今年は日本でも7月22日に皆既日食が46年ぶりに見られるそうだ。といっても皆既日食が見られるのはトカラ列島で、東京では75%の部分食となるようだ。46年ぶりというと、先回は25歳のときということになる。25歳ならもう念願の天体望遠鏡を手にしていたから、観測していたかもしれない。太陽観測専用のサングラスレンズもあったから。しかし、もっと子どものころのガラスを墨で黒くして、見た日食のほうが記憶に残っている。ダイヤモンド・リングの記憶もあるが、テレビの映像だったか、実際に見たのか定かではない。
昔の子どもだから、自然は身近にあるから興味があった。天文学に興味を持ったのは小学校4年生のとき(2年生が敗戦)、両親の知人が貸し本屋を始めた。母に連れられて、開店のお祝いを届けに行き、本を借りた。子どもの本はかなりあった。貸し本屋を開いた場所は、何回も通ったから、覚えているのだが、どういう人がやっていたかは覚えていない。
初めて行ったとき、その家のオバサンが勧めてくれたのが「子どもの天文学」という赤いクロス表紙のかなり分厚い本だった。中表紙に挿絵があった。星がいっぱいある半円球のすそを持ちあげて、向こう側をのぞいている男の姿が描かれていた。男の姿はアラビア人みたいな格好をしていた。そして横に「丸天井の向こうは?」という文字がついていた。丸天井の向こうには何があるんだろう、その言葉に興味をそそられ、私も丸天井の向こうを見てみたいものだと思った。
当時の本だから、今思い出すとおかしいことが書いてあった。たとえば火星人の話なんかも載っていた。もし火星人がいるとしたら鳥みたいな姿だろうとか。でも印象的な話もあった。ハレー彗星の発見者、ハレーは歴史も研究して、ハレー彗星は76年周期で太陽に近づくことを発表したが、学界からも世間からも冷笑され、失意のうちに死んだ。ハレー自身は彗星を自分の目で見ることもなしに。その後ハレーの意見が正しかったことが証明され、彼にちなんでハレー彗星と名づけられた、とあった。よし、ハレーの代わりにハレー彗星を見てやろう、小学生の私はそう思った。ただ、戦後2年、ハレー彗星がやってくる年まで生きていられるかどうか、それは不安だった。ところが待ちに待ったハレー彗星は近づき(残念ながら日本からは大きくは見えなかった)、やがて彗星は離れていってしまったが、私はまだ生きている。とはいえ、次に来る彗星にお目にかかることは不可能だ。
この本がご縁で、天文学に興味を持った。その後、母が神田の書店に連れて行ってくれ、好きな本を選ばせてくれた。しこたま天文関係のやさしい本とアンデルセンやグリムの童話集などを買い込んできた。自分で持って帰ったから重かった。野尻抱影さんの著書が多かった。野尻抱影さんは英文学者で、大仏次郎の実兄でもあった。だから天文学と同時に、神話や伝説にも造詣が深く、各国の星にまつわる話も載っていてたのしかった。「星と伝説」なんて著書もある。この小学生のとき買った本も1冊だけ手元に残っている。そうだった、本には冬の両国駅からカノープスが水平線ぎりぎりに見えた、とあったので、ここでも見えるかもと水平線ぎりぎりを探したが、見つからなかった。旅をするようになってから、カノープスにはずいぶんとお目にかかることにはなった。南半球の星ともどうやら知り合いにはなった。
アポロが月面に到着するのを、テレビでずっと見ていた。その夜、久しく無沙汰をしていた兄から電話があった。「喜んでいるだろうと思って」と。子どものころから空を見上げていた妹を思い出しての電話だった。この兄も故人になってしまった。
最近は夜外に出ることはないし、旅に出ても酔っ払って寝てしまうのでこれまた夜空は見ない。ずいぶん前から我が家からは銀河も見えない。空が明るくなってしまったのだ。
7月22日は水曜日。日中でもあるし、今年の天文ショーはたのしみに見るとするか。