明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


相変わらず寝ながらまだ何か作っている。ただ次第にリアルさが減退して、何だか判らなくなって来ている。 この個展が人生上の最突端として、以降のことは考えないで来た。長いスパンの目標を立てない。これが途中挫折を避けるため最善の策だと気が付いたからである。考えないようにして来たから何もないが、寒山拾得と、絵画でしか肖像が残されていない実在した人物、あとは千年単位で水墨画などで描き継がれて来た、道釈人物画のモチーフ。このラインナップのバランスは行き当たりばったりの割に良い気がする。寒山拾得が、床の間の掛け軸でお馴染みのアイテムだった時代ならともかく、意味不明にケラケラ笑っている唐子のような二人組だけでは、難しかった。 来廊者の方の中には座禅をやっていて、ついこの間『慧可断臂図』について話を聴いたばかりだ、という方もいた。達磨大師は、実は複数の人物が合成された人物像だという説があるとも伺った。臨済禅を日本に広めた栄西はよく知られているのに、中国の開祖義玄は検索しても情報があまりにも乏しい。詳しい方との出会いを待ちたい。 明日月曜は休廊日である。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)

10月23日(日)ギャラリートーク東雅夫さん



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大谷翔平の活躍は、ご多分に漏れず毎日の楽しみであった。人の行いによって励まされる、ということは全く理解できないが。私は密かに、幼い頃から一つのことに取り憑かれ続けている男として見ている。デッドボール、自打球もファーストに行く頃には笑っているし、その異常な回復力。私の場合は紆余曲折が長く、独学で、ようやく晩年に至り、頭に浮かんだ程度の物なら作品化できるようになったレベルだが。しかし良くその状況で笑っていられるといわれる。数々のデッドボールや特に酷い自打球で何故笑っていられるのか?好きなことに取り憑かれていると、何か物資が溢れ出ているのは間違いがない。それを幸せなのかどうかは異論もあるだろう。その多幸感は湧き出る物資のせいで、必ずしも現実ではない、と。さらに拍車をかけるのが〝現実は夢夜の夢こそまこと”気質である。あんたはどうも好きなことだけやって、パッタリ死ぬ気でいるようだが、実際はそうは行かないのだ、とも。 それはともかく。本日も個展会場にて、頭に浮かんだイメージは夢ではなく本当に在ったな。と。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)

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着いた時には帰る所だったので、ちょっとしか話せなかったが小学1年から3年までの同級生がご主人と来てくれた。今回のモチーフは小学生に色々な意味で戻ったような心持ちが常にしていたが。私がよく絵を描いていたのは彼女も覚えているようである。人物伝の類を読み漁り、カタチに関しては、力道山の頃からプロレスを見ていて、すでに筋肉を描いていた。基礎的な要素は、あの時点でほとんど出揃っていたが、同時に子供の絵じゃない、といわれ、学校では学ばず独学者の道を行く遠因も、すでに起きていた。 しかし自分のことは自分で判っていると思い込み、陶芸家を目指したり、〝感じるより考えた”ジタバタした時代を長らく過ごし、その結果の悪さに馬鹿じゃなければ誰だって気付く。自分をただのダウジングロッドとする用法を覚え、行き当たりばったり。その挙げ句の最突端の結果である。最後の作品で、午後アメ横で鯉を入手し、腹中の鯉コクが消化する前に鯉に乗る仙人を完成させたが、アメ横に行く前ともすでに何かが変わっている。 土日は在廊予定です。

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水中の色をどうしようか、考えながら目が覚める。マウスを手にしていないだけで、実際の作業と同じように考えている。   一夜開けて会場に行ってみると、まる2年かけて〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ”という作者のモットーが、達成、炸裂しているように見えた。それはともかく、私の人生上の最突端であることは間違いがない。 現代忘れ去られた世界ではあるが、描き継がれてきたモチーフは、場合によって千年単位で練りに練られたモチーフである。シリーズ最初の個展は、後に繋がる要素がすでに現れているものだが、寒山拾得から数点、絵画しか残されていない実在した人物を何人か。あとは前述の道釈人物画のモチーフ中から大半を選ぶ。良いバランスな気がする。仙人の住うような風景はもう恐れることはないだろう。帰り際、たまたま伊島薫さんに観ていただいた。

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搬入  


例によって展示の飾り付けは任せっぱなし。初個展以来40年自分でやったことがない。重度の方向音痴と無関係とは思えないが、手の届く範囲しか責任を持てない。せいぜい仙人は仙人同志並べるくらいしかアイデアはない。学生時代も見せ方をもっと考えろといわれていた。私がうろちょろしても邪魔なだけであろう。 縦長の掛け軸調の3枚のプリントがなかなか良く、今後、これだけで個展を開いても良いくらいである。元々縦位置好きで、横位置はほとんど撮らない。 さらに『虎渓三笑図』『四睡図』『蝦蟇鉄拐図』『初鴉』(一休宗純)ふげん社で大伸ばし。特に縦長の一休は縦2メートルある。なかなか良く、これだけで個展を開いても良いくらいである。今回は制作体数も多く、例によって写らないところは冷酷なくらい作っていない。なので展示出来るような物ではないのだが、それでも何かあった方が良いという声もあり。撮影用の部品を参考程度のつもりでテーブルの上にバラバラと置いておくことにする。

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中国発の初期肖像画、どういうふうに描かれて来て、日本に伝わって来たのか。日本においても高僧の姿を残して来た。禅宗でも臨済宗が特に熱心である。 輪郭線はともかく、微妙な濃淡による立体感の表現が巧みである。それまで平面的な光を与えることで、光の方向性を消すことにより、状況設定が自由になり、画面に配置放題が面白かったが、冷静になってみると、平面的な光線の中にある濃淡による立体感。これが肝心だ、と思うようになった。最初に試みた三遊亭圓朝と今回の一休和尚、共に横目でこちらを見ているが、違いが現れている。これでようやく私が作った人形をもってやるべき撮影方が決まった。なので、ピクトリアリズム、絵画主義写真の看板を下ろすことにした。微妙なことをしてはいるのだが、にも関わらず、どう制作したのかは、一度も質問されたことはない。    廃れた技法オイルプリントで思い知った。誰もやらないことをやるのは、同時に出自、成分が判らないと、目に明かりが灯らない来廊者がトラウマとなる。今回は誰もやらないが、出自成分が明らかで不思議はない。なによりである。

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寝ながらまだ作り続けているのは岩窟に住む寒山である。夢の中では、全くリアルに制作している。だけどもう額装も終わってるしなあ。と本気で悩みながら目が覚め、それが7、8秒続く。個展の前はいつもこうである。 今になると、作家シリーズからの転向は良いタイミングだった気がする。2年間はクリニックをサボらず、交通事故にも気をつけよう、と書いたのを覚えているが、年齢と共に何が起きるか判らない。中途挫折の確率を減らすには、長いスパンの目標を立てるべきではない。それに気が付いてからは、死の床で〝あれも作りたかった、これも作ればよかった、と悶え苦しむに決まっている、とずっと恐れていたことが解消した。今のうちなら2年ならなんとかなる。 今回難航すると思われた仙人が住うような岩山、山水風景の制作方が見つかり、夢の中で、成仏せずに彷徨う幽霊のようにまだ作っている。 成仏するには個展の初日を迎える必要がある。

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寒山拾得を手掛けるようになり、すでに寒山拾得を描いている横尾忠則さんの言葉がそのまま沁みるのだが、本日もネットで運命について『人生の一切はあらかじめ決定されている」のだったら、その人生に抵抗しないで、身にめぐってくるあらゆる事象を受け入れるのが一番いいということになる。つまりこれこそが自然体ではないのか、ということになる。』 子供という物は夢と現実の区別がない。なので幼い私は頭の中に浮かんだイメージはどこへ消えてしまうのか、と不思議だった。そう思うと生まれて以来、乱歩のいう『現世は夢夜の夢こそまこと』だった。  いち早く、その危険を察した母は、私の〝夜の夢こそまこと”はどうも治らない。ならばせめて、世間に気取られないようバレないようにせよ。と私に伝えたのではないか?しかしここに至ればもう良いだろう。という訳で夢の中ではまだ制作を続けているが。13日より。

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陰影を無くすことにより、日本画調になるので、日本画調ビクトリアリズム、といっていたが、その看板は下ろすことにした。 陰影がないことにより、構図、状況設定が自由になったことと同じくらい大事なのは、私が画家でも絵師でもなく、自ら作った立体を被写体にしている、ということである。今回あまり律儀に光を当てず、手ごころを加えた。陰影がないことによる構図や状況設定の自由さと、被写体が立体という特徴の、両方を生かそうと考えた。さらに、以前から用いてはいたが、モニター上におけるコピーアンドぺーストによる2度目の粘土調造形が拍車をかけた。 以前よりリアルになったといわれるが、それでなお鯉に乗って空を飛んでいる。江戸川乱歩言うところの〝夜の夢こそまこと”にまた一歩近づいた気がする。

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アントニオ猪木が良く口にした詩〝道”だが、何故か一休宗純作だと思い込んでいたようである。一休が生きたのは室町時代である。現代語訳だとしても妙だと思っていたら現代の作のようである。猪木は力道山だったらどうしただろう?と常に想定していたのではないか、と思うほど力道山の影響を受けているが、オリジナリティの塊のような猪木ならば自作の詩で行くべきだったろう。 一休は晩年、77で出会った森女という盲目の琵琶師と同棲し80で大徳寺の住職となる。一休と森女が同一画面に描かれ、一休自身が賛を書いている作品がある。これは森女の実像を伝えている、と判断して良いだろう。こんなところから、それならあれが創作出来る。と考えるのが私の実在者をモチーフにした場合の一つのパターンだが、今回架空の人物を作る面白さを思い出してしまったことと。小学四年で頭に浮かべた竹竿に骸骨の一休『初鴉』と、骸骨を枕に酔い潰れる『一休和尚酔臥図』の2作品、これ以上の一休は作れないだろうと思われ、一休で個展をなどとは考えない。 出品作を完成した翌日、やるものがあるならまだやりたいくらいだが、スタミナ切れで寝床でダラダラと書く

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今回手がけているモチーフは、ほとんどが水墨画として目にする。琴高仙人の乗る鯉は〝赤鯉”ということになっている。現在の緋鯉のようなものではなく、赤黒い、そんなイメージにしてみた。問題は水の表現で、静かに水面を進むのか、イメージではザバッと水しぶきを上げて、という感じだが、いずれも中途半端である。そこで空中を飛んでいることにした。というわけで、腹中の鯉が消化する前に完成した。田村写真へデータを送信。二年かけて15点。そのほとんどが被写体作りであった。実在した人物による作家シリーズしかご存知ない方には、どのように見えるだろうか。

【出品作】『寒山拾得図』『豊干禅師 阿弥陀如来図』『寒山 文殊菩薩図』『拾得 普賢菩薩図』『蝦蟇仙人図』『鉄拐仙人図』『琴高仙人図』『臨済義玄』×2『布袋尊図『初鴉』(一休禅師)門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし『一休和尚酔臥図』世の中は食うてかせいで寝て起きてさてその後は死ぬるばかりぞ『虎渓三笑図』×2『四睡図『慧可断臂図』

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アメ横で生簀の活き鯉を買う。食べる前に撮影する旨を伝え、死後硬直のことを質問し、結局その場で締めてもらう。氷も入れずただビニール袋へ。鯉のことばかり考えていたので、美味そうな酒場に一杯ひっかけてから鯉を買うべきであった。かつてタコを撮影しているうちにウンザリしてしまったことがあるが、あの時もすぐ刺身で食ってなんて思っていたが、茹でて冷凍し、それでもすぐには食べなかった。タコの目というのがまた凶悪というか恨みがましいというか。鯉の目がまた独特である。とにかく以来、ぐずぐず撮っていで良いことはない。さっさと撮って捌いて鯉コク。買うときに鱗を取るべきか聞くと、昔はそのまま今は取る、とのことだったのでこれも経験、つけたまま。海の魚と違って柔らかい。 昨日『虎渓三笑図』を完成させたのに、教訓が無駄になる。モニターに向かっていて忘れる。幸い今のガス台はコゲつく前に止まってくれる。小骨には閉口するが鯉コク肴に飲みながら最後の作品『琴高仙人』。私はいったい何をしている?とお馴染みの快感物質溢れる。仙人を鯉に跨らせた時点で寝る。

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最後に滝を制作し『虎渓三笑図』2カット完成。用いたのは予定外の奇手ばかりであったが、方法はどうあれ、イメージ通りの物が出来ればそれで良い。そして次回からはその奇手が奇手でなくなり、私のレギュラーの手法となり、そんなことがきっかけで、行先に微妙な変化を生み、気が付いたら予定と違う所に立っている。ずっとその繰り返しである。 子供の頃、世界の紀行文、探検譚を読んで頭の中にイメージしたあんな世界が、実際ある訳がない。出かけて行ったところでガッカリするに決まっている。寺山修司もいう〝どんな鳥も想像力より高くは飛べないだろう” という訳で、残るは鯉に乗る『琴高仙人』一カットとなった。 考えてみると『蝦蟇仙人』のガマ蛙『四睡図』の虎など生き物に苦労させられた。最後が鯉で、自分で釣った海の魚と違ってどうも抵抗がある。さらには行きがかり上腹中に納め成仏させなければならない。YouTubeで見ると、胆嚢だろうか苦玉という物を潰したら、食えるものではなくなるらしい。四十周年記念展、最後の難関である。〝考えるな感じろ”も場合によることを私も多少覚えなければならない。

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陽が出たり曇ったり。陰影が出ないように曇天がベストだが、我慢が出来ず。石橋を撮りに行く。スックと屹立するスマトラ虎を見事倒した私である。こうなったらドピーカンだろうと曇らせてみせよう。しかし行ってみると、木がうっそうとしげり、ちょうど曇天の如し、2時を過ぎた頃には明るい曇天に。  それにしても、三人も登場するし、1カットにどれだけ費やしただろう。といいながら、本来もっとも大変だと思われた中国の山々が、ほとんど反則のような方法で、実は手間がかからず。やってみないと判らないものである。帰宅後、縦横とフレームも違う『虎渓三笑図』2種に石橋をようやく設置。思えばこの石橋を知っていたせいで、これを使う前提で作り始めた。そして画面の中にある唯一の本物。松の木も本物ではあるが盆栽である。本作も私らしさ炸裂で滝を作れば完成

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中国の広大な山水風景も、極端にいえば手のひらに乗る石ころ一つで制作可能なことが判った。その岩山に、先日撮影した盆栽から植樹する。残るは滝を作り、石橋を撮影すれば、縦長と横位置の二点完成となる。 最初は房総に岩穴山林など撮る予定で、そこからつい先日まで、作業台の上にジオラマを作るつもりでいたはずであったのだが。予定がだんだん縮小されたものの、イメージ通りの風景となった。日頃どんな卑怯な手でも使うとはいってはいたものの。 ブルース・リーの〝考えるな感じろ”もアントニオ猪木の〝危ぶむなかれ行けばわかるさ”もいわれなくても知っていた私である。人間も草木同様自然物なのだから、それ相応の物はあらかじめ備わっているはずだ、とずっと思って来た。余計な物や事も学ぶべきではない。しかし相変わらず、私がいうと、怠け者、横着者の言い訳のようにしか聞こえないであろうことまで私は知っているのであった。一番の目的は頭の中のイメージを可視化して、やっぱり在った、と確認することである。

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