「子育てを思う」保護者そしてみなさんへ。少年法厳罰化の方向と併せて考える。
●授乳中や食事中はテレビをつけない。幼児期はテレビ・
ビデオを一人で見せない。
●インターネットや携帯は世界中の悪とも直接つながって
しまう。フィルタリングで子供を守る。
これは間違いです。大間違いです。
犯罪の多くは、その人間が置かれている環境と、環境が許容する機会の制約を受ける。
例えば、カネ欲しさから犯罪に走る場合、政治家や警察官、役人みたいに帳簿を操作して裏金を捻出するといった環境にいない、それゆえにそういった機会に恵まれることのない現場労働者といった人間が金銭的欲望を不正に充足させるためには、引ったくりや強盗、あるいは強盗目的の殺人とか、目的を達する機会が自分が置かれている環境の制約を受ける。
しかしその罰則となると、帳簿操作とかの頭脳犯(知能犯)と比較して、身体犯(通常は強力犯と言うが、身体を駆使することで労働を成り立たせる労働者の犯罪機会が同じ身体を行使する犯罪に方向限定されることを兼ね合わせて、身体犯と造語してみた)の方が遥かに厳しいものとなっている。刑罰は社会的地位と、地位に付属した社会的責任に連動させることによって、公平性が獲得できるのではないだろうか。
社会の上層に位置する人間はその地位にふさわしい役割を期待されている関係上、不正行為によってそれを裏切った場合、下位に位置する人間の不正行為以上に罰則を厳しくしてこそ、初めて社会的にバランスを取ることができる。
既に十分に大人になっていて、当然社会的常識を十分に弁えていていい警察官や役人、政治家が税金である公金をどのような形であっても、1000円私物化したなら、一切情状酌量なしの1日の拘禁処分とするぐらいに少年法の厳罰化以上に厳罰化する。1万円で10日間。10万円で100日間。
拘置所にテレビカメラが入ることを許して、社会にいて社会的地位の高い者として何様に振舞っていた気位がウソみたいに萎んで不様に打ちひしがれた哀れっぽい政治家や官僚といった入所者の姿を映し出して社会に知らしめるのもいいだろう。
当然新聞・テレビの報道機関は、特にテレビは今日は官僚の誰々が拘禁されることになった、あるいは国会議員の誰それが拘禁何日目を迎えたとニュースで取り上げることになるだろうし、ワイドショーでは番組専属のリポーターを拘禁者の懲戒免職される前の勤務先や家近所にまで押しかけさせ、職場の同僚には仕事の有能ぶりや失われることになった将来性の期待度を尋ね、家族にはその一員が社会的責任を裏切って囚われの身になったことに対する家族としての心境を突つき出す。隣近所の住人からは、「そんなことをする人に見えましたか?」、「いいえ、家族思いの真面目な責任感あるお役人様にしか見えませんでした、議員様にしか見えませんでした」、「顔を会わせると、いつも丁寧にお早うございますと挨拶されて・・・。まさか奥様を裏切って、愛人の方におカネを貢ぐために公金をくすねたなんて、今以て信じられません、あの方が――。私には色目一つ使ってくれなかった」といった引き出せる限りの反応を引き出して、引き出せなければ、内容を捏造してまで日中の重要な視聴者である奥さま族の嗜好に合うように面白おかしく料理して報道すれば、そのニュースをその日の夕方までどころか、次の朝、あるいはさらにその日の昼、あるいは報道相手と事と次第では二日も三日も引っ張って奥さま族を、奥さまになっていない女性まで含めてうまく釣って視聴率を稼げぐといったことをする。
いわばその手の番組の高い視聴率は女性の食事中・授乳中だけではなく、妊娠中もそういった番組に一日の多い時間に亘り引きずり込むことによって裏打ちされる。
女性が意識してそうせずにテレビ漬になっていたとしても、結果的に子供は母親の胎内にいるときから、国会議員から県市町村まで含めた地方政治家までカネを誤魔化す先生方、あるいは中央省庁から地方自治体まで含めた役人たちのカネを誤魔化す先生方が多いことから、毎日のように報道されることになる誤魔化したカネ1000円に付き1日単位で拘束されるシャバとは裏腹の哀れな姿を母親の感覚を通して胎教と同じ構図で無意識下に感じ取り、この世に生を受けてからも母親の食事中、授乳中に関係なしのテレビの見っ放しを通して、画面に映し出される政治家・官僚、役人の姿が地位や役目に反してウソや卑しい欲望に身を任せた社会的裏切りが与えた因果としてある落魄だと知らず知らずのうちに学んでいく。
つまり母親がテレビばかり見ることによって、子供は母親の胎内にいるときから偉い人たちの不正を働いた場合の因果の構図を学ぶ機会が与えられる。その構図を反面教師の教訓としない者がどれ程いるだろうか。そういった人間になることは恥ずかしいことだと、恥の感覚で把えない子供はどれ程いるだろうか。政治家・官僚と同じ轍を踏んだ者は、余程のバカということになるだろう。彼らの背中を見て、自分の背中をつくり上げて言うというわけである。
教訓とした子供が小学生、中学生となってパソコンに向かうことになれば、国を越え、時代を遡った政治家や官僚・役人の類の卑しい不正行為・コジキ行為探索が興味の対象の一つに加えられることになるかもしれない。
当然、母親は妊娠中・授乳中・食事中に関係なくテレビをつけ、幼児期だろうと何だろうとテレビ・ビデオを一人であっても見せ、インターネットや携帯は思う存分、好きなだけさせる。それを学問のススメにも通じる子育てのススメとすべきだろう。
そのような子育てのススメを子供が胎内にいるときから始めることによって、「最初は『あいさつをする』『ウソをつかない』など人としての基本を、次の段階で『恥ずかしいことはしない』など社会性を持つ徳目を教える」といった<「子育てを思う」保護者そしてみなさんへ>のススメは遅きに逸する教えとなり、少年法の厳罰条文も適用されることが少ないスローガンと化していく。
そのように仕向ける唯一絶対の条件が先に記した大人の犯罪の厳罰化というわけである。
この主張は先にブログ記事とした「道徳教育教科化/政治家を教材とすべし」(07.4.27/金曜日)の主張とも合致する。