私はバラが好きだ。姿も香りも好きだ。特に大輪のバラが好きだ。以前庭で40種類60本のバラを育てていた。ほとんどが大輪のハイブリット株だった。農薬を使わないので早起きしては害虫を捕まえていた。虫は平気である。アリマキは素手でしごくと、指が緑色に染まった。蕾が膨らんで、明日あたり開くだろうと期待していると、茎を虫にやられて蕾が色あせて下を向いているのにがっかりしたことは何度もある。そのかわり花開いたときの凛とした美しさは最高であった。そのバラも今は1本も残っていない。最近ではバラの季節にバラ園に出かけては美しく咲いている姿をたのしんでいる。とはいえ、バラ園のバラが最高の時に出会えるとはかぎらない。自分で育てていれば、最高の時に接しられるものを、とちょっと残念ではある。
ばらの花びらで砂糖漬けをつくったことがある。花びらをむしって、ばらばらにし、砂糖でにつめ、砂糖をふった砂糖菓子だ。ケーキのかざりに使うためだ。しかし大事に育てた花びらをむしるのは、しのびなかった。盛りが過ぎた花びらはぱさぱさしていて出来上がりはいまいちだった。香りは残ったが、色は煮詰めると失われ、全部濃い色になってしまった。そんなことで作るのはやめてしまった。
フォトアルバムにバラの写真を入れた。種類はまだまだあるが入れきれない。ご覧ください。このバラはすべて園芸バラと呼ばれるもので自然界にある種には入らない。
現在自然界のバラ属には100~200の種があると考えられている。バラ属とは学名をRosaというバラの仲間、日本のノイバラもハマナスもこの仲間である。バラ属には普通の植物ではめったに起こらない異種との間の交配が行われ、発芽する種も出来る。要するに雑種が生まれ易いのである。雑種になるということは、元の親の姿がわからなくなるおそれもある。また分類もしにくくなる。植物学者たちにはやっかいなことである。しかしそれゆえに私たちを魅了するこのバラたちが生まれたのだ。いや、まだ園芸家たちのたゆまざる努力によって、新しい園芸バラが生まれ続けている。
日本語の「ばら」と言う言葉は、「万葉集」にある「ウマラ(宇万良)がイバラ(荊)に転じ、それがさらに変化して出来た言葉だそうだ。もっともこのウマラやイバラはとげのある植物をさしていた。
バラが日常生活とかかわりを持つのは古代ギリシャ、さらにブームとなるのはローマ時代。ローマの初代皇帝アウグストゥスの時からバラは日常生活を潤すものとなっていった。あの暴君ネロはバラの愛好家で、晩餐や酒宴のとき、天井から来客の上にバラの雨を土砂降りのように降らせるのが好きだった。食卓ばかりか、回廊や歩道もバラで埋めたそうだ。そのバラはもちろんバラ園で栽培したものであった。とはいえ、まだ園芸バラではない。
さて、バラが園芸化して私たちがなじんでいるバラたちが生まれるのだが、100種以上ある野生のバラから園芸品種に貢献したのは8種、しかもすべてアジアのバラであった。その中には日本のノイバラ、ハマナス、テリハイバラも含まれる。その他には中国のコウシンバラとローザ・オドラータ、小アジアのローザ・フェティダ、ローザ・モスカータ、ダマスクバラである。
バラといえば、ヨーロッパを連想してしまうが、19世紀でさえ、ヨーロッパで栽培されていたバラは4種にすぎなかった。
「つづく