明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

  


早朝、窓から飛び込んできた小鳥でない、鳥の羽ばたきで目が覚める。とっさにカラスだと思った。ポーとカラスは縁がある。作品としての『大鴉』はもとより、神経衰弱ポーの耳には、付きまとうかのように、カラスの声が聴こえていたという。さらに最近、夜中にカラスの鳴く声が頻繁にしていた。ポーの顔を作りながら聴くその鳴声は、少なくとも祝福されている気はしない。慌てて顔を上げると、飛び込んで来たのは2羽の鳩であった。こちらも驚いたが、私の存在にパニック状態の2羽の羽音確かにカラス一羽分の効果はある。幸い慌てふためきながら出ていった。 2時に喫茶店でもと東京創元社の戸川安宣さんにお会いした。私が最初に江戸川乱歩で仕事を頂いたのは98年であった。それまでカメラマンに撮影してもらったり、手持ちの写真を使ってもらうことはあったが、デザイナーや編集者の前で自ら撮影という経験はなく、上手くいかなかったら、別のカメラマンに撮影してもらうようお願いする有様であった。99年には、まだ御家族がお住まいの乱歩邸での記念すべき撮影であった。しかし、むしろ私にとって重要だったのはこちらである。手元にある人形を使って、という依頼であったが、荷風ファンの紀田順一郎先生のご希望で一点は荷風を使ったが、著作を読んで、自分でイメージして画を考え人形を作る、というのを一度やってみたかったので、無理をいってやらせていただいた。後につながる作品である。いずれもパソコンに触ったこともない頃の手持ち撮影である。一点には背景に戸川さんが写っている。 K本の常連席で酩酊状態の常連にポーの首を見せるのも良いが、やはりこの人物がどういう作家なのか熟知した人に見てもらいたい。そう考えれば、まっさきに浮かぶのは戸川さんである。戸川さんにはポーの縫ぐるみを持参していただいた。もう一つは電池が切れているそうだが、小さな箱に入ったカラスが有名な台詞を喋るという『大鴉』はリアルでこれは欲しい。今後の構想を聞いていただいた。 常連席の方々に聞いてもらうのももちろん良いが、酒の場で、興味がないことを延々と聞かされるとどういう心持になるものか、私は熟知しているので、この男の上から刃がついた大きな振り子が徐々に降りてきて、等々、そこまでは話す機会はないのであった。

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普段は必要なリアル感さえあれば良く、実写に見えるように、というつもりはまったくないので粘土感丸出しで作っている。最初に人形とともに写真を展示した個展で、それは実在したジャズやブルースミュージシャンを作って撮影した作品が主であった。被写体とともに写真を展示しているのに、ある雑誌の編集者が、写真を実写だと思い込んだ。どこを見ている、という話だが、私は一挙に醒めてしまった。私が作ったのに。 例えば十字路で悪魔と契約したという伝説のミュージシャンが十字路で悪魔を待っている場面こそ創作の余地があったが、ジャズマンの実写など腐るほど存在している。それをわざわざ粘土で作り、“模倣”してどうする。そもそも楽器を作ること等にウンザリしていた七年ぶりの個展であったが。この個展が、このシリーズの最後となってしまった。撮影期間はたったの二ヶ月であった。 大分後に、『中央公論アダージョ』の表紙を4年担当した間に、一度だけ遊びで、どれだけリアルにできるかやってみたのが古今亭志ん生である。案の定、人形制作者だと紹介されて、それを手渡された人は、私がいったい何を担当したのか解らず黙ってしまうのであった。 ただいま制作中のエドガー・アラン・ポーの頭部は、粘土のがさがさした感じを消して作ってみた。これは後にオイルプリント化してみようと思っており、考えるところもありそうしてみた。だいたいポーを実写だと思うようなら、それはもはや見る側の問題であろう。 先日ポーの頭部を見せた知人は、どうも話がかみ合わないと思ったら、それを江戸川乱歩だと思い込んでいた。私の一冊目の江戸川乱歩を主役にした『乱歩 夜の夢こそまこと』を持っていてくれているはずなのだが。なかなか思いを伝えるというのは難しいものである。いやこれは、興味がないのに知り合いということで買ってくれる知人は有難い。という話であろう

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エドガー・アラン・ポーを画像検索してみると、イラストレーション、レリーフ、彫像等々、正像、左右逆像ほぼ半々という感じで、実に無頓着に作られ続けている。ポーの顔はかなり歪んでいるので左右対称とは程遠く、そもそも真ん中にある鼻自体が曲がっているのだから、左右逆像では大分人相が違ってしまうのである。あっち向いたりこっち向いたり、こんな人物は始めてである。 日本の着物のあわせというのは、時代によって左右変ったことがあったそうだが、洋服にそういった歴史がないのであれば、ポーの有名な写真はボタンが逆についていることから左右逆像の裏焼きということになる。混乱の原因はコピーライトの文字が正像であることであろう。 それにしても松尾芭蕉を制作した時に、生前、面識のある弟子達が描いた肖像画が残っているのにかかわらず、まったく無視され、そこらに転がっている適当な老人をモデルにしたかのような像が作られ続けているのに呆れて以来のことかもしれない。

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