今週(13~14日)は、とても静かな週末だった・・・・
先週の台風ライドは、半端なく楽しくて、多分今年一番かな~~~~!?
危険だからこそ楽しいけど、 毎年誰かしらが亡くなるスポーツである、ウインドサーフィン。
僕も、これまで幾度となく怖い思いをした。
安静状態からから息を止めると、誰でも数分は大丈夫。
でも、トラックを全力疾走で駆け抜けた後で、どのくらいの時間、息を止めていられで有ろうか?
ウインドは、格闘技そのもの。
相手がデカければ、自ずとガチでい挑まなくてはならない。
自然の強大なパワーに対して、人の力は無視できる程度でしかなく、ほんの少しの慢心が即、死に繋がる。
フルパワーで海面を飛ばし、わずかに力負けして吹っ飛ばされる。
次の瞬間は水の中・・・・・
すぐ出られると思いきや、 何かがどこかに絡んで、もがく事は多々有る。
そんな時、 全身の筋肉が酸素を使い果たした血液に、残された時間は、多分1分程度。
こんま数秒がとても長く感じられ、 しかしながら、現実はコンマ数秒より短い時間の中で、自分で、自分の判断を仰ぐ。
体が水中から出られない原因?と、自分はどうしたらいいか? その問答は 数百も同時に浮かぶ。
人が死ぬときは、 その人生を走馬燈のように見ると言うが、それはその死の最後の最後まで生き残る術を探るという、
記憶の呼び起こしであり、 生き残ろうとする本能でもある。
年に数度、まじでこれで死ぬか?と思うことが有る。
その度に、必死で海面にでて、必死で息をして、 その後は青い空を見ながらしばらくボ~っとすることは多い。
安堵感と恐怖感の行き来は、その狭間で消えていく。
何とか無事に生還?している僕だけど、それがあるから、毎日が謙虚に送れる。
生きていて、命があって、 何気ないそよ風でも、心の底から幸せを感じつつ生きている僕は、在る意味、恵まれているのかも知れない。
いや、ただ普通に人生を歩んでいただけだったのなら、そうは思うまい・・・・
僕の”我が儘”に、風と波と、太陽が、 少しだけ寄り添ってくれるから、そう思えるのだと、僕は何時も思う。
人は産声を上げた瞬間から、後は常に死と隣り合わせで生きていく。
天寿を全うできる人もいれば、事故で死ぬ人もいる。
何が大切か?は人それぞれで、 自分の基準が他人の基準では無い。
では、僕の大切は何だろう? そう秋の長雨の晴れ間に問うてみたりもする。
答えなんて決して無くて、でも、何かを又新たに見いだせれば、それは明日を歩くコンパスになる。
なんてね・・・・・・・・・・
沈みゆく夕日を見ながらなんとなく思う僕です。
By 翔