最近、どうも偏った話ばかりであるが、ひとえに一休和尚が原因である。制作中に初めて入院し、よくある手術ではあるものの心臓の手術をすることになり、思いの外平静でいられたのは、長年変化を続け、先週にさえ戻りたくないくらいを心掛けて来たおかげであり、なぜそうして来たかというと、一休の門松は〜のせいだった、という、なんとも奇縁としかいえないものを感じている。そして昔入手し、既読だったものの、まさか一休を作ることになるとも思わず処分してしまった『狂雲集』を再読している。小四の時に読んだ『一休禅師』に始まり、まさに締めとなるものであり、〝どうするどうする“との掛け声がやかましく聞こえてならないのである。