今日の『朝日』朝刊。≪安倍首相の車に警護車が追突≫(07.7.15)
< 大阪遊説中、けが人なし
14日午前11時40分ごろ、堺市境区宿院町西3丁目の国道26号交差点で、大阪府内を遊説中の安倍首相を乗せた車が信号待ちのため止まったところ、すぐ後ろで警護に当たっていた府警の四輪駆動車が追突。さらに後続のジャンボタクシーが四輪駆動車に追突した。けが人はなかった。
四輪駆動車を運転していた警察官の前方不注意と見られる。>
短期決戦の場合、何事もスムーズにいってこそ、いい結果を得ることができる。途中過程でのちょっとしたつまずきも、ちょっとした滞りも、短期決戦であるからこそ、スムーズな進行とそれに見合う良い結果とのバランスの取れたあるべき関係を壊す象徴的な前知らせの役目を持つ場合が往々にしてある。
いわばちょっとしたつまずきやちょっとした滞りが後になって、望んだものではない悪い結果を前以て知らせる縁起でもない前兆であったことを理解するといったことがある。そういった経験からの学習が、逆につまずきや滞りが起きた時点で、悪い結果を予兆する縁起の悪い出来事ではないかと警戒することになる。
だからこそ多くの人間がそういったことを招かないように今日一日無事に事が運ぶようにと縁起を担ぐことになる。家を出るとき、あるいは選挙事務所を発つとき、神棚に手を合わせたり、必勝のお守りを懐に忍ばせたり、昼飯は〝トン勝つ〟を食べることに決めたりして、有権者の反応の獲得をも含めた予定した十全の活動がスムーズに運ぶことを祈り、願う。
安倍首相は自分の乗った車があろうことか首相である自分を警護すべき役目の人間が運転する車に追突されたとき、オールマイティに進むべきスムーズな移動と活動そのものを予期しないアクシデントで中断させられて、イヤーな感じがしたのではないだろうか。
特に様々な経験と起伏ある人生を送った者には、そういったアクシデントが不吉な前兆を示すことがあることを知ってもいるだろうから、ケチのつき始めにならないか、内心苦々しい思いで受け止めたということもある。
もしも選挙が与野党逆転という安倍首相にとっては悪夢にも等しい最悪の結果で終わったなら、追突事故はそのことを知らせる縁起の悪い前兆としての意味を持つに違いない。その可能性大だが、与野党逆転を防げたなら、結果にケチをつける出来事でも何でもなかったということになるが、反自民の人間としては結果を予告する不吉な追突事故であって欲しいと願うばかりである。
とにかく警護の警察官の運転する車に追突され、さらにその車にご丁寧にも後続のジャンボタクシーが追突するという身内同士で演じた間の抜けた事故である。その間抜け加減が何も象徴しないということがあるだろうか。