原発の事故、確かに大きな事故であることは間違いなく、原発被災地近辺の方々の健康はじめ生活はこの先どうなってしまうのだろうかと心配している。
使用されている燃料が燃料であるが故に、必ず起きる放射能物質による被爆というのがあるけれど、今回の事故のような事態であると大気に拡散され、それを伏せぐための有効な手段というのは無い。
原発の事故が起きた日、テレビ画面から流されてくる映像に家内どころか娘も息子夫婦も相当な動揺をしていた。
経験の無いことゆえ当然の反応でもあるし、それが当たり前でもある。
僕自身はといえば、全く動揺もなく平然と毎日を過ごしてきたわけだけど、その理由のひとつとしてまがいなりにも家長である自分がそういった姿を見せねば、家族の皆が見えない不安と得体のしれない恐怖感で日々を過ごさねばならないからだ。
特にお腹に子供を抱える息子夫婦にいたってはパニックになりかねない。
この事故以降、視聴率欲しさにテレビ始め各メディアが恐怖の撒き散らし行為(風評拡大行為)を盛んに行っているけれど、僕は事故後の放射性物質混じりの雨の中をずぶぬれになってバイク通勤しているし、週末は北の風だろうが平然と海へ出ている。
一度たりとも怖いと思った事はない。
その理由は至極簡単なもので、見えない存在である放射性物質が人間の体へ引き起こす障害とその蓄積基準でもあるシーベルトやベクレルという単位についての知識を持っていたからだ。
人が被爆するのは何もウランやプルトニウムだけではない、ラドンはじめ宇宙線、ラジウム、電磁波等々、それは日常生活のいたるところに存在し、種類こそ違えど何らかの被爆というのは一生受けることになっている。
タバコすっても被爆するし、病院でも、マンションに住んでいても、海産物を食べても、電子レンジを使っても、飛行機にのってもそうだし、そうしたそこいら中にあふれる存在から人は逃ることが出来ない。
「それじゃ~爆発した原子炉は怖くないのか?」と問われれば、それが真横にあったなら間違いなく怖いと答えるし、「被災した人達のことを軽くみているのか?」と問われればNOと答える。
あくまでも被災地から遠く離れたところにいるからという事も有るけれど、200km以上も離れた場所で恐怖を煽らんがために大騒ぎする事への怒りみたいなもの、その無意味さ、それによって被災地から臨時に大都市圏に通っている子供達に対するいじめなどが起きていることに心が痛むわけだが、 それを踏まえて今日は書いてみたいと思う。
こうしたおかしな事? が何故起きているかという点に関し、何が問題の核心部分になるのかというなら、自分の生活圏においての被爆量というものを理解しているかどうか?という差でしかないと僕は思う。
当然のことだけれど、破損した炉設備および近隣周辺における極端な放射線レベルは危険だし恐ろしい。
しかしながら距離が離れるほど影響は小さくなり、東京周辺になると圧倒的に数値は低くなる。
やたらと騒がれている被爆量という基準は、本来原子力設備というものを念頭に置いたうえで絶対漏れが有ってはならないという条件を前提にして定められているもので、自然界に存在するありふれた放射線レベルを考慮に入れたうえで、
人体へ何らかの影響を及ぼす可能性がほんのわずかでも生じるレベルをもって、つらつらと不明瞭な基準のまま被爆量と定めている。
簡単な例をあげるなら人の肌を軽くつめで引っかいたくらいを”何らかの影響を及ぼしはじめる値”として記載している様なもので、残念なことに全身のいたるところを軽くつめで掻きまくっても人は死なない。
それじゃ~これが長年続けばガンにはならないのか?と問われれば、一時期垢すりナイロンタオルが皮膚がんを引き起こすといって目の敵にされていた愚かな事例を見ても分るように。
やり続けていれば何かしら起きるわけで、でもそれがつめで引っかいたせいのか? それともお日様の紫外線によるものなのかという判断等、誰も付かない。
多くの人を元に統計を取り、ガンになる人の数が木綿のタオルより一人でも多けりゃ「発がん性有り!」となるわけで、ナイロンタオルで全ての人が皮膚ガンになるわけではない。
不幸なことにこのナイロン垢すりタオルはバカマスコミのいい標的にされてしまったわけだが、こんなものより直接体内に影響を及ぼす物のほうがはるかに恐ろしいわけだが・・・ これも正直????と思うことが多い。
ちなみに電子レンジで作った料理を食べていると、鍋に水を入れて加熱する場合に比べて発ガン率は高い。
焼いた魚と生の魚では焼いた魚の発ガン率は当然高い。
でも、なぜ皆が騒がないのかというなら、電子レンジはあまりにも便利であるが故に、発がん性のことは無いことにして使うという、人の持つ都合よい大脳処理機能が恐ろしさをかき消してしまう。
電子レンジにとって代わる便利なものがないからだ。
http://www.aa.alles.or.jp/~palette/ecology/eco-additives%20list.html
なにより自分だけではなく、皆が使っているからというのもある。
焼き魚にしても古代から魚を焼いて食してきたわけで、当たり前の物だからと、怖いと思うことすらない。
ところが、核分裂を起こすものが相手となると、とたんに騒ぎが大きくなる。
えたいが知れないという事も有るのだけれど、普段自分に無関係であり、原発が無くても火力発電があるから代替の心配は無いので大騒ぎをする。
しかし・・・ 年間6000千人も亡くなっているのに誰も”車は危険だから世の中から無くそう”と大騒ぎしないし・・・
長期間の服用で脳を破壊し廃人にしてしまう向精神薬の危険性も医薬品というだけの理由で恐ろしさというものは覆い隠されてしまう。
運転している一瞬一瞬、いま食べているものと食中毒の関係、ハイキングと遭難というように、一瞬にして人を死に至らしめる危険性というのは日常のあらゆるところに、しかも当たり前の物として存在している。
受動喫煙の女性 |
1.02~1.03倍 |
野菜不足 |
1.06倍 |
放射線100~200mSv |
1.08倍 |
塩分の取りすぎ |
1.11~1.15倍 |
放射線200~500mSv |
1.16倍 |
運動不足 |
1.15~1.19倍 |
肥満 |
1.22倍 |
放射線1Sv |
1.4倍 |
毎日2合以上の飲酒 |
1.4倍 |
放射線2Sv |
1.6倍 |
喫煙 |
1.6倍 |
毎日3合以上の飲酒 |
1.6倍 |
日経新聞さんの記事に表があったので参考に取り上げさせてもらったが。
国立がんセンター調べで、 原爆による被爆者のデータをもとにしている。
発ガン率との相関関係が分るのだけれど、現実的なデータを元にしている分、放射線が人の体にどう影響しているかが分る
と、これを元に僕自身を考えるなら、タバコはすわないが飲酒という面からみると被爆量2Svに匹敵する発ガン率というのが
常に自分の身に降りかかっている事になる。
ちなみに一番すさまじかった原発周辺の放射線レベルの実質的事故後数値は
http://www.irsn.fr/EN/news/Documents/irsn-QA-jp.pdf#search='原子炉 放射線レベル'
にある、
大都市圏のレベルは
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/1/5/199785/6193/600x424xab794b40521a8646d6d46e96.jpg
を見れば分るけれど、これは毎時の値。
年間シーベルトに直すには、この値に8760(24時間にしてさらに365日)をかける必要がある。
3月16日の東京は 0.1マイクロシーベルトだから、年間被爆量にすると876マイクロシーベルト。
ミリシーベルトに換算すると0.876mSvとなる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
より、1.2mSv1日1.5箱のタバコを吸う喫煙者と同居する人が、副流煙から受ける年間の線量
1.5mSv1年間に自然環境から1人が受ける放射線の日本平均。
よりはるかに少ない。
何度も書くようだけれど、100mSVになって明らかに健康に影響を及ぼす可能性が出てくるわけで、
その下の数値は実のところ絶対明確な根拠も無く、人間が扱っているという理由から、とにかく安全を大きく見込んだ数値と考えても良いわけです。
被爆は確かに恐ろしいし、現場で復旧のために働いている方々には本当に頭が下がるわけですが、遠く離れた、いわゆるほぼ安全圏といえる場所にいる者たちがマスコミに扇動されて大騒ぎしている。
それが汚染されているという無知から来る排斥等へと変わり、対象が人にまで及ぶようなまねだけはあってはならないと思う。
被爆とそれにより身体へ発生する具体的な関係は、ガンである。
ところが其のガンは放射線の影響より身近なとこにいくらでもあり、受動喫煙やら、塩分取りすぎなどのほうがダイレクトに影響があり。
そうであるなら福島県から非難してきた子を放射性物質扱いする子供達(おそらくは親が子供の前で話しているのでしょうね)、福島で処分しきれない瓦礫(汚染されていない物)の処分を助けようとした川崎市へのメチャメチャな抗議他、
何が実質的に危険で危ないのかを知ろうとしない思考というものは、かくも非人間的な行動を人に起こさせるものだと僕は思うわけです。