今日は家内が泊まりでいない、 こうした場合、自分で食べたいものが有った場合は僕自身で夕飯を造りますが、
息子の嫁さん来て以降は嫁さんが支度してくれるので出番が余り無い。
その嫁さんも昨日から息子と実家へ行ってるので、当然娘が支度する事になるわけです。
多少工夫を凝らした物と張り切っている様ですが、どんなのが出てくるんだべか~ とやんわり思う。
楽しみにしていたのですが、まさか横着してカレーなんかじゃ無いだろうな?(笑) と思いきや、出てきた物は 「ほ~」 という二皿。
一つは挽肉を炒め、甘めのタレと絡め合わせながら厚揚げへ合えたもの、もう一つはベーコンを炒め、そこへ山菜を加えてさっと炒めたもので、
みりんや醤油それ以外に隠し味が有るらしい。
両方ともオリジナル?らしいが、食べ始めていると 「美味い!」 の一言。
特に二つめのが不思議な味を造り出していて、簡単に説明すると あのツクシンボ の味なのだ。
ツクシンボは見さんもご存じの通りヘタを取って、頭が開いていない場合(開いていると酷くまずく食べられない)は
そのまま取らずに佃煮みたいな甘辛い味付けにして食べる。
茎の部分は細くてへなへなになり、頭の部分には独特の歯ごたえと、之また独特の苦みがあってそれが口の中に広がる感覚が何とも言えない味。
実はこの何とも言えない苦みがツクシ独特の味として頭中に刻みつけられているんだけれど、
この味が娘の料理の中に再現されている。
昔、娘をつれて春の道を散歩した懐かしい記憶でもある。
「どうやって造り出したのだろう?」 そうおもってその隠し味を聞くと、なんとココアが使われていた。
ココアは飲むもの、もしくはお菓子などに使うもの、そうしたイメージしかない僕には驚きでもあるが、「こんな使い方も
あるのか・・・・・・」と正直我が娘ながら感心させられてしまった。
褒めて育てる教育をきっぱりと否定する僕ですが、さすがに褒め言葉が出そうになった瞬間に口をつぐんだ。
理由は簡単、山菜を炒める際の火力が多少強すぎ、水分が飛んで多少なりとも筋っぽいのがあったのを自分で気がついて
反省している娘の姿がそこにあったからだ。
ここで親が褒めたら一巻の終わり、娘の成長は停止してしまう。
人間とは常に甘えを求める生き物であって、それゆえ簡単に満たされると、それでよしと処理して進歩を留めてしまいやすい生き物だからだ。
こうしたときは何も言わず、大きな声で「ごちそうさまでした!」と一言、そして頭をぐしゃぐしゃして終わり、ただそれだけだ。
「言葉の力」が云々とのたまわるバカども、言葉無き会話こそが最も優れた心の伝達なのだと、又それが本来の日本人たる姿のだと・・・