コズミックフロントで「イスラム天文学」を紹介していた。イスラムの科学はヨーロッパをはるかに超えていたのだが、あまり知られていない。本では読んでいたが、ウズベキスタンを旅したとき、サマルカンドでウルグベク天文台をたずね、その業績を知って驚いた。なにに驚いたかと言うと、15世紀すでに恒星の観察から、1年を365日6時間8秒と計算した。現代の計算と29秒しか違わない正確さであったこと、と、なによりも地動説を唱えていたことであった。地動説というと、コペルニクス(1473~1543)、ガリレオ(1564~1642)を思い浮かべるが、ウルグ ベクの学者たちの研究は、その二人よりずっと前のことである。
ウルグ ベク(1337~1449)はチムールの孫であり、君主であると同時に優れた天文学者、学者、文化人でもあった。ウルグベク天文台は彼が建てたものである。ウルグ ベク天文台には中世イスラム世界の優れた天文学者たちが勤務していた。言ってみれば、エリート集団がいたことになる。またウルグ ベクは学者や文人たちの擁護者でもあったので、彼の在位は、トルクメスタン文化の黄金期とも言われている。ウルグ ベクとはペルシャ語で「偉大なる指揮官」という意味で、これはチムールが孫のために与えた名前であった。華麗なる建築群も彼の指揮のもとに作られている。残念なことに暗殺されてしまった。彼の死後、ウルグベク天文台は大部分が破壊されたが、1920年代に地下部分が見つかり、復元されている。
番組ではコペルニクスとこのイスラムの天文学者たちの接点を紹介していたが、コペルニクスの著書にはイスラム天文学の研究がずいぶん用いられているのが証明されていた。イスラムの学者たちとヨーロッパの学者たちの交流はあったようである。
「星の王子さま」にアラビア風の服装で研究発表しても世間は耳を傾けなかったが、同じ学者が西洋風の服装で同じ研究発表をしたら、すごい研究だと驚く話が書いてある。それを思い浮かべて思わずクスリと笑ってしまった・・。
ウズベキスタンついでに先日テレビで見たタシケントのナボイ劇場のことにも触れておこう。この旅のはじめタシケントでナボイ劇場へ行った。そこで上演されるオペラを見に行ったのである。ところが主演のテナーが病気で急遽休演となってしまったが、この劇場は日本人の捕虜が建設に携わったとちらっと聞いていたので、劇場が見たいと、粘って楽屋口から入って舞台にも上がらせてもらい、3階までこと細かく見せてもらった。ナボイとは中世の詩人の名前だったと記憶している。ただなんで日本人の捕虜たちが携わったのかは知らなかった。
テレビで見ていると、それは第二次世界大戦時、ソ連に抑留された捕虜たち、400人が連れていかれたのだった。シベリアに送られたた人たち同様多くの人がその地でなくなっている。当時の生き残った方々はいま3人いられるそうだ。建設の労働力となった日本人捕虜は丁寧な仕事をしたようだ。やがて日本人たちは日本に帰ったが、その後、タシケントを大地震が襲った。ほとんどの建築物が崩壊する中で、日本人が作ったこの劇場と??はびくともしなかった。日本人は手抜きをせず、きちんと作ってくれたのだと、ウズベクの人たちは感謝したのだという。帰った一人はその後木彫りをしているという。ナボイ劇場を見学したとき、壁にはめ込まれた実に繊細で見事な木彫りの模様を見た。とても美しかった。あれも彼らの作品だったのか。劇場の案内人は、日本人が作ったとか、そんな説明は一切しなかった。劇場の前で、先生に引率された、中学生ぐらいの子供たちに出会った。劇場を背に、写真を撮って学校あてに人数分送ってやったのだが、子供たちに「日本について何を知っているか」と聞くと「工業の発展している国だ」と答えた。
ウルグ ベク(1337~1449)はチムールの孫であり、君主であると同時に優れた天文学者、学者、文化人でもあった。ウルグベク天文台は彼が建てたものである。ウルグ ベク天文台には中世イスラム世界の優れた天文学者たちが勤務していた。言ってみれば、エリート集団がいたことになる。またウルグ ベクは学者や文人たちの擁護者でもあったので、彼の在位は、トルクメスタン文化の黄金期とも言われている。ウルグ ベクとはペルシャ語で「偉大なる指揮官」という意味で、これはチムールが孫のために与えた名前であった。華麗なる建築群も彼の指揮のもとに作られている。残念なことに暗殺されてしまった。彼の死後、ウルグベク天文台は大部分が破壊されたが、1920年代に地下部分が見つかり、復元されている。
番組ではコペルニクスとこのイスラムの天文学者たちの接点を紹介していたが、コペルニクスの著書にはイスラム天文学の研究がずいぶん用いられているのが証明されていた。イスラムの学者たちとヨーロッパの学者たちの交流はあったようである。
「星の王子さま」にアラビア風の服装で研究発表しても世間は耳を傾けなかったが、同じ学者が西洋風の服装で同じ研究発表をしたら、すごい研究だと驚く話が書いてある。それを思い浮かべて思わずクスリと笑ってしまった・・。
ウズベキスタンついでに先日テレビで見たタシケントのナボイ劇場のことにも触れておこう。この旅のはじめタシケントでナボイ劇場へ行った。そこで上演されるオペラを見に行ったのである。ところが主演のテナーが病気で急遽休演となってしまったが、この劇場は日本人の捕虜が建設に携わったとちらっと聞いていたので、劇場が見たいと、粘って楽屋口から入って舞台にも上がらせてもらい、3階までこと細かく見せてもらった。ナボイとは中世の詩人の名前だったと記憶している。ただなんで日本人の捕虜たちが携わったのかは知らなかった。
テレビで見ていると、それは第二次世界大戦時、ソ連に抑留された捕虜たち、400人が連れていかれたのだった。シベリアに送られたた人たち同様多くの人がその地でなくなっている。当時の生き残った方々はいま3人いられるそうだ。建設の労働力となった日本人捕虜は丁寧な仕事をしたようだ。やがて日本人たちは日本に帰ったが、その後、タシケントを大地震が襲った。ほとんどの建築物が崩壊する中で、日本人が作ったこの劇場と??はびくともしなかった。日本人は手抜きをせず、きちんと作ってくれたのだと、ウズベクの人たちは感謝したのだという。帰った一人はその後木彫りをしているという。ナボイ劇場を見学したとき、壁にはめ込まれた実に繊細で見事な木彫りの模様を見た。とても美しかった。あれも彼らの作品だったのか。劇場の案内人は、日本人が作ったとか、そんな説明は一切しなかった。劇場の前で、先生に引率された、中学生ぐらいの子供たちに出会った。劇場を背に、写真を撮って学校あてに人数分送ってやったのだが、子供たちに「日本について何を知っているか」と聞くと「工業の発展している国だ」と答えた。