なぎのあとさき

日記です。

コイかな

2020年10月30日 | 日々のこと



モンちゃん、私が殿やビーにかまってる間は大人しくしていて、私はほぼ殿やビーにかまいっぱなしだったので、モンちゃんがワガママいうことは少なかった気がする、が。

今は私がモンちゃん1本でかまっていることに気づいたのか。
ファーン!と私に訴え鳴きをすることが増えた。
ちょっとだけ手が離せなくて「待ってて」と待たせてる間、ファーン!ファーン!ファーッ!と大声で鳴く。しつこい。

お待たせ!と行くと、強い目力で私を見上げ、「さあ!なんかしてくれ!」
直伝?!
猫はしつこさも可愛さになる。

今は3時頃まで庭に日が射すので、その間はモンちゃんを日向ぼっこさせながら、私は「S高の任務」を読んでいた。

○もちろん何度か季節は巡ってしまった。悲しみが胸に迫ることもある。そんな時に唯一の慰めになる自然は、細部においては数年隔てた記憶の歯がたたないほどぎっしり詰まり、全体においては数年前も数百年前もこんな感じだったに違いないという感銘的な静けさでそこにある。少なくともその風景は、二人でいた数年前のために、今も心をこめて書き足すことができる。そして、それで何ら心が痛むことはない。

鳥が飛んできて本から目を上げると、フェンスにメジロがとまり、ぐるッと首を回して私の目をじっと見た。
「おっけ!」ちょっと早い気がするけど、みかんももう安くなってる。

モンちゃんも風景の一部になって日向に置いたダンボールの中で昼寝していた。
ヘリコプターが通ると、ムフッと身を乗り出して、今にも飛びかかりそう。



○私はこの目に映る景色について書くことが好きだ。思弁や回想を長回しするよりずっといい。こういう考えだって、叔母が巧妙に根付かせたものだと思えてならない。彼女は自分を思い返すことが風景を眺めることと同じになるように、この世界について教えたんじゃないか。

始めから一文一文が面白い上にエピソードも回想もすべて面白い。
セリフひとつに叔母が凝縮していきいきと感じられる。

分福茶釜のタヌキが、自分がここにいるために人を化かしてたことについて、

○「今見てるものを、今見てるように見続けたくて、しっぽを出さないように気を張ってたの」
こういう言葉が不確かに蘇ってくるのは、あの時よりもっと私を強くしめつける。あの時感じたようには今日感じないで、あの時感じなかったように今日感じる。

んっ、と噛まなきゃ飲み込めない文章が面白いだけでなく、両親と私と弟の4人家族が、自分の家族のようにも思えた。
この弟は小心な犬みたいでかなりかわいい。

○「やっぱあんた、くやしいけど絵になるわね」
「なんでくやしいの」
「それを自分の幸せに使うのが下手だから」
この類の台詞は私は何百回と聞かされてきた。
「よくストッキングなしでそんなドレス着られるわよ」

母と娘が憎まれ口をたたきあうこのシーンもよかった。私は母役でもおかしくない年だけど娘がいないから、いくつになっても娘目線だ。娘の着ているドレスは、今度のパーティで着るつもりのワンピースが浮かんでいた。

声だして笑うとこもあり、じんじん響くとこもあり、終わりの方の見事な伏線回収では涙が止まらなかった。

という素晴らしい小説なのに芥川賞逃したのが不思議で、選評読んでみたらこいつら何なんだ、くだらねー。

河原は若者の団体が何かの撮影していて、私の寝転びスポットはカメラのフレームに入りそうだったけど気にせず寝転んだ。

今日こそ病院へ挨拶に、と思ってたけど行けなかった。
澄んだ青空はまだ、ふとした拍子で涙でにじむ。
病気の子たちを診るのに忙しい先生を、わざわざ呼び出して泣くのは避けたい。
でも今はまだ、先生の顔見ただけで声聞いただけで号泣しそう。病院も先生もビーとの記憶の純度が高すぎる。

ビーが家出していた間、私は廃人のようになったけど、今は違う。夜空から月が消えるほどの惑星の並び順が変わるほどの世界の変化のさなかにいて、生活を模索しているところ。

大きい魚が跳ねた。
「ボラかな?ボラじゃない
コイかな?コイじゃない」
ってこれも筒美京平だ。

雲に沈んだ夕日が、大きく赤くなって雲の下から出てきた、すぐ下に富士山があって、山頂に沈んだ。
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