明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小四で知った一休の“門松は~目出度くはなし”の影響だったろう、年寄りが笑ったり買い物カゴぶら下げて歩いているのが、もうすぐ死んじゃうのに平気でいるのが奇妙に見えた。中一の時だった。母方の祖父が亡くなり、学校に連絡が来て帰宅した。数日前にもう長くないというので顔は見ていたが、祖父の家で祖父が寝かされていた。死体を見たのは幼い頃以来であった。割烹着姿の近所の方々が忙しそうにしており、私など邪魔なので別棟の叔母の家に行っていろ、と。明るい午後であったが、日本テレビ系で『性教育を考える』という番組でスエーデン制作の性教育番組が放映されることを私は知っていた。美術のデッサンのシーンで男女の裸体がボカシなく映され、何よりハイライトは出産シーンであった。つまり一日で人間の出産から骨になるまでを目撃することとなった。 その晩の寝床、障子の向こうでは両親が話している。掛け布団や見上げる天井、何だか空々しい。私もここに確かに在るのだろうが、それは本当のことなのか?いいようのない感覚に襲われた。授業中はもっぱら江戸川乱歩と谷崎潤一郎を読み耽り、三島の自決も起こる。70年代の始まりの頃の話である。



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