来週、風邪か治っていれば、一休宗純の背景を撮りに行くことにする。雲水姿の一休は、竹竿にシャレコウベと朱鞘の大太刀を持ち替えたり、あるいは何も持たず。この今後、一休作品の基本となるだろう。まさに小四で読んだ『一休禅師』のイメージである。この一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし“が、実はあれもこれも作れば良かった、と死の床で後悔に苦しむことを恐れ続けた原因だったとは。小四で和尚に生きれば生きるほど冥土が近くなることを教えられてしまった訳である。しかしその対抗策に、一日も後戻りしたくないよう変化を続け、やって来た。結果的にこれで良かった。しかしそうと判ればこの一休和尚はただでは済まされない。今後大いに働いてもらわない訳には行かない。