閣僚自殺も「戦後レジームからの脱却」の一環なのか
閣僚から自殺者を出した安倍内閣の名誉とは29日(07年5月)の朝日新聞が≪現職閣僚自殺戦後はじめて≫と題して説明している。
<現職閣僚の自殺は現憲法下で初めて。これで戦後の国会議員の自殺者は7人となった。05年に自民党の永岡洋治衆院議員が、98年に新井将敬衆院議員、83年に中川一郎元農相が自殺している。このほか、社会党の松本幸男衆院議員、91年には自民党の名尾良孝参院議員が、それぞれ病気を苦にしたとみられる理由で自殺している。
また。45年12月には、戦犯容疑者となった近衛文麿・元首相が出頭直前に服毒自殺した。
戦中の43年には時の東条英機政権と対立していた中野正剛衆院議員が、憲兵隊からの取調べを受けたあと割腹自殺したこともある。>
≪戦後はじめて≫。何という名誉だろうか。現職閣僚から自殺者を出した内閣として、安倍内閣は永遠に記憶され続けるべきだろう。中学校・高校の教科書にも載せるべきである。
カネや口利きに関わるいくつもの疑惑を既に抱えていた人物を閣僚に起用。起用後にパーティー券代100万円を政治資金収支報告書に記載していなかったことや家賃不要の議員会館事務所に事務所経費を計上していたといった疑惑の上に疑惑を築く新たな疑惑が持ち上がって疑惑ぶくれした閣僚を政権運営と支持率確保の損得勘定から擁護。その果てに林道整備事業をめぐる入札談合事件で逮捕者を出した独立行政法人「緑資源機構」の事業受注会社から政治献金を受けていたことが判明してさらに進行させることとなった疑惑ぶくれに本人が耐えられなくなったのか自ら生命を絶たしめるに至り、疑惑ぶくれに終止符を打った。
いわば戦後初という、現職閣僚自殺者を自らの内閣から出す名誉を疑惑に目をつぶることによって安倍首相は自ら成し遂げることとなったのである。これは自殺者である松岡現職疑惑閣僚と安倍首相の共同作業による金字塔の打ち立てではないか。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を重要な政策の柱の一つとしている。「戦後レジーム」にはなかった現職閣僚の自殺を「脱却」を目指す過程で生じた。意図せざる事態だったとしても、「脱却」事業の一つと見るべきだろう。
あるいはこういうことではないだろうか。松岡自殺は安倍首相がいくら「戦後レジームからの脱却」を掲げたとしても、現職閣僚から自殺者を出す程度のことしかできないことの象徴として生じた突発自体だったのかもしれない。
そのことは昨日のNHKニュースが暗示している。
「塩崎官房長官は、午後の記者会見で、各種の世論調査で安倍内閣の支持率が下がったことについて『国民の関心の高い政策には特に力を入れて頑張っていく』と述べ、国民の関心の高い政策で実績をあげることで支持率の回復を図っていきたいという考えを示した」といったことを言っていたが、国民の福祉・生活の向上を直接的な動機としてではなく、支持率回復を動機として「国民の関心の高い政策」を行う。それが安倍政治だと言うことだろう。
支持率に右往左往し、支持率のために右顧左眄する。そのような無節操・ご都合主義首相に「戦後レジームからの脱却」の何ができようか。現職閣僚から自殺者を出すことぐらいが精々だろう。