安倍中東後追い暗記教育外交

2007-05-02 01:03:34 | Weblog

 日本の首相安倍晋三が中東5カ国歴訪に先立つ就任後首相として初の訪米、ブッシュ大統領との首脳会談を果たしたが、そのことにさらに先立ってアメリカ議会指導者の前で従軍慰安婦問題で謝罪する重要なセレモニーをこなした。

 小泉前首相も昨06年5月のアフリカのエチオピア、ガーナ訪問にほぼ1年先立つ05年4月のインドネシアジャカルタで開催された「アジア・アフリカ会議」50年の首脳会議でも、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのおわびの気持を常に心に刻みつつ、――」云々と決まり文句を用いた謝罪のセレモニーをこなしている。

 謝罪のセレモニーが日本の首脳の戦前の戦争に関係する外国訪問に付き物という点でも、安倍首相は小泉前首相を美しく踏襲している。

 村山談話を引用して謝罪したと言うことだが、「多大な損害と苦痛を与えた」対象が「アジア諸国の人々」であるなら、その言葉を額面どおりに受け取って解釈するとしたら、その「人々」の中に入るはずの従軍慰安婦や強制連行労働者に真摯に向き合わなければならないはずだが、「多大な損害と苦痛を与えた」と口にする程の向き合い方はしていないことと、内容が同じ似たり寄ったりでしかない謝罪の繰返しがいつ果てるとも分からずに延々と受け継いでいることからも、謝罪の決まり文句と言うしかない。

 小泉前首相のアフリカ訪問は初めてで、森元首相以来の二人目の日本の首相の訪問だというアフリカ重視の活発外交は、<4月29日、首相と入れ替わりに帰途についた胡錦涛国家主席は2度目のアフリカ歴訪で3カ国を訪れた。>(06年5月2日「朝日」夕刊≪アフリカ戦略、中国に後手・ODA「倍増」打ち出したけど≫ことと比較しても、その活発さの点で群を抜いている。

 同記事はアフリカに於ける日本と中国の力関係・重要度を次のように伝えている。

 <経済低迷が続くアフリカ諸国は中国を成長の先導役と見る。ナイロビ大学のオルー講師(政治学)は「体制に注文をつけず、政権トップに力を貸す中国は影響力を強める一方だろう」と語る。>

 05年の国連安保理改革で<常任理事国入りを目指す日本がドイツ、インド、ブラジルと連携したG4案をAU(アフリカ連合)は拒否。中国はAU各国に「中国と敵対する国」の常任理事国入りへの反対を求めていた。
 日本が最も頼りにしたナイジェリアのオバサンジョ大統領は4月26日、胡主席を招いた夕食会で「今世紀は中国が世界を引っ張る。我々は中国のすぐ後ろにいたい」。>

 そのような中国の突出に対して、日本は外交の唯一有力な力としていたカネの面で、記事の冒頭部分に記してあるが、<00年のアフリカ向けODAは約10億ドルで、欧米に肩を並べていたが、財政再建のあおりで04年には3分の2に。01年の同時多発テロ後、貧困をテロの温床と見て支援を急増させた米仏両国と比べて5倍前後の開きが出た。>と退行したその有効性を取り戻すべく、<日本が昨年のサミットで示した「ODAを今後5年間で100億ドル増額、今後3年間でアフリカ向け倍増」という方針>を打ち立てたが、中国も<昨年9月、今後3年以内に途上国向け1000億ドル借款などの供与とアフリカ支援を強調。>(同記事)と一歩も引かないところを見せている。

 こういった日本の状況にさらに付け加えると、小泉首相のアフリカ訪問はアジア・アフリカの支持を得られないと踏んで安保理にG4案の採択を図ることを断念した後だったが、マリ前大統領であり、初代AU(アフリカ連合)委員長として選出されたコナレ氏との会談について内閣広報室が伝えているほんのさわりの部分を紹介すると、小泉首相が<アフリカにも常任議席を与えるべきというのが我が国の立場であるとしつつ、アフリカでの議論の現状を照会した>ところ、コナ氏はアフリカ票が欲しいことからの反対給付にもならない誘い水だと承知していたのだろう、<日本に対していつも言っているが、我々は日本の常任理事国入りを支持しており、それを支持しないアフリカの国は知らない旨述べた。>と前置きして、<アフリカの立場はアフリカに拒否権付きの常任2議席が与えられるべきだというものだが、これが世界のコンセンサスを得るのは難しいことは分かって>いるとして、<いずれにせよ、アフリカ諸国も日本の常任理事国入りが重要だと確信しており、日本に協力していきたいと考えている旨述べた。>と、中国に次いで2番目を条件としての支持だということを喉深くに飲み込んでいたからこそ言えるG4案では見せなかった支持を表明したと言う。

 このような諸状況下の小泉アフリカ訪問は中国によってもたらされた失地回復の旅なのだが、アフリカのG4案態度はアフリカに与える実質的な利益性が遠隔操作させた不支持なのだろうから、胡錦涛中国国家主席に先を越された訪問時期や相手の2度目の訪問回数に対してやっと1度目を果たした訪問の実績、さらに一度は後退させた日本のODAの倍増計画が中国援助の増大への対抗策であるといった点などから読み解くとすると、中国の後を追いながら失地を回復させようとした後追い外交ということにはならないたろうか。

 後追いとはなぞるだけのことを言い、なぞりから出ない暗記教育と同じ力学に立つ。いわばただ単に中国の動きをなぞって跡を追いかけたに過ぎない外交で終わっていると言うことだろう。

 創造的な外交術に至らない後追いの暗記教育外交に過ぎなかったからこそ、アフリカ諸国に「今世紀は日本が世界を引っ張る。我々は日本のすぐ後ろにいたい」と言わしめる程の創造的外交力を見せることはできなかったということだろう。

 中国は小泉アフリカ訪問から半年後の昨06年11月に北京で「中国・アフリカ協力フォーラム北京サミット」を開催している。<フォーラムは00年に閣僚級で始まった。3回目を迎えた今年、中国とアフリカとの国交樹立50年を記念して首脳を招いたサミットへと発展。「新しい戦略パートナーの関係を打ち立てる」(唐家璇国務委員)として、今後3年間の中国からの援助など、広範囲な協力の拡大を促す「北京宣言」を採択する。
 48カ国のうち、41カ国は国家元首、首相が出席。>(06.11.4『朝日』朝刊≪中国「アフリカ熱」・48カ国が北京に集結・「資源」「台湾」「国連票」狙い・「政治抜き」援助に批判≫)。

 <フォーラムは00年に閣僚級で始まった>。小泉アフリカ訪問に先立つ6年も先んじ、訪問から3年後には<48カ国のうち、41カ国は国家元首、首相>を集わせることも可能とさせた発展を見せている。

 中国も政治家・官僚の汚職は目に余るものがあると言われ、報道もされている。日本の政治家・官僚にしても汚職、公費・税金のムダ使い・私腹肥やしは目に余るものがある。このような卑しい負の面での条件は似たり寄ったりなのに、外交力となると似たり寄ったりとはいかない。暗記教育外交の範囲にとどまっている、その劣りようの原因はどこにあるのだろうか。

 中国は体制を問わないなり振り構わない外交(<「政治抜き」援助に批判>)だと言うが、かつては日本もインドネシアのスハルト政権をその独裁体制を問わずに援助し、スハルト一族に利益を集中させる同族主義に力を貸したし、軍事政権のミャンマーの最大の援助国でもある。

 日本の首相がサウジを訪問したのは2003年5月にエジプトと抱き合わせで小泉前首相が訪問して以来の2度目の今回の安倍サウジ訪問である。

 一方中国対サウジの関係を見てみると、2006年4月に中国の胡錦涛国家主席がサウジを訪問、アブドラ国王と会談し、<「双方は両国の友好協力、戦略的友好協力関係の継続的な発展について重要な共通認識を得た。」>(「人民網日本語版」2006年4月23日)としている。

 どの程度の歓待ぶりかと言うと、<サウジアラビアを訪問した外国の要人に諮問評議会での演説の機会が与えられるのは稀有なことである。それだけにサウジ政府が今回の胡錦濤・中国国家主席の来訪を極めて重要視している証左といえそうだ>(中東・アフリカ資源外交を成功裏に終了させた胡錦濤・中国国家主席/(財)国際開発センターエネルギー・環境室/研究嘱託・ 畑中美樹)

 対してサウジは胡錦涛主席のサウジ訪問に3ヶ月先立つ2006年1月にサウジ側から先にアブドラ国王とファイサル外相が中国を訪問、人民公会堂で胡錦濤国家主席と会談し、戦略的な友好関係を構築していくことで双方は合意している。中国訪問はインド、マレーシア、パキスタンの3カ国を加えた4カ国歴訪の一環だが、日本はその中に入っていない。今回の安倍サウジ訪問にしても、諮問評議会で<演説の機会>を与えられる程の熱意ある特別待遇を与えられたのだろうか。インターネットで報道記事を漁ってみたが、〝安倍 サウジ 諮問評議会〟で引っかかる記事は皆無であった。

 サウジアラビアからは1971年にファイサル国王が訪日しているものの、ファハド国王の後継者となった現アブドラ国王が皇太子時代に、2006年1月の国王としての中国訪問に先立つ8年前の1988年に訪日していながら、国王となってからの訪日は実現していない。安倍<首相が「都合の良い時期」の訪日を招請したのに対し、国王は「ぜひ訪問したい」と応じた>(FujiSankei Business i. 2007/4/30 ≪石油備蓄、新たに検討 安倍首相とサウジ国王≫)そうだが、実現したとしても、中国とサウジ両首脳の相互訪問の後の日・サウジ相互訪問であり、後追いの感じが否めない外交となっている。

 「FujiSankei Business i.」は< 安倍晋三首相は28日夜(日本時間29日早朝)、リヤドの国王宮殿でサウジアラビアのアブドラ国王と会談し>、<両首脳は、経済だけでなく文化、教育など幅広い分野で両国の重層的発展を目指すことを確認。「戦略的パートナーシップ」構築に向けた共同声明を発表した。>と伝えているが、中国はアフリカ諸国と<「新しい戦略パートナーの関係を打ち立てる」(唐家璇国務委員)>政策で臨んでいるだけではなく、既にサウジとも確認しあっている約束事項であり、中国を向こう側に置いてサウジと重なる分、当然効力は相殺される。その相殺量はどちらを「戦略的パートナーシップ」として重点を置くかで決まってくる。

 胡錦涛主席には外国要人には与えられることが〝稀有な〟「諮問評議会での演説の機会」が与えられ、安倍首相には与えられなかった差が重点を決定しているとしたら、サウジは日本との関係でそれ相応の自国国益を追求する範囲内で日本を大事にするだろうが、日本とサウジ間の「戦略的パートナーシップ」はサウジと中国の間の「新しい戦略パートナーの関係」の跡を追う形でその有効性を獲ち得る後追いの関係に立たされることを意味する。

 安倍首相は昨年の首相就任前に日米豪印の戦略対話を目指す「安倍構想」を打ち上げているが、インドにしても自国経済の発展に経済で先を行く中国との関係を必要としているだけではなく、中国と国境を接している地政学的見地からも中国包囲網と映りかねない「戦略対話」関係に進めるはずもなく、インドを仲間に入れようとしたこと自体、印中関係の諸要素を計算に入れることができなかった、中国を囲む形になれば日本にとって望ましいというだけの1+1をなぞって2の答を得るに過ぎない暗記教育的発想から出た外交「構想」なのだろう。

 暗記教育を土壌とした暗記知識自体が内側に実質的創造性を育みにくい、形式の応用で終始するハコモノ思想の形を取るが、日本の外交の他国の外交をなぞることに終始している後追いの暗記教育形式はそこから始まって、暗記教育そのままに創造性への発展もなく受け継がれている外交様式なのだろう。

 毎日新聞が4月(07年)28、29両日に行った内閣支持率世論調査によると、<安倍晋三内閣の支持率は43%で、3月の前回調査より8ポイント上昇>、<不支持は33%で9ポイント減り、1月の調査以来3カ月ぶりに支持が不支持を上回った>(2007年4月30日 3時00分毎日新聞 ≪本社世論調査:内閣支持率、43%に上昇 不支持と逆転≫)ということだが、主な内容を列記してみると、

 支持理由
「若くて清新なイメージがあるから」―46%(トップ)
「指導力に期待できるから」―15%(前回比5ポイント増
 )
 不支持理由
 「指導力に期待できないから」―41%(最多だが、前回
 比2ポイント減)となっている。

 「指導力」への期待が15%で、失望が41%。それと比較した失望の41%を上回る「若くて清新なイメージ」への期待が46%というのも、「指導力」という内実性(=中身)を無視・排除して外側の見た目のよさ(=ハコモノ)をなぞるだけの判断を基準としているからで、それを可能としている構図はやはり知識を表面的になぞることで成り立たせるのみで、そこに独自の考えを介在させない暗記教育慣習からの判断なのだろう。

 そのような国民の暗記知識判断と対応した日本の後追い暗記教育外交と言える。

 安倍首相は中東訪問国のアラブ首長国連邦(UAE)訪問中に<テロ特措法に基づいてインド洋で米英艦などに補給支援活動に当たっている海上自衛隊の支援部隊を、首相として初めて激励に訪れ>、<「甲板上は気温が80度にも達すると言われる中、高い技量と士気を維持できる海上自衛隊の技術は世界トップクラスだ。最高指揮官として、諸官らを改めて大変誇りに思う」と隊員の労をねぎらった>ということだが、その言葉をそっくり借用して、「日本国民として、後追い暗記教育外交に終始している日本の美しい安倍首相を改めて大変誇りに思う」と、その労をねぎらってやりたい。

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