明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝ドラカムカムエブリバデイの劇中でおしんをやっていた。2回目の個展の時だったろう。おしんの前の森本毅郎のニュースワイドで、個展の告知をしてくれた。相当数観られたろう。 あの頃は、ジャズ、ブルースシリーズで、一部を除き架空の人物であったが、40周年を前に、再び架空の人物に戻って来た。まさに思えば遠くに来たもんだである。一回目の個展は、あらかじめ作ってあった作品もあったが、翌年の2回目はプレッシャーで全く作れなくなり。キャンセルしようとギャラリーに向かったくらいであったが、一年禁酒して臨んだ。 テレビで酒場のシーンが出てこようと平気であったが、ただ一人、金原亭馬生の落語だけは別で、だんだん酒が回ってくる馬生に耐えられず顔を観るとすぐにチャンネルを換えた。まさか後に父親の志ん生を作ることになるとは思わなかった。禁酒明けの最初の日本酒で、人生で最初で最後となった二日酔いをした。 あの頃は独学、無手勝流に苦しんだが、今では、頭に浮かんだ程度の物は形になる。眼高手低という言葉があるが、眼と手が同程度が理想と考え、入った物は出て行かない、と必要でない技術、知識は身に付けないよう心がけた。周りを見ずに、頑なに自分イメージだけにこだわってきた。結果、良いか悪いかはともかく、独学、無手勝流でないと至らないであろう、寒山と拾得になったのではないか。明日は髪を貼り付けよう。



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