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「図書」から

2006-07-09 21:14:07 | 日記・エッセイ・コラム

岩波書店が発行している「図書」の一月一話をいま鶴見俊輔さんが書いている。含蓄のある文章で毎回楽しみに読んでいる。

今月の話は「使わなかった言葉」

「『もし』が禁じられるとき」

文章をそのまま載せたいところだが、それは出来ないので、かいつまんで紹介しよう。

導入部は省くとして、日露戦争前夜、京都の山県邸に政府の幹部が集まった。ロシアに対して戦争を始め、負けることになったら、どんなにか国民に不運を負わせることいなるか、彼らは忘れることはなかった。だからあるところまで戦争を持っていったら、自分が信号を出すから、どのような条件でも講和に踏み切ってほしいとは遣軍参謀長の児玉源太郎の意見だった。総理大臣桂太郎、総司令官大山巌、外務大臣小村寿太郎に異論はなかった。1905年、ルーズベルトの斡旋で、大きく譲歩して講和条約を結んだ。

国民は不満で、譲歩してはいけない、もっと闘い続けるべきだ、と焼き討ち抗議もあった。しかし、戦争を続けたら、日本は負けただろう。負けたら、どれほどのものを失ったか。

日露戦争直後、児玉も小村も死に、勝ったという幻想だけが国民の間に残り、後をついだ指導者にも大正、昭和を通じて残った。

こうして昭和の15年戦争下の必勝の精神がつくられ、国民は「もし負けたら」という条件を想像することも禁じられた。

1945年、日本敗戦とき、鶴見さんのアメリカ人の同級生が訪ねてきた。「これからのアメリカは全体主義になる」と彼は言った。その時は「まさか」と鶴見さんは思った。そして同時多発テロのあと、ブッシュ大統領がテレビで「われわれは十字軍だ」と言ったとき、60年前に友人のリーバーマンが言った言葉があたったと思った。「もし自分の国が負けたら」という条件命題をアメリカは減らし始めた。

というよなものである。

もし私がその言葉を聞いたとしても、全体主義によって国を滅ぼし、民主主義という言葉に未来を感じ、そのお手本ともなるべきアメリカが全体主義に移行していくとは、そのときは到底考えられなかったろう。ただし鶴見さんはアメリカに留学しているから、私のようにアメリカに理想を見ていた世代とは違うだろう。その私でさえ理想のアメリカはだんだん低下して、お手本ではなくなっていった。むしろ全体主義というイメージに近い。

原文が読みたい方は「図書7月号」を。

ついでだから「図書」の紹介を。これは岩波書店が出している月刊誌、半分は岩波書店の本の紹介(これも役に立つ)の薄い、雑誌である。しかし中身は濃く、おもしろい。しかも購読料年間1000円(税、送料込み)。

岩波HP:

http://www.iwanami.co.jp/tosho/

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