相の項にあるという〝祖師の姿顔は本来形の上で表せるようなものではなく無相である“  この一文を目にし、これはマズイ!すぐ閉じた。 検索すると『無相とは仏教における用語の一つで、形や特徴がないこと。対義語は有相(うそう)』とあった。人物の形や特徴にひたすらこだわって来た私には、まさに禅問答に等しい。 リアリズムを謳った、見せ物に供された生き人形職人の作った作品には、どこか木を見て森を見ず的な所が感じられるが、少なくとも私は頂相彫刻に感じたことがない。その理由が〝形の上で表せるようなものではなく無相である“に在るのではないか。 頂相彫刻が、人像表現の究極と思うに至った私は、いきなり目にした〝極意“に思わず頁を閉じてしまったのだろう。



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