Cogito

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またぞろ

2019-11-25 09:07:57 | 日記

香港の民主派勝利。よかったね。とはいえ、楽観はできないだろうけど。中国は嫌いな国ではなかったが、今の中国は傍目で見てると、とても変だ。覇権を求めずなんて言葉があったと思うんだけどねぇ。

papasanがまたまたデイサービスに行きたくないと言い始めた。「やめてもいいけど、あんたも元役人なんだから、補助を受けて運営しているんだから、制度的な切り替わりを、もう少し思いやってあげなよ。それとやめたら、papasan、また朝から晩まで寝ているよ。じゃ~、条件として、規則正しい生活を続けられたら、やめてもいい。まず起床は7時、ごみ捨てはする。ご飯を食べ、薬を飲む。一休みしたら、外の落ち葉を掃く。日中はできるだけ起きている。まずはこれを一週間続けられたら、認めてやるよ」と言った。

ちょうどケアマネさんが来たので、相談をした。環境を代えて刺激をさせる目的が、気が重く憂鬱になっては逆効果。しばらくお休みして、毎日の日課をこなすようにして様子をみてはと提案してくれた。そこで来週までは行って、来月いっぱいはお休みすることにした。1月は2週目からということで。

午後、玄関のドアが開いたので宅配かなと思ったらpapasan。どこへ行ってたの?と聞くと、階段の掃掃をしてきたんだと。日課の一つに入れたんだが、雨模様だから抜いてもいいかと思っていたらやってきたんだ。それほど行きたくないってことなんだろうか。階段の落ち葉を掃いてはくれたが、そのままなので、行って、木の根元に積んできた。

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Sailing

2019-11-24 13:26:43 | 日記

雨続き。しかし今日は暖かい。

朝、トイレに行くとガーナがネズミをいたぶっていた。再びベッドに入り、6時過ぎてから起き出した。恐る恐るネズミの遺体を探したが、どこにもなかった。ガーナもいなかった。外に持ち出したんだろうか。6時半に起き出し、洗濯を始める。昨日は雨がひどくて外に出られなあった。だから洗濯物の量は二日分。明日は上がるそうだから大きいものは明日にしよう。

9時近く和美さんが大工さんを連れてきてくれた。前に来たら寄ってと頼んでおいたからである。トイレと洗面所と廊下の修復の見積もりを出してくれるように頼んだ。洗濯物を干して、乾いたものをトイレに持っていくとトイレの前にヒヨの死骸を見つけた。さっき大工さんが来た時はなかったから、30分足らずの間に犠牲になったと思われる。可哀そうに。犯にゃんはガーナだな、もう。

 

ひと段落したので、昨日の「Sailing」をかけて大きな声で歌っていた。メロディも歌詞も簡単だから、これなら覚えられそうだ。昨夜、テレビをまわしていると、宇崎・・と世良・・さんが二人でこの歌を歌っていた。「うん、この歌知っている」と大声で初めの部分だけ一緒に歌った。Youtubeで「Sailing」を探すとすぐ出て来たので、画像を見ながら一緒に歌っていると、息子が来て「ロット スチュアートだ」と言った。「ロット・・なんて知らない。なんでこの歌知っているんだろう」というと「keikoがよく聞いていたからじゃないの」と。大きな声で歌いながら歌詞を読んでいくと、とても内容が深い。へぇ~。で、すっかり気に入って、youtubeを開けては聞いている。聴いているのは下のアドレスのもの。

https://www.youtube.com/watch?v=p-LXrAYr080

他にもあったので開けてみたらロット・・が若いころのものらしいが、なんともおかまみたいなしぐさ。こんな姿はとてもじゃないけど見ていられない。はじめにこのyoutubeを開けなくてよかったよ。

 

説明を読むとこの歌はもともとロット・・のものではなく、サザーランド ブラザースの作詞作曲。それをロット・・がカバーしたものだそうだ。サザーランドブラザースを調べたがよくわからない。ただし、オリジナル盤を見つけたのでここに載せておこう。

https://www.youtube.com/watch?v=poDjuRlaNAg

h?v=poDjuRlaNAg

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しとしと

2019-11-22 10:57:42 | 日記

今朝はイ・ムジチ。イ・ムジチっていえばヴィヴァルディ、四季だね。

起き出した時は曇ってはいたがまだ雨は降っていなかった。だからpapasanに「生ごみ出してきて。帰ってきたらスズメにエサをやって」と頼んだ。papasanが戻ってきたころ、外が濡れているのに気が付いた。雨が降り始めたんだ。エサは濡れてしまうので米を投げてやった。山は霧に包まれて見えない。やがてしとしとと降り始め、あたりはビショビショになった。ガーナが濡れて帰ってきた。

見るともなしにテレビを回すと、川面が写って、右に句が現れた。「五月雨を集めて涼し最上川」とある。この川、最上川ってこと?それにしても「集めて涼し・・」芭蕉のパクリかなぁ、と思った。五月雨のころなら「涼し」なんて使わなくても東北は涼しいよねぇ。おそらく打ち間違えだろうね。次の紅花の里の句はまともだったから。

芭蕉の句は「五月雨を集めて早し最上川」学校で習ったからよく覚えている。教科書には、蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」という句が並んで載っていた。芭蕉の描写力、そして蕪村の緊迫感、そんな対比で先生が説明してくれたことも覚えている。最上川はもちろん行ったことがある。さかのぼったことも下ったこともある。朝っぱらから、記憶の検査をさせられたよ。

毎朝、障子を開けてやるとボースが当然の顔をして入ってきてそのまま台所へ行く。台所でいつも私のパンとブルサンをおすそ分けしてもらうのだ。しかも寒いのかストーブの前で羽を広げて暖を取っている。「鶏も寒いのかね、羽毛を着ているくせにさ」と言って笑っているのだが。まだそんなに歳でもないのに。

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寒さに体を慣らさなくっちゃ

2019-11-21 14:55:45 | 日記

4時トイレに起きると室温は16℃。今朝から冬並みになるという予報だったから、それほどではないな、と思ったが、これから夜明け前、気温はもっと下がるだろうと、オイルヒーターをつけて、また寝てしまった。目を覚ますと6時半。あれ~、寝すぎちゃった。音楽聞きそびれちゃった。でも続く200名山の「七面山」を興味本位で眺めていた。七面山に登ったこともないし、下から眺めたぐらいしか知らない。七面山に関する知識は日蓮さんの山という以外はゼロ。だからとても面白かった。

今日はpapasanを送り出したら、東京へ展覧会を見に行こうと思っていたが、体調に自信がないのでやめた。行かなくてよかった。今日はいろいろ荷物が届いた。

papasanを起し、あたふたと用意をして8時半には送り出した。

昨日、ジョナゴールドを探したがなかったので、千秋というリンゴを買ってきた。中玉で比較的色も赤い。調べると千秋はフジの系統だった。

でもせっかく買ってきたので、まずはジュレを作った。きれいなピンクに仕上がっている。紅玉に比べても遜色はない。レモン汁がアントシアニン(色素()を鮮やかにしているのだろう。ならフジで十分。フジが届いたら、ジュレも作ろう。

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無言館

2019-11-20 23:49:36 | 日記

クラッシク倶楽部で2日連続で無言館で収録した演奏をやっていた。70周年記念だという。初日は「ブラック エンジェル」作曲家の名前は、読んだけど忘れてしまった。二日目はメシアン「世の終わり」四重奏。初めて聞いたように思うが、心に響く演奏だった。無言館での演奏だからか、なおのこと響いたのかも。

無言館からの上田の景色も紹介されていたが、のどかで、あんまり変わっていないような気がした。無言館は、戦没画学生たちの作品を集め、展示し、平和への祈りを訴える、美術館である。館長は水上勉(みずかみつとむ)のご子息。水上勉の経歴を読むと、びっくりするような貧しさに出会う。そして幼児を置いて出て行ってしまった妻、その幼児が無言館の館長の窪田さん。里子に出したが、東京大空襲で生き別れになり、それぞれが自立して、劇的な出会いをしている。

なんども書いているが無言館で、不思議な経験をした。照明を抑えた薄暗い展示室、ほとんど人のいない空間をゆっくりと絵を見ながら歩いていると、後ろに人の気配を感じた。先に行ってもらおうと後ろを振り返ったが、そこには薄暗い空間があるだけ。思い違いかな、と思いながらなおも作品を見ていると、またしても人の気配。振り返っても同じく静かな空間があるだけ。もっと生きたかった、もっと作品を描きたかった・・・、きっと伝えたかったんだろう。私にできることは、平和への努力以外にない、思いは受け止めたよ、と言って館を出た。

メシアンの「世の終わり」、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノという変わった編成。そこでこの曲の由来を読んでみた。「世の終わりのための四重奏」は「時の終わりのための四重奏」というのが原題のようだ。ヨハネの黙示録を主題にしている、とあった。ヨハネの黙示録、きちんと読んでいないんだ。読まなきゃな、と思いながらメシアンのこの曲が生まれるまでを読んだ。彼は第二次世界大戦時、フランス政府に徴兵され、その後ドイツの捕虜になって、収容所に入れられていた。食料は乏しく、重労働で多くの人たちが死んでいったが、娯楽や芸術には寛大で、収容所内でいろいろな催し物が行われていた。メシアンはそこでチェロリストと知り合う。メシアンたちが音楽家だと知ると、作曲の時間の個室も与えられ、演奏の練習もきっかり4時間認められ、この曲の初演は収容所内のバラックで行われたそうだ。その後二人は解放されたが、二人はユダヤ系だという理由で、留め置かれた。その後4人で演奏する機会はなかった。そんな裏話を読みながら、昨夜、放映していたジャズのサックス奏者の坂田明さんの旧東ドイツの仲間たちを訪ねる旅を思い出していた。

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