熱海の足川に有名な建築家の設計した家があることは知っていた。家に行ったこともある。ただ建築家の名前は忘れてしまっていた。コンドルではなかったかと思い違いをしていた。
新日曜美術館のアートシーンで、ブルーノ・タウト展の紹介をしているのを見て、「あっ、これだ」と思い出した。ブルーノ・タウトだったんだ。
今日、歯医者に熱海に行きながら、ブルーノ・タウトの話をして
「熱海には素敵な家があったと思うよ。ほら、蜂須賀別荘なんて、素敵な洋館だった。あれどうなったのかな。」
「とっくに壊して東電やなんかの建物になったよ」
「あっ、そう。熱海には建築なんかに造詣のない人間が多かったから、みんなつぶして機能優先のビルにしちゃったんだね。もうないけど、熱海図書館として使っていた御用邸だって、木造のいい建物だったよ。駅前から見えたマンペイ ホテルだって桃山にマッチしていたね。」
一応ブルータウト設計の熱海の家を検索してみた。おや、市に寄贈されてあったんだ。しかも土日だけだが公開している。じゃぁ~、行って来なくっちゃ。
あ~、そうそう、熱海には文化的に高い建物が残っている。こういうものを大事にせよと提言したのは、当時熱海に住んでいた故池田万寿夫さんだった。消波堤をデザインして、美しく変身させたのも彼だ。言ってみれば池田さんは熱海にとっては恩人だ。
参考:ブルーノ・タウト「日本建築の基礎」
ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来日したのは、1933年(昭和8)の5月3日。翌日、53歳の誕生日をむかえた彼は、京都の桂離宮に案内され、大きな衝撃をうけたことを『日記』にしるしている。やがて、「桂離宮の発見者タウト」という伝説が生まれるのだが、そのきっかけとなったのが、35年10月30日におこなわれた講演「日本建築の基礎」である。タウトは講演の中で、伊勢神宮と桂離宮を日本建築の頂点として称揚し、対極に日光東照宮をおいた。とりわけ桂離宮については、秩序の支配下に部分があるのではなく、部分が自由に個性を主張しながら調和をたもっている点で、世界に例をみない奇跡とさえいい切っている。