帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

息が出来る・・・・そして 青空

2018年10月15日 | ウインドサーフィン 

今週(13~14日)は、とても静かな週末だった・・・・

先週の台風ライドは、半端なく楽しくて、多分今年一番かな~~~~!? 

危険だからこそ楽しいけど、 毎年誰かしらが亡くなるスポーツである、ウインドサーフィン。

僕も、これまで幾度となく怖い思いをした。

安静状態からから息を止めると、誰でも数分は大丈夫。

でも、トラックを全力疾走で駆け抜けた後で、どのくらいの時間、息を止めていられで有ろうか?



ウインドは、格闘技そのもの。

相手がデカければ、自ずとガチでい挑まなくてはならない。

自然の強大なパワーに対して、人の力は無視できる程度でしかなく、ほんの少しの慢心が即、死に繋がる。

フルパワーで海面を飛ばし、わずかに力負けして吹っ飛ばされる。

次の瞬間は水の中・・・・・

すぐ出られると思いきや、 何かがどこかに絡んで、もがく事は多々有る。

そんな時、 全身の筋肉が酸素を使い果たした血液に、残された時間は、多分1分程度。

こんま数秒がとても長く感じられ、 しかしながら、現実はコンマ数秒より短い時間の中で、自分で、自分の判断を仰ぐ。

体が水中から出られない原因?と、自分はどうしたらいいか?   その問答は 数百も同時に浮かぶ。


人が死ぬときは、 その人生を走馬燈のように見ると言うが、それはその死の最後の最後まで生き残る術を探るという、

記憶の呼び起こしであり、 生き残ろうとする本能でもある。

年に数度、まじでこれで死ぬか?と思うことが有る。

その度に、必死で海面にでて、必死で息をして、 その後は青い空を見ながらしばらくボ~っとすることは多い。



安堵感と恐怖感の行き来は、その狭間で消えていく。

何とか無事に生還?している僕だけど、それがあるから、毎日が謙虚に送れる。

生きていて、命があって、 何気ないそよ風でも、心の底から幸せを感じつつ生きている僕は、在る意味、恵まれているのかも知れない。

いや、ただ普通に人生を歩んでいただけだったのなら、そうは思うまい・・・・

僕の”我が儘”に、風と波と、太陽が、 少しだけ寄り添ってくれるから、そう思えるのだと、僕は何時も思う。

人は産声を上げた瞬間から、後は常に死と隣り合わせで生きていく。

天寿を全うできる人もいれば、事故で死ぬ人もいる。

何が大切か?は人それぞれで、 自分の基準が他人の基準では無い。

では、僕の大切は何だろう? そう秋の長雨の晴れ間に問うてみたりもする。

答えなんて決して無くて、でも、何かを又新たに見いだせれば、それは明日を歩くコンパスになる。





なんてね・・・・・・・・・・

 

沈みゆく夕日を見ながらなんとなく思う僕です。

By 翔