明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今月中に撮影を開始することが出来そうである。被写体である人形の制作体数の割に時間がかかったが、それは何より、肖像画である頂相、あるいは頂相彫刻が、それ自体が師、また師の教えそのものである、として作られて来たことに対する重さによる。人形や彫刻などの人像表現の究極である、という思いを改めて強く持った。 鍵っ子だった私は、当時の百科事典ブームのおかげて中井英夫が編纂の百科事典の、別巻の日本の美術のなかの頂相や頂相彫刻のリアルさに飽きずに眺めたのは、幼い私にも何か感じる物があったのは間違いがない。何故ならギリシャ彫刻などでは、見向きもせず。しいていうならシュールレアリズム絵画に、世に生まれ出でて間がないクセに、明らかに郷愁としかいいようのない物を感じたことだろうか。 半ズボンで畳に腹ばいで眺めた頂相彫刻あの時の私を思い出すと、様々な局面で、その度選択してここまで来たつもりでいるが、果たしてそうなのか?と思わないでもない。

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