明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



 30年通う行きつけの居酒屋『河本』は依然として休業状態で、わずかな超常連が様子を見に覗いているが、女将さんは寒いこともあり、たまに挨拶程度に顔を出すくらいでほとんど寝ている。暖かくなったら、と望みを抱いているのだが、はたして。その超常連にこのところ災難が続いている。昨年酔って自転車で転んで左肩を折った男が発端であった。すでに山で片脚ずつ計2回骨折し、ヘリコプターの世話にもなっている。ほとんど完治したと思われた先日。今度は別の人がつまづいて鼻骨を折って手術をした。と思ったら3人目。今度は自転車で一回転して肘を骨折という知らせ。3度あることは4度なければ良いのだが。一時当ブログの常連だった60過ぎの酔っぱらいがいて、朝っぱらから血を滴らせながら歩いていたり、鎖骨折ったり、救急車に乗せたりしていたのであまり驚かないが。 三島由起夫をロクロ台から切りはずし仕上げが進んだ。首の角度を修正。すでに自立している。後は細かな仕上げ、着彩の後、唐獅子牡丹を描いてもらうため「彫S』にゆだねるだけである。 背後の4人が持つ番傘をヤフオクにて落札。撮影用なので小穴が開いていてもかまわない。どこで調達すれば良いのか、というものが居ながらにして入手できるので助かる。太鼓(壊れていて鳴らない)日本髪のカツラその他、ずいぶん利用した。高倉健と池辺良の道行きの『昭和残侠伝』のイメージなので番傘は必要である。樋口一葉に持たせた番傘。粘土で作ったいい加減なもので、拡大にはどうかと思っていたのでこの際、本物と差し替えよう。

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九段下の法務局でひとしきりイライラした後、『深川江戸資料館』にデータを持って向かう。個展会場のレクホールは、催事に使われる他に、ダンスの練習などにも使われる場所である。その分広いし天井も高いが、画廊と違って普通に展示すると、どうしても学園祭や絵画教室の発表会調になりがちである。今回田村写真の田村さんの提案で、大きなプリントを展示できないか、と考えているが、場所が広いこともあるが、絵画教室対策のためにも良いのではないか。テスト用のデータは宮澤賢治を選んでみた。短辺が150センチとすると縦は2メートルを軽く超える。画として広々としており良いと思ったが、その分賢治が小さく、人形を人間大、もしくはそれ以上にする目的にはちょっと足らない。質屋の暖簾くぐった樋口一葉を拡大して、はたして面白いのだろうか等。作品が拡大に向いているのか考えないとならないだろう。 法務局などという野暮臭いところから戻るとアルコール消毒でもしないと、とても我に返れないのであった。

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刺青  


三島由紀夫仕上げに入る。背後に控える4人組は撮影済みであるから残すところはあとは背中の『唐獅子牡丹』である。『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』では構想はあったが時間もなく、刺青の質感をどうするべきか浮かばず断念した。そこで今回は知りあいの女刺青師『彫S』に相談した。彫Sは背中一杯の唐獅子牡丹はやったことがないので1彫Sの知り合いの作品唐獅子牡丹を合成で写す。2誰かの背中に描いてもらったものを合成で写す。3私が人形の三島の背中に描く。当初行程は面倒だが2で行こうと考えていた。しかし人形を作り進めるにつれ欲が出て来る。様々な角度から撮りたくなって来た。そうすると1や2では1カット作るのが精一杯となるだろう。ならばリアルな質感は望むべくもないが、3なら様々な角度で撮影ができる。 彫Sに現在の状態の画像を送ると、彫S自身が描いてみたい。との返事。贅沢な話になってきた。

彫S作


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三島はビルドアップされた身体を作ったが、目撃談によると元々華奢な骨格の上につけた筋肉は威圧感はなく、バランスも悪かったという。そのせいか着痩せする。よってすぐ裸になりたがる。でかい石原慎太郎との対談でも裸になって比べよう。とムキになっている。 三島が気にしていたのは脚の細さである。それを指摘されると顔色が変わった。(蟹を見ても変わった)自衛隊の体験入隊でも腕立てや懸垂は若い隊員にひけを取らないが、走りとなるとついていけない。そのせいであろう。撮影した写真家は上半身だけを撮ったり、下からあおって脚の細さをカバーしているように見える。その点週刊誌の取材写真だとそこまでは考慮されていないのであからさまである。 本人がミスター腹筋だ、と自負していた腹筋は、切腹に憧れた三島であるから特にこだわりがあるのだろう。せっかく作ったが、サラシを巻いて隠してしまった。サラシは昔は下着代わりだったそうだし、浴衣でもないかぎり裸の上に着物はおかしいだろう。特に出入りの時は刀から腹部を守る意味合いもあったようである。本当の事はどうでも良い、という私ではあるがイメージが高倉健『昭和残侠伝』の唐獅子牡丹であるから“断腸”の思いでサラシを巻いた。

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