日曜日は、朝もはよから材料に墨打ちしたり、刻みをいれたりと日曜大工に勤しんでました。
11月だというのにまるで10月初頭の陽気で、作業用オーバーオール下のTシャツが暑くて仕方ない。
でも何かするには最高の天気ということで、電ノコ「ギョ~ン」 ハンマー 「バコバコ」で作り上げていく。
そんな中、庭につながるリビングでは朝ごはんを食べ終わった娘がテレビにつないだパソコンでYouTubeなんぞを見ている。
文化祭も終わって「暇こいてるな~」なんて思ったりもするのですが、今度は音楽祭の時にまた何か企画を立てているらしくて、
やはり踊り関係なのだろうけれど、ほかにミュージカルを学校でやるとか何とかも言ってたな~
その為の音楽選びだか構想だかなんだろうけど、よく飽きないもんだ(笑)
こちらは庭に造り上げたプラットフォームの上での作業なのですが、あるところまできたらどうしても人手が必要になった。
そこで ”暇人”が一人いるんじゃ~使わない手はないだろう、というわけで「こら手伝わんかい」と呼んだら、あっさりと出てきた。
「お!こりゃ~いいや」、とばかりにこれ持ってて、これ押さえていてとやらせるが、天気も良いせいか、文句も言わずに手伝ってくれる。
幼いころから何かにつけて手伝わせたり、一緒に共同作業をしてきた事というのは、知らず知らずに身体にしみ込んでいく物だが、
どんなときに何を考え、どう感情が動くかという、こちらの思考は知り尽くされているとも言える訳で、家内に手伝わせるより、圧倒的に効率がよい。
子供が育つ過程で、人間としてどう人の感情を読み取っていくかという基礎能力は全て、子供が親の顔色を見て育つことで蓄積されていく
わけで、経験を基にする人の高度な能力だ。
よく、「厳しく育てると親の顔色ばかりを見ているようになる」と、放任的教育を推し進める学者や教育評論化がいるが、顔色を見ないということは、
すべて自分中心に思うがまま世界が回っているということであり、同時に人の感情を読み取る訓練がされないことでもある。
これはとても不幸なことだ・・・・
と、そんな話は別にして、この作業、昼近くから途中で昼食はさんで2時ころまで続いた。
「今日はどこにも出かけないのか?」と途中で聞いたが、午後から遊びに行くとのことで、「こりゃ~やばい」 微汗
一人だとどうしてもかったるいので、何とか引き止め工作をせねば・・・・・
しかしながら高校2年生ともなれば強制もできないし、そんでもって「バイトしない?」と娘に言ってしまった。
出かけない代わりにこのまま手伝っくれればバイト代を出すという意味だ。
本当は、こうした方法はいけないのだけれど、手がなくなると極端に作業が遅くなるしうまくいかなくなる。
どうしても人手をつなぎとめる苦肉の策、いや最終兵器だ 爆笑
「ほんとう?」といってやたらうれしそうな顔して、そんでもっていつもルンルンしている娘は、なおいっそうルンルン状態になり、
おかげさまで、予定より早く作業を終えることができた。
終了後にバイト代、と言ってもたかが知れているが、渡すと喜んでいた。
このあたりがまだ子供、そんでもって後日談だけど、このバイト代で何を買ったのかと思っていたら、小遣い合わせてどこかで
パジャマを買ってきた。
青空に雲がプリントされたタオル地ベースの耳がついた可愛いパジャマだ、「見て見てこれ!」と着替えて見せに来たわが娘だけれど、
白ウサギだった。 ニコニコ