合格水増しと「政治とカネ」

2007-07-27 01:15:23 | Weblog

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 『いま リベラルが問う』
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 《戦うリベラル》が厳しい論法で右翼反動に迫る !
 累計500万アクセス数を誇る
 白川勝彦(元自治大臣) の人気ブログ『永田町徒然草』を単行本化

 Part1 2007年3月1日~3月15日 
   「これからの政治カレンダー」
   「最近の自民党について」
   「総括・小泉純一郎」など
 Part2 2007年3月16日~3月31日
   「いよいよ明日から都知事選」
   「無党派層って?」
   「安倍内閣の無定見な一例」など
 Part3 2007年4月1日~4月15日
   「専守防衛論の危機」
   「都知事選の結果について」
   「野党の覚悟」など
 Part4 2007年4月16日~4月30日
   「民主党の支持率を考える」
   「怪しげな教育再生論議」
   「右翼反動政治家の特質」など
 Part5
   自公合体政権批判
 Part6
   私の「健康生活」実践記
   3ヶ月で13キロ減量 変わる、物を見る目と考え方
 
  安倍首相は憲法改正を内閣の課題として打ち出し、
  国民投票法も成立させた。
  「やれるものならやってごらん。
      君には憲法を語る資格などない。君は敗れる」
 
  白川勝彦・略歴

   1945年6月22日新潟県十日町市に生まれる。東
   大法学部卒業後、弁護士となる。34歳で初当選、以
   後2000年まで自民党代議士として国会に籍をおく
   。国土政務次官・郵政政務次官、衆議院商工委員長、
   自治大臣・国家公安委員会委員長などを歴任。
   公明党との連立に反対して2001年自民党を離党。
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  では本題、『合格水増しと「政治とカネ」』

 学校が受験料を負担し、優秀な1人の生徒に大学の73の学部・学科を受験させて全部合格したご褒美に5万円まで与えていた大阪学芸高校の「合格実績」水増しが他の高校でも生徒集めの有力な学校宣伝方法として利用していることが判明した。

 大学入試センター試験の結果だけで合否を決定する大学の存在がそれを可能としているということだが、何とも涙ぐましい努力をしているものである。と言っても、つい最近までプロ野球の観客動員数、雑誌出版の発行部数でもやっていた水増しである。テレビの健康番組で効果を水増しする捏造も似たようなものだろう。みんなやっている、あるいはやっていた水増し作戦とも言える。

 つい最近では東京都足立区立小学校が区独自の学力テストで3人の障害児童の成績を外して集計したり、教師が誤答している児童の机を叩いて知らせたりして(07.7.8『朝日』朝刊≪テスト集計 障害児除外≫から)学校全体の成績を底上げする涙ぐましい学校努力(企業なら企業努力)も同質の「水増し」に当たるはずである。

 それ以前は昨年10月に判明した受験科目に入っていない世界史等の必修教科を必修させずに受験科目の授業に振向けていた全国的な履修放棄問題も、実質的には「合格実績」水増しを狙ったそれぞれの学校努力だったはずである。

 必修科目の履修放棄問題が起きていたのと同じ昨年末には政府主催のタウンミーティングでヤラセ質問による情報操作問題も起きていたが、同じ時期に足立区教委は学力テストの成績に応じて区立小学校の予算を配分する方針を批判を受けて撤回している。但し、撤回したものの、テスト結果の伸び率を予算配分の主要な判断材料とするとのこと(06.11.8『朝日』朝刊≪ランク分け予算撤回 足立区教委≫)。

 各小学校は否が応でもテストの成績向上に特化した授業展開を強迫観念化されたに違いない。しかも足立区は学校選択性を採用している。学校選択性に応えるための競争を余儀なくされ、予算配分でもテスト成績底上げバトルのリングに常に立っていなければならない。

 障害児童成績外しの小学校は足立区の学力テストで05年度は全72校中44位だったが、06年度は栄誉ある1位に輝いているとのこと。涙ぐましい努力が実ったということで、今年度も引き続いての障害児童の成績外しや誤答児童への注意喚起(プロ野球の監督も顔負けのブロックサイン?)等々のウルトラDとまでいかないかもしれないが、ウルトラCクラスの離れ業を敢行したといったところだろう。

 ≪テスト集計 障害児除外≫の記事はこう説明している。<区教委は、障害があったり外国人で日本語が不自由だったりする児童生徒の答案は校長判断で集計から除くことを認めており、「今回の校長の判断は適切だったと思う。ただし、保護者に説明して了解を得るべきだった」としている。>

 予算配分にしても学校選択に関しても、学校評価がテストの数字の高い低いを主たる基準に決定付けられる。だから、数字の足を引っ張る障害児の成績排除の「校長の判断は適切だった」ということになる。

 但しそういった一種の制度がテストの結果の数字に対してだけではなく、普段の授業の場でも、他の生徒のテストの成績数値につながる理解速度を阻害する障害物として疎まれる――とまでいかなくても、歓迎されざる存在としていないだろうか。リレー競争で、あの足の遅い子が自分のチームに組み分けされなかったなら優勝できただろうにと悔やまれる存在とされるようにである。

 テストの数字を決定要因としている学校評価に対応して当然の結果性として数字に貢献した生徒程、いわば高い数字を上げた生徒程、高い評価を受けることとなる。生徒それぞれの人間的価値観がテストの成績を表す数字によって左右されるわけである。

 こういった学校評価の構図が履修放棄問題も含めて誘発することとなった私立高校の「合格実績」の水増しということではないだろうか。

 尤もこのような学校価値観・生徒価値観は今に始まった日本の風景ではなく、日本人の精神に根付いている伝統的な価値制度を受け継いだ現風景に過ぎない。人間を家柄や門閥、地位で計る伝統的な権威主義的モノサシをテストの数字にまで当てはめて、同じく人間の価値に振り替えているに過ぎない。

 「政治とカネ」の問題が今騒がれているが、カネの力で有権者や官僚を動員して政治力を底上げし、当選回数を重ねて地位を獲得していくのも、テストの数字をカネの数字(金額)に変えただけのことで、本質的には同じ価値形成の流れを汲むものだろう。カネを政治の力としていることは表沙汰にはできないことだから、隠れた場所で事務所費の付け替えや架空計上といったカネの操作が必要となってくる。あるいは政治献金を政治資金収支報告書に記載せずに、政治の力として自由自在に活用できるように裏ガネにまわしたりする。障害児童の成績を外したり、誤答児童にブロックサインを送ったりするようにである。あるいは予算配分でテスト成績底上げの圧力をかけるようにである。

 児童・生徒にとって元々自己存在を支えていたテスト価値観、あるいはテストの数字信奉を現在程に加速させることになったのは、断るまでもなく小泉・安倍の両内閣の教育改革意識、あるいは両者自身の改革意志を形づくっている競争原理一辺倒の政治思想であって、それがテストの成績という数字になお一層の力を与えることとなった。

 昨年末の高等学校の必修科目の履修放棄問題やタウンミーティングでのヤラセ質問問題勃発に先んずる昨年春に小泉・安倍は競争を加速させることとなる学校への教育バウチャー制度導入を検討している。

 <(06年)4月19日経済財政諮問会議で、小泉首相が身を乗り出した。「それで具体的にどう変わる」
 民間議員の牛尾治朗ウシオ電機会長や規制改革・民間解放推進会議議長の宮内義彦オリックス会長が、人気の高い小・中学校に資金がより多く集まるよう促す「教育バウチャー(利用券)制度」の導入を訴えたときだ。議論は急に盛り上がった。
 安倍長官「人気のない小学校、中学校は生徒が集まりにくくなる」
 二階経済産業相「廃校になってしまう」
 小泉首相「それで反対があるわけか」
 牛尾氏「競争になって困るところは反対、歓迎のところは賛成する」
 学校・教員数に応じた現行の予算配分を、学校の選択制のもとで児童・生徒数が増えた学校には多く、減った学校には少なく割り当てるように変えるものだ。児童・生徒を増やそうと学校が競い合えば「教育の質」も上がるという理屈だ。
 小泉政権の5年余りで、教育政策にも「競争原理で解決を」との発想が一気に強まった。流れを作ったのは経済界だ>≪分裂にっぽん3 揺らぐ「約束」 公教育「底上げ」思想薄れた≫(06.9.17.『朝日』朝刊)

 未だ検討の段階で導入されてはいないが、安倍晋三もしっかりと加わって示すこととなった「人気のない小学校、中学校は生徒が集まりにくくなる」ことも「廃校になってしまう」こともいとわない諸々の競争原理導入意志が学校選択性や学力低下評価に向けて学校側が土曜日や夏休みなどでの授業時間増の対策を取らされることとなった危機意識と、今年4月に行われた文科省主催の小中高校の全国一斉テストの結果を受けた全国的な学校序列化につながりかねない学校評価への危機意識などとが相まって学校のテスト価値観・テストの数字に対する強迫意識を強めたことは間違いないだろう。

 安倍晋三とその一党は国家主義の立場から日本の教育の国際的な地位といった国の体裁、国の優越性に拘るあまり、だからこそ国家優先の愛国心教育に行き着くのだが、そのことにだけ目が向いて、カネを政治の力としているように、結果としてテストの数字を人間存在の力としていることに単細胞だから気づかない。

 自らもカネを政治の力としてきたから、政治資金規正法改正で5万円以上の支出の領収書添付を政治資金管理団体に限り、その他の政治団体はその限りではないとする抜け道を残しておいたのだろう。

コメント
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