毎年、この時期に東京都写真美術館で開かれている世界報道写真展へ行ってきた。土曜日だからか、来館者は多かった。うれしいことに、若い人の姿が目立った。
報道写真の性質からニュース性のあるものが多い。時を同じくして生きている人間、同じ地球のどこかで、自然災害、戦争も内乱も加えての人災、かくも無残なことが起きているのだ、と突きつけられる。毎年かかさず、報道写真展を見て、ぬくぬくと生きている自分を反省させられると同時に、平和のありがたさをかみしめさせられる。
今年も吐き気を覚えるような辛い写真だった。報道写真自体がより鮮明に伝えたいためか、ストレートになってきている。こういう写真になれてはいけない。ショックを受けることは大事である。
ブリジストン美術館で行われている坂本繁二郎展にも寄ってきた。気分がえのつもりで。でもおもしろくなかった。繁二郎は以前から知ってる。特に馬の絵はブリジストンにあったから。繁二郎はパリ時代の絵で何かを掴んで、それが発展しないで終わってしまったようだ。
会場に土門拳と他の写真家が繁二郎を撮った写真が飾ってあった。土門拳はアトリエ全部を写して中央近くに繁二郎は横を向いて座っている。まるで半次郎もアトリエの一部のように写っている。写真全体に彼特有の緊張感というか強さのある写真だ。もう一人は繁二郎が絵に筆も入れている写真。丸くかがんだ背中に優しさがある、ムードがある写真だ。私が撮るとしたらこっちの写真だろう。しかし印象に残っているのは土門拳の写真だ。もう一人の写真はムードに溶けてしまって印象としては弱い。写真とは・・とつくずく考えてしまった。