赤城疑惑/安倍「法律で認められています」

2007-07-10 07:30:22 | Weblog

 安倍忠治「赤城の山も今宵限りだ」とならないか

 安倍内閣から再び閣僚の黒い疑惑が噴出した。参院選間近だというのに、野党側の誰かが狙い打ちしたクリーンヒットなのだろうか。与党側からしたらオウンゴールして、野党側に貴重な得点を与えるようなようなもので、それが与野党逆転のダメ押しとなったとしたら、悔やみきれないだろう。赤城農水省は戦犯に位置づけられるだけではなく、安倍首相に与えるダメージは計り知れないものとなる。

 もし赤城氏が自らの疑惑を世間に曝すことなく、安倍内閣を守る決定打を模索するとしたら、それは自らの恥を曝さないことにもなるが、松岡前農水相を見習って死人に口なしの自殺を選択するのが最も賢明、且つ最も有効な方法ではないだろうか。

 松岡前農水省は自殺によって、その疑惑はウヤムヤとなり、安倍内閣はある程度のダメージを受けたものの任命責任を取らずに済み、国会での法案の強行採決に次ぐ強行採決の強気の演出に転じて、国民の目をその方向に逸らすことができた。そして法案を何本通した、何本通したと、通した数を勲章とし、それを安倍内閣、特に安倍首相の手柄とした。

 法案成立は法律というハコモノをつくった段階に過ぎず、初期的成果でしかない。法律に定めたルールに従ってあるべき社会のルールを実現させ、社会の発展にどれ程寄与できたかによって、初めて法律の価値は生じる。

 従来の政治資金規正法が改正を重ねてきながら、どう重ねても「政治とカネの問題」が尽きることなく噴出するのは、いわば政治資金規正法に定めたルールを政治家たちのルールとし得なかった矛盾、あるいは欠陥を法自体が抱えていたことの証明であると同時に、法案成立がスタート地点を設けたに過ぎないことの証明でもあるだろう。

 今国会でも「改正政治資金規正法」を成立させたが、改正ルールを政治家たちのルールとし得るかはまだ未知の問題で、当然法案成立自体は勲章の対象とならないのだが、安倍首相は声を大きくしてそれを自らの成果として誇る。底なしの単細胞としか言いようがないが、そのような法案成立の数を誇る政治手法、支持率回復の苦肉策も久間前防衛相の核投下「しょうがない」発言が足を引っ張り、さらに赤城氏が念入りにもダメ押しを出す格好となり、すっかり形無しである

 8日(07.7)の日曜日のテレビ局は参院選を控えて各党の党首を集めて党首討論を開いていたが、どのテレビ局も赤城問題を取り上げていた。同じ日曜日の朝日朝刊は<また政治家の事務所費問題が浮上した。「政治とカネ」の問題を抱えたまま自殺した松岡利勝・前農林水産相の後任、赤木農水相も常駐職員のいない政治団体を実家に置き、多額の経費を計上していた。説明に終われた赤城氏は7日、「計上すべきものは計上した」と繰り返す一方、領収書の公表は拒んだ。参院選の公示が近づく中、野党は一斉に批判した。>(≪実家事務所 赤城氏「後援会の中核」 母は「最近使わず」≫)と冒頭部分で解説している。

 政治活動の実体のない事務所に諸経費を計上していたとするなら、経費の付け替えか架空経費の計上となる。昨年末に佐田玄一郎行政改革担当相は活動実体がないどころか、届出住所に存在しない幽霊事務所に経費を計上していたことが露見して辞任、名誉なことに現職から前職に身分を変えることとなったが、赤城氏の場合は事務所自体の住所は実家を住所としていて存在するが、両親の後で言い替えることとなった最初の証言と近所の人間の証言は活動実体のないことを示す証言となっていて、経費の付け替えか架空経費の計上の疑いが限りなく濃い状況となっている。

 安倍首相はNHKの「日曜討論」で、「まず、あの説明していない、実態を明らかにしていない、という指摘がありましたが、それは間違いです。ええ、昨日、赤城大臣が30分を超えて記者会見を行い、説明をしましたね。そして、そのときに何がポイントか、と言えばですね、まず架空だったかどうか。架空ではない。架空でない、ということについての説明としてですね、この事務所はおじいさんの時代からつくってきた事務所だと、そしてここに計上するのはこの事務所だけではなくて、水戸の事務所も含めての計上ですよ。と言うことになります。これは法律でも認められています。いわゆる〝ツクリ〟では全くないし、多くの人たちがそうしています。
 つまり、この事務所と水戸の事務所、合わせた人件費、光熱費、事務所費、ええ、そしてまた消耗品費等々ですね、ええ、のおカネを計上することができるんです。人件費もですよ。そして、17年度見てみますとですね、17年度見てみますと、光熱費月800円ですよ。月800円――」

 司会「17年度――」

 安倍「17年度ね、800円。そして事務所費3万円です。そして人件費は5万。つまり段々この事務所の占める率が低くなって、エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね。だから、そういう印象について、関係者の方々が、そうおっしゃったのかもしれない。そして、足し込んでいけば、かつては主たる事務所として、本当に主たる事務所として使っていたのかもしれない。人件費も入っていますから。人件費も入っていますね。人件費というのは例えば色んな事務所を足しこんだ人件費、ということになればですね、例えば民主党の議員の方もですね、人件費だけで、数千万っていう方は、1年間に方だっていらっしゃいますよ。だから、赤城さんの今のところはここのところよく――」

 司会「現状では問題ないということですね?」

 安倍「赤城さんは説明しておられませんでしたけども、例えば300円の――、800円、月800円の光熱費って、おかしいでしょうかね?」

 この後で志位共産党委員長が指摘しているが、光熱費は月800円としているが、全体では277万円であり、1999年は全体で1915万円、光熱費で見ると年間132万円、月割りで11万円。800円の130倍強となる。

 だから、安倍首相は「800円」を「800円」でしかない少ない金額だと思わせるために、「段々この事務所の占める率が低くなって、エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね」と予防線を張り、「月800円の光熱費って、おかしいでしょうかね?」と、少ない金額を根拠として架空でもない、付け替えでもないことの証明としようとしたのだろう。

 だが、実家の事務所と「水戸の事務所も含めての計上ですよ」とすると、両事務所の活動の比率と金額の変動とは連動しない関係式となり、それを無視した言い方となっている。ましてや志位委員長が指摘したように光熱費が「月800円」である17年度の年間の全体額が277万円と言うことなら、内訳はいくらでも操作できることで、例え小額の「800円」だったとしても、架空や付け替え否定の証明とはならない。

 また領収書を公表しない限り、「月800円」は安倍首相が「言っていること」に過ぎなくなる。その領収書を自分は見せられた、あるいは持っているとしたとしても、偽造領収書と言うこともある。

 それを「光熱費月800円ですよ。月800円」と小額であることを印象付け、それを物的証拠にしようと必死になっている。

 さらに「エエー、恐らく水戸の方の事務所の比率が高くなったんでしょうね」とか、「本当に主たる事務所として使っていたのかもしれない」、1999年の1915万円という高額の計上の説明を他のテレビでは、「その当時はたくさんの人を雇っていたんでしょうね」、両親が実家を事務所として使っていなかったと言っていることに対しても、「突然行って、こうなんですか、こうなんですか、と言ったら、驚いてですね、こう言った方がいいのかと思って、おっしゃるかもしれない。これは分からない」等々、推測の上に正当性を成り立たせている。

 赤城農水相が説明していないことを(あるいは説明できないことかもしれない)総理大臣たる者が推測までして説明を補足し、正当化に努めている。なぜ推測までして、補足しなければならないのか。

 それは事実を述べることによって説明を果たすことは不可能だから、説明を完成させるために推測を必要とするということだろう。推測だけではなく、「赤城大臣が30分を超えて記者会見を行い、説明をしましたね」の「30分」、「光熱費月800円ですよ。月800円」の「800円」、「人件費は5万円」の「5万円」、「人件費も入っていますから」の「人件費」といったふうな強調とその多さも補足説明に入る。

 赤木農水相としたら、安倍首相は任命権者であり、上司に当たるから、自らの身に生じた疑惑に関して安倍首相に釈明・説明の類を行うのは当然のことだが、それで本人の説明責任は終わるわけではない。国民の選択を受けた国会議員としてその負託を受けている以上、首相であろうと大臣であろうと、あるいはペイペイの議員であろうと、すべてに先んじて国民に対してこそ責任を負っているのであり、そうである以上、国民と常に向き合っていなければならない。それは説明という形でしか果たし得ない。説明以外の方法が他にあるだろか。

 すべてに先んじての「すべて」には法律の定めも入る。改正政治資金規正法が資金管理団体以外の政治団体の領収書添付の義務付けはなく、当然その公表は必要なしとしても、架空あるいは付け替えの疑惑が持ち上がった以上、国民に対する説明責任は残る。法律が決めているから、それでいいというわけにはいかないはずである。国民への説明を果たさないということは、国民と向き合わないことを意味する。国会議員として居座ることはできても、その時点で国民から受けた負託の資格を失う。

 任命責任者である首相には疑惑否定の説明を行ったが、必要不可欠としなければならない国民と向き合う形の説明の責任を果たさないでいる赤城農水相の態度を安倍首相は良しとし、赤木農水相と同じく、法律には違反していないと、法律のみで片付けようとしている。これを以て美しい遣り方だと、本人自身は価値づけ、勲章とすることができるのだろう。

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