日本記者クラブ主催「7党党首討論会」(07.7.11)。小沢民主党代表の安倍首相に対する質問の「年金問題」に関わる答の部分。
安倍「私共は行き先の決まっていない5千万件についてでありますけれども、この5千万件については、今年の12月から来年の3月まで、に於いてですね、いわば調合を行います。そして、調合できた人から順次、追加的記録があれば、分かりやすい通知をいたします。それを来年の3月に通知を出して、置いていく、ということでございます。そしてさらに、それ以外の方々、いわば全員でございますが、それを行えば全員ということになるわけでありますが、年金定期便の、まあ、特別便といたしまして、年金加入履歴を送付するということになっているわけでございます。
まず、優先順位として、これ、まあ、コンピューターの技術的問題でありますが、優先順位として、まず、記録の名寄せ、突き合わせを優先して行います。そしてその通知を出す方がやはり先ではないかと、そう考えたからであります。そして――」
司会「安倍さん、持ち時間が過ぎています」
安倍「すみません――」(呼びかけの「すみません」)
司会「簡潔にお答えください」
安倍「簡潔に行きたいんですが、たくさん質問いただいておりますんで、一問一答であればよかったんですが、一度にたくさんの質問をいただいているもんですから、ええ、纏めてお答えをさせていただかないと、答えに、ええ、ならないのかなあと、そう思います。
そしてこれは来年の10月までに、10月を目途に、それ以外の方々については通知を、履歴について、おー、通知を出す方向です。それは、いわば、それは、いわば、技術的な問題も含めてしっかりやっていくということでございます。・・・・」
司会から「簡潔に」と注意されたが、持ち時間を過ぎてもこれ以降延々と喋り続けた〝心臓〟は晋三だけあって、美しく、素晴らしいものを持ち合わせているようである。討論を始めるに先立って、テレビの視聴者等への理解も含めてのことだろう、7党党首にルールの説明が行われたが、党首討論を行うに当たって前以てそれは受けていたはずで、また民主党代表の小沢一郎から纏めて受けた質問に順次答えていくとき、安倍首相は机に目を落としていたから、質問要旨も受け取っているはずである。
いわば「一問一答」でないことは最初から分かっていたはずで、それを「一問一答であればよかったんですが」と持ち時間延長の理由とする。主催者側はルールはルールとして厳しく発言を差し止めるべきだったが、ルールよりもなあなあの馴れ合い、あるいはまあ仕方ないかの迎合から、それができなかったに違いない。原則なき国民と言われる所以である。
自殺松岡と現存赤城の事務所費疑惑も、ルールをルールとしない原則無視の現れの一つであろう。
「一問一答」でないことを承知の上で、それを逆手に取って、神経戦を狙って意図的に持ち時間内の答弁を心がけなかったといった高度な権謀術数は単細胞な安倍首相には無理な期待で、単に簡潔に纏める話術が欠如していただけのことだろう。
その理由は安倍晋三なる政治家は創造性に欠けることから政策の人ではなく、それを埋め合わせる上辺の言葉の人であることを本質としていることから起こっている。上辺の言葉で以って自己の政治家性を成り立たせようと涙ぐましいまでの努力をしている。
社会的成果を見ないうちに、いくつ法案を通したとか、国会を通過させた法案の数を勲章としているところに上辺の言葉の人であることが象徴的に現れている。政策は上辺の言葉では勲章とすることはできない。あくまでも〝実態〟である。社会にどう働きかけることができて、その働きかけに社会がどう応じたか、その〝実態〟が評価基準となる。その手続きを踏むまで待てないから、勢い上辺の言葉で以って勲章とすることになる。
政治家として公の場で普段使う言葉にも上辺の言葉の人である片鱗を随所に窺うことができる。上記討論の言葉から例を取ると、一度で済む言葉遣いを二度繰返すくどい言い方や格式ばった馬鹿丁寧な言い回しは本人は聞く者の心に訴えることができると信じて使うのだろうが、言葉のための言葉となっているに過ぎない。
「来年の10月までに、10月を目途に」とか、「私共は行き先の決まっていない5千万件についてでありますけれども、この5千万件については」といった一度の言い回しで済むところを二重に繰返すことで話の体裁を整えるやり方。
あるいは「5千万件については」で済むところを「5千万件についてでありますけれども」とか、「今年の12月から来年の3月まで、に於いてですね」の「於いてですね」、「置いていきます」で簡潔に済ませるところを、「置いていく、ということでございます」など、ことさらに言い方を格式ばらせ、結果として馬鹿丁寧になっているところなどは言葉で以て見栄えを心がけていると言うことだろう。
さらに例を挙げると、「そしてその通知を出すほうがやはり先ではないかと、そう考えたからであります」と言っているが、「先ではないかと考えています」で済むところを、「やはり先ではないかと」と言って、一旦一呼吸置いてから、「そう考えています」と余分に言葉を使って格式ばらせている。
安倍首相は「~に於いて」と言う言葉を好きらしく多用しているが、「~に於いて」は現在では一般的には文章言葉であって、話し言葉ではない。明治・大正・戦前昭和と戦後昭和の一時期まで、演説に「~に於いて」は好んで用いられたようだが、それは演説を漢文口調にして格式ばらすための方便として使われたはずである。それを戦後もはるか遠くなった現在に、戦前国家主義者だからなのか、安倍首相が好んで使う言葉の一つとなっている。「戦後レジームからの脱却」は格式ばった物言いの「脱却」から始めるべきではないか。
今回の党首討論でも得意げに大見得を切っていた、安倍首相十八番となっている「責任政党とは何か、政権を担うこととは何か。それはできることしか言わない、約束したことは必ず実行していくと言うことであります。私はお約束したことは必ず実行していきます」という下りにしても、本人が気づいていないだけのことで、言葉のための言葉――上辺の言葉の連続となっている。
と言うのも、国民すべてに共通する利害など存在しないからだ。当然国民すべてにそれぞれが望む利益を約束できる政策など存在しようがない。いわば〝利に対して〝害〟を背中合わせした局面を政策を常なる宿命とするから、全体として利害をせめぎ合わせることとなる。憲法9条の改正か否かは、まさにこの構図に当てはまる利害局面を表している。
それをすべての国民に対して「できる」こととして「約束」することができ、「お約束したことは必ず実行していきます」と平気で確約できるのは、実際にはできないことを言葉で約束する言葉のための言葉でしかないからだ。言葉で以って自己をさも有能な政治家に見せようと気張っているに過ぎない。
民主党の年金加入履歴をすべての国民に安心を与えるために直ちに通知せよという要求に対して、安倍首相は5千万件については調合後、「追加的記録があれば、分かりやすい通知」の送付を優先させ、その後でそれ以外の残る加入者に対して「年金特別便」の形で(公明党太田代表が「年金特別便」は公明党の発明であると自慢げに宣伝していた)年金加入履歴を送付するといった自公の主張は誠実な姿勢を持っていたのでは考えつかない政策であろう。
「特別」と断った「特別便」には、国の過ちで起こったことを、国が特別の計らいで行うとする恩着せがましさのニュアンスを含んでいるからである。実際は「特別」でも何でもなく、本来ならば不安や心配、怒りを与えたのだから、謝罪の上にも謝罪のノシをつけてごく当たり前に行わなければならない加入履歴送付であろう。
受け取る国民にしても「特別」に行われることとされたら、腹を立てることになるに違いない。例えば何人もの人間の借金を踏み倒した男が、そのうちの一人にとっ捕まり、「俺が貸したカネを返せ」と言われて、「じゃあ、あなただけには特別にお返しします」と言ったとしたら、他と比較した扱いとしては特別であっても、返金そのことに限った場合は特別でも何でもなく、当たり前のことなのだから、それを「特別」とするのは恩着せがましいだけのことだろう。
「国民のみなさま」などといっているが、国家権力者として上に立って国民を下に見ているから、僭越にも「特別便」などと銘打つことができる。何ともおこがましい名称であり、何とも恩着せがましい発想だと思うのは私一人だけだろうか。