帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

一応行き先が決まった

2022年12月07日 | Weblog

年末から来年の初めにかけて、 今居るリハビリ病院を退院する予定の親爺。

 

でもって、だいぶ前から次の行き先を探し始めた僕ですが、 色々な施設に電話したり、 実際に見に行って、

やっと理想的?なところが見つかった。

 

コロナがまた増えているという事で、 どの施設もやたらと面会禁止、 外泊禁止、 外出禁止で防備してしまい。

こちらが望んでいる、月に1~2回の家に帰れるという単純な事がほぼ不可能なところばかり。

 

施設としては、感染されると”面倒くさい”というのが本音で、 健康の為という名目でそうしてるわけだけど、

すでに風邪より少し強いくらい、 インフルエンザより遙かに弱くなってしまったコロナは、

そんなに脅威ではないわけだ。

 

ただ、相変わらず第二類に組み入れられてしまっている以上は、施設側もそれに沿った対応をするしか無いともいえ、仕方ないのかも知れないが・・・ 

 

特別養護や介護院等と違い、あくまで住居として入居する以上は あたかも刑務所よろしく閉じ込めっぱなしというのはさすがに考えたくは無い

 

そんなわけで、色々調べられる物は調べ、 最終的に7つに絞り、 4つはすでに終了して、

二日前の日曜日は、3つの施設に母親と見学に行った。

 

各施設とも、それぞれにかなりの違いがあるのですが、

ホームには色々なタイプが有って、 基本的なところは似ていても、それ以外の部分ではかなり違いが有まくりなのが現実で、カタログや電話だけでは見えてこない部分が多々ある。

 

実際、 見学した受け入れ担当者さんとの話で持つ印象が、”なんか胡散臭いな~”という感じだったり、面談室すら無くて廊下で立ち話&部屋は見られたけど、なぜか食堂等のところは見せてくれない(コロナ対策?とのこと)等、

 

僕が一番知りたいのは、 スタッフさんがお年寄りとどう接しているかで、ただ、皆忙しいお昼の時間帯は行けないし、となると、 結果的には 入居担当スタッフさんとの話がメインになる。

 

数百万から千万単位のお金を払って入居する施設等は初めから候補に無く、というのは、 入居後の暮らしの中で親とそこが合わなかったりすることが有った場合、非常に面倒な事になる。

 

また、住宅購入型(サ高マンション、サ高住宅等)入居者を集めるだけ集めて、適当な時期に倒産するという悪質なところもあるので、経営母体の調査などかなり身長に選ばなければならない。

まあ、家は貧乏なので、 そんなところへの入居は論外なんですが 

 

どの施設に入るにしても、やっかいなのは、入居途中で親が重病となり、病院に長い間居るような事態になると、

病院代と施設費が2重に掛ることになり、結果として施設を退所となった場合、最初に払ったお金がろくに戻ってこないこともある。

 

月の支払いは多少多くても、 親と施設の様々が合わない等の事が有った場合に、気軽に転所が出来る方が良い。

 

ホームは一度入ったら、ずっとそこに居なければならないという訳ではなく、生きている限り生じる可能性の高い様々な事に息子として対応しやすい処でなくてはならない。

 

住宅型(賃貸形式の)介護施設の場合、 いわゆるヘルパーさんによる介護保険の作業?範囲と、 施設側でで提供してくれるサービス範囲との競合部分が必ず生じて、ヘルパーさんによる介護に相当する部分は介護保険で賄われる(1~3割負担)が、 それ以外の部分は考慮が必要だ。

例えると、部屋の掃除や、洗濯物など、これが一々一回いくら?というようにして、月末に集金されるようになるわけだけど、 それも事細かく”何回””何分”とか記録されてその額の請求が来る施設もあれば、

そうした部分は殆ど入居費にサービス費として一切み、どんなに数が多くても決まった額の処もある。

 

実家に近くて、 親爺に合った施設で、 出来れば入居費含めて安く、 という条件に則しながら、 昨今の状況下で時々家に帰れるという処を探すのは結構難しい。

 

今回は運良く、こちらの希望にそったところが1カ所有って、 そこは僕と言うより母親が「ここにする!」とほぼ強引に決めてしまったのもあって、ほぼ決定したわけです。

 

次に問題?になるのは、何時親爺を退院させて、 そして今までお世話になっていたケアマネージャーさんによる、

新たな施設でのデイサービス通所内容などを相談したり、やらねば成らないことがまだまだある。

年明けには施設に入居することになる親爺だけど、残りの人生を少しでも健やかに、そして幸せに送れるようにするこ

とが息子としての、育ててくれた親に対する、ささやかなお礼でもあると、僕は思っている。