久間原爆投下容認発言(1)/「誤解」レベルで容認の安倍対応

2007-07-02 17:52:38 | Weblog

 <久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」>(07年7月1日『朝日』朝刊≪久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」≫)

 安倍首相「唯一の被爆国である日本の、日本の使命はまさに究極の目的である核の廃絶においてリーダーシップを発揮してかなければならない防衛大臣としての核の廃絶について、これから大いに力を発揮していただかなければならない、と思うわけでありますが、国民のみなさまに誤解を与えるような発言については、まことに慎んでいただかなければならない」(07年7月2日TBS「みのもんた朝ズバッ」でみのもんたによるフリップの読み上げ)

 塩崎官房長官「国民の誤解を招くようなことはあってはならない・・・・」(07年7月2日昼のNHKニュース?)

 安倍首相も塩崎切れの悪い眠り狂四郎官房長官も久間発言を「誤解を与える」・与えないレベルで把えている。勿論、「誤解を与える」主体は久間防衛相自身ではあるが、同時に「誤解」する主体を「国民」に置いている。いわば国民が誤解する、そういう発言は慎むべきだと言っている。

 ということは、一見誤解を与えた側の責任を責めているように見えるが、「誤解」という間違えた反応・間違えた認識自体はあくまでも国民を主体としているのだから、「誤解」という食い違いを招きやすい内容だったが、発言自体は間違っていないという趣旨の久間擁護論であろう。

 そういう把え方をしているから、注意処分には値するが、更迭や罷免処分には値しないという評価結果が出てくる。

 そう、国民は「誤解」したが、「しょうがないな」は間違った発言ではない、ホンネを言えば、「誤解」した国民の方が間違っているというわけなのだろう。

 安倍首相は「唯一の被爆国である日本の、日本の使命はまさに究極の目的である核の廃絶においてリーダーシップを発揮してかなければならない防衛大臣としての核の廃絶について、これから大いに力を発揮していただかなければならない、と思うわけであります」と勇ましいことを言い、久間防衛大臣に大いに期待しているところを見せているが、これは久間発言に対する国民の否定的な反応を見た上で、それを沈静化し、任命責任者としての自らの立場を守る必要が生じたことからの自己都合上の発言に過ぎない。

 これは「誤解」でも何でもない。かつて衆院特別委で「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」と「核の廃絶」どころか核所有も辞さない強い意志を持った政治家としての「リーダーシップを発揮して」いるのである。このことが都合上の発言であることを何よりも証明している。自分を守るためには何色にも自分を染めて平気な美しいばかりのカメレオン政治家なのである。歴史認識だって、都合のいい色に染めてしまう。

 安倍首相は核所有衝動を持った国家主義的政治家の立場上からしても、久間発言を間違っているとすることはできないわけで、このことが「国民のみなさまに誤解を与えるような発言」レベルにとどめていおかなければならない理由ともなっているのだろう。

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