Cogito

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内田光子

2009-01-08 12:34:13 | アート・文化

正月はテレビばかり見ていた。チャンネルをやたらと回し、あっちみこっち見ていたから、どこで何をやっていたのか覚えていない。そのなかでラトル指揮のベルリン・フィルと内田光子が演奏する、モーツァルトのピアノコンチェルト20番を聴いた。内田の演奏は情感たっぷりの演奏だった。うん、こういうモーツァルトもいいな。そこでamazonを調べると、ベルリン・フィルとのものはなかったが、テイト指揮のイギリス室内管弦楽団との共演で、彼女のモーツァルトのコンチェルトのCDが全曲(27曲) 出ているのを見つけた。しかも1枚1000円とお手頃。そこで試聴もかねて21,23、と20,24録音の2枚を買った。悪くないと、22,26、と25,27を追加して買った。で、4日から毎日、モーツァルト漬になっている。

モーツァルトのコンチェルトもかなり持ってはいるのだが、古くはヘブラーとか、アシュケナージ、最近はピリスとか外国人演奏家のものばかり。日本人ピアニストのCDははじめて。

次から次へとかけているので、こんがらがった。スライド作品「食べる」に使っているのだが、勘違いしていたら、なんと27番だった。最後のピアノ・コンチェルト。「食べる」にはふさわしかったのだ。第二楽章など、聴いているとぐっとくる。

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平塚美術館

2009-01-06 21:11:33 | アート・文化

用事で外にでたので、そのまま足をのばして平塚美術館で開催されている「鳥海青児と三岸好太郎」展を見てきた。会期がたしか12日までだったので。ちょっと歩く自信はなかったが。

美術館の入り口には車椅子が置いてあった。「車椅子、使う?」といわれたが「いいよ、歩いてみる」と断って中に入った。平塚美術館はフロントから展示室までは距離がある。その間、展示があるので手すりはない。車椅子は要らないが、車椅子を押して歩きたい、とちょっと後悔しながらも、歩行練習だと自らを励ましている。階段はやめてエレベーターに乗った。初めてのエレベーター利用である。

鳥海青児の作品はこの美術館の所蔵品なのでおなじみ。三岸好太郎はここにもあるが、ほとんどが北海道の三岸好太郎美術館所蔵のもの。札幌で好太郎美術館に寄ろうと思ったらあいにくと休みだった。生前、三岸節子さんがインタビューで、好太郎の作品を買い戻して札幌に寄贈していると話していた。そして、好太郎は私よりずっと絵はうまいとも話していた。才気は感じるが、31歳で死んでしまったから、長生きしたら、また表現も違ったろうと思われる。節子さんはああ言っていたが私は節子さんの作品の方がずっと好きだな。

北海道生まれの好太郎と鳥海青児が知り合ったのは春陽会だった。春陽会は中川一政も参加している。その後好太郎は独立へ移るが、鳥海は春陽会にとどまり、鳥海が海外生活をしているうちに好太郎は亡くなっている。

いつもよりは観客はあったように思うが、でも空いているし、展示室はゆっくりゆっくり歩けばいいのだから、不自由はなかったが、それでも途中「足が痛い」と座った。

展示室を出て、ロビーの椅子に座って、外を眺めていた。青い空を切り取るように白い壁が囲み、斜めに射す光が展示物に影を落とし、なんかヨーロッパの町並みを思わせるようでとてもきれいだった。

正面に目をやると、いつもはガラスなのだが、ここは自然光を利用しているので直射光を避けて、ガラスに覆いがしてある。その紗に向こうの冬枯れの木立がそのままシルエットとなって映っていて、とても美しかった。

隣の新春の所蔵品展ものぞいてきた。

併設のレストラン パレットで食事をした。有機栽培のサラダがたっぷりのメニュー。パレットになってここで食事をするのはこれで二回目。久しぶりのような気がするけど、じゃ~何を見に来たのかなぁ、と考えているが思い出せない。野町さんの写真展だったかなぁ??

2月には浜谷浩さんの写真展があるとHPにあったが。もちろん来るけど。

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気になっていること

2009-01-05 20:32:00 | 日記・エッセイ・コラム

ひとつは失職した人々のこと、これは少しは明かりが見えたけど、もうひとつは先が見えない。それはイスラエルのガザへの侵攻だ。多くのガザの住民が殺されている。ハマスの武力行使もどうかとは思うが、しかし祖国を奪ったイスラエルに対する積年の恨みは簡単には消せない。それを格好の理由に軍事力にものを言わせ空爆、侵攻、まさにジェノサイドだ。イスラエル国民の75%が軍事行動を支持しているという。

                                          失職した人たちを支援するために市民団体や労働組合によって日比谷公園に派遣村が出来、それが続いてあちこちに分散して、しかもハローワークも相談に応じ、就職と宿泊場所を斡旋していく取り組みを始めた。そうこなくっちゃ~。

この取り組みをテレビで見ていると、今は大変だろうが過ぎてしまえば今回の経済危機も日本人にとっては悪いことばかりではないように思える。戦後の食べるものも事欠く時代を生きてきた私たちには、これが戦後もすぎて不自由なく育った人たちへの警告にもなるだろう。戦後の食料すらままならぬときでも、多くの人々は分かち合い励ましあって生き抜いてきたのだ。私もそういう時代を覚えている一人なのだ。

パートとか派遣とか、不安定な雇用は、雇う側にとっては、経済が悪化して、いざと言うときは簡単に首が切れる、保障もいらないということである。雇われる側も、一時期、フリーターがもてはやされたときがあったが、縛られなくてすむといったような安易な考えもあったようだ。年をとったらどうするのだろうと、心配したものだ。格差社会も心配だった。労働組合も、こんな雇用制度はあぶないと騒がなかった。こういう状況が来ると予想して対処して来なかったのではないか。働く権利も自覚しなければ。

おそらく、職を失い家を失った人たちも、派遣とはいえ働いていたときはホームレスの人たちを思いやったことはなかったのではないか。人は助け合えるものだと感じられたのではないか。

現実的には人手が不足しているところは多々ある。介護の現場にしろ、農業だって手は必要だ、第一次産業はすべからず手は必要だ。かつて3Kと呼ばれていた職種だって、外国人に頼まなくても自分たちでやれば出来るはず。ただし、介護は資格が要ることもあるが、それをなくしても費用的に雇えないでいる。農業だってなんだって、一朝一夕には出来ないのだから、それを国がそれを保障して育てていかなくてはならない。長い目で見れば、輸入に頼っている食料問題を、自給率を上げる役にもたつ。そういうことを考え、雇用の場を確保するのが政治だろう。

さぁ、生きるために一生懸命になろうよ。そして力をあわせて、自分たちの暮らしいい社会を作っていこうよ。今の日本人には革命は無理だろうけど。

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初春の

2009-01-01 23:32:12 | 日記・エッセイ・コラム

お慶びを申し上げます

写真は新しい家族12月27日生まれのPICO.    自民党がペット税を検討しているとか。おやまぁ、我が家はペット税の高額納税者になりそうだ。変なの。                                                                                             

3pico1pico                                                                                                                                               

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