達磨大師をベランダで乾燥。5日で出来てしまったが、旧来通りの達磨大師に、と珍しく殊勝なことを考えていたはずが、よっぽど珍しい物になってしまった。天竺となると遠い。見たことがないインド人を、中国人の描いた物を鵜呑みにしたとしても仕方がないが、作るとなると、サーベル咥えて乱入して来るインド人を散々観て、先週もインド人のカレー屋に行った私としては我慢ができなかった。江東区で、良くチラシを持って呼び込みをしているインド人がいるが、そこに入ろうとすると、目が合っているのに、入れないように立ちはだかっているかのように、寸前まで立っていることが2店舗続いた。なんだよインド人?以来店の前に立っている店は避ける。 雲水姿の一休宗純飲をようやく仕上げに入る。洞窟の入り口に座る達磨大師。背景に大きな満月。少林寺の塔がシルエットとなり、という画が浮かんだ。前回『慧可断臂図』で巌窟の制作は経験済みである。インド人の達磨大師を作ってしまうと、いまさらしおらしく実景の巌窟など使うこともないだろう。という気がする。こんなことが積み重なり、またあらぬ方向に向かって行くのであろう。それで良いのだ。
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