東電原発事故補償政府補填なら、菅首相視察がパフォーマンスだったか否かをやはり問題としなければならない

2011-04-02 10:46:30 | Weblog



 昨4月1日の首相記者会見で次のような質疑応答があった。首相官邸HPから。

 記者「ダウジョーンズの関口と申します。

 今回の原発事故を受けて、対応に莫大な資金が必要とされる東京電力ですが、日本政府の公的資金投入や債務保証の可能性についてお話しください」

 菅首相「東京電力の事故によっていろいろな補償の義務が生じることは当然予想されます。また同時に、政府としても最終的にはそうした東京電力の第一義的な義務・責任を超える場合には、やはり政府としても責任を持って対応しなければならないと考えております。その上で現在、東京電力は民間事業者としてこの間、経営がされてきたわけでありますから、今、申し上げたような形で支援をすることは必要だと思っておりますけれども、基本的には民間事業者として頑張っていただきたい。このように思っております」

 《復旧・賠償…巨額のコスト 売り上げも激減 窮地の東電》asahi.com/2011年3月31日10時36分)

 計画停電や節電で、電気の売り上げは激減、原発1基の廃炉には通常でも600億円(110万キロワットの場合)かかるとされる1~4号機の廃炉コスト、避難住民の避難費用や休業補償、放射性物質被害に遭い出荷不可能となった農作物や牛乳等の補償、風評被害を受けて売り上げ不振に陥った農産物の補償も入るのだろうか、賠償総額は数兆円という莫大なコストがかかると予想され、地震や津波による事故の場合、電力会社が保険のように支払った政府補償契約から原発1事業所あたり1200億円までは支払われるが、それを超える賠償額の場合、電力会社の賠償負担は無限責任と規定されている。だが、あくまでも支払い能力可能の場合に限られ、電力会社が自らの財力で全額を支払えない場合は政府の出番となって補助金や低利融資などの援助で賄わざるを得ないことになる。

 それが菅首相の「政府としても最終的にはそうした東京電力の第一義的な義務・責任を超える場合には、やはり政府としても責任を持って対応しなければならないと考えております」の既にそうなると予想できる政府の覚悟ということであろう。 

 勿論、政府がカネを出すとしても、最終的には、あるいは復興目的で何らかの増税を図ったなら、直接的には国民の税金を原資とすることになる。ということなら、菅首相の地震発生翌日の福島原発視察が初動対応の遅れを招いたのか否かを問題としなければならない。

 事実招いたなら、当然責任を取って首相を辞任しなければならないはずだ。

 菅首相は3月29日、参院予算委員会に出席、震災後初めて国会答弁に立った。《首相の原発視察「初動ミス」 野党が追及、首相は反論》asahi.com/2011年3月29日22時8分)

 野党は震災翌朝の菅首相の福島第一原発視察が東京電力の初動の遅れを招いた可能性を追及した。

 礒崎陽輔自民党議員「メルトダウン(炉心溶融)の可能性があるから早く蒸気を出さなければいけないという、緊迫した状況でヘリで視察に行った。初動のミスがあったと言われても仕方ない」

 菅首相「現場の状況把握は極めて重要だと考えた。第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった

 海江田経済産業相「格納容器の圧力上昇は、放置すると容器が破壊される恐れがあるから、午前1時半に首相と私でベントを決め、東電に促した。ただ、電源が失われていて(ベントが)開かないということがあって、最終的には手動で開けた」
 
 礒崎自民党議員「政治的パフォーマンスをしたかったのではないか」

 菅首相「全く違う。一貫して(ベントを実行すべきだという)方針を東電に伝えていた。視察で遅延したという指摘は全くあたっていない」

 加藤修一公明党議員「行くべきではなかった。官邸に腰を落ち着けるのが陣頭指揮。(現場の)邪魔をした」

 菅首相現地の様子はワンクッションを置いてしか(情報が)入らない。現地の状況を最低限把握するのが重要だ。短時間だが、現地の関係者と意見交換した。色々な見方はあると思うが、(視察は)陣頭指揮のひとつのあり方だ」

 視察がパフォーマンスであったかどうかの判断のカギの一つは「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」と言っているが、事実「その後の判断に役だった」のかどうかの証明にかかっている。

 もう一つのカギは、「現地の様子はワンクッションを置いてしか(情報が)入らない。現地の状況を最低限把握するのが重要だ」、だから現地を視察することでワンクッションではない、直接的情報把握を必要とするといった情報収集方式が常に妥当なのかどうかの検証にかかる。

 この方式だと、最低限の情報把握のためにはリーダーは常に視察という形で現地を訪れなければその目的は達成できないことになる。代理でも不可能、電話でも不可能、メールでも不可能ということになり、菅首相は地震発生翌日のみではなく、以後毎日視察してワンクッションではない、「現地の状況を最低限把握」していなければならなかったはずだ。

 大体がさらに状況は悪化しているのだから、なおさら視察という直接的な情報把握を駆使する必要に迫られたはずだ。

 だが、視察を毎日繰返さなかったばかりか、政府は原子炉事故発生後、たったの4日後の3月15日になって、菅首相を本部長とする政府と東電による統合対策本部を福島第一原子力発電所から20キロも離れた東京・内幸町の東電本店に設置、菅首相本人ではなく、海江田経済産業相とや細野首相補佐官をほぼ常駐させる情報収集と情報伝達の形に持って言った。

 原発から20キロ離れた東電本店に統合対策本部を設置したということは視察によって「現地の状況を最低限把握するのが重要だ」に反する情報収集把握の方法であるし、いくら閣僚とは言え、代理を常駐させるということは20キロ離れていることと併せて菅首相が言っていることを自ら裏切るワンクッションもツークッションも置く情報把握形式となる。

 菅首相の視察以降、既に触れたように状況は悪化の一途を辿っている。決して好転しているという状況にはない。このことは住民避難が当初は半径3キロ、次に10キロ、さらに20キロ圏内へと拡大していったこと、20キロ~30キロ圏内屋内退避が自主避難へと変更したことが証明している。

 この状況の悪化は菅首相が毎日視察してワンクッションを置かない直接的な状況把握に務めなかったことが原因した悪化なのだろうか。そうではあるまい。悪化という点では引き続いて視察しなかったことが要因の進展ではないはずだ。いわば直接視察して、「現地の状況を最低限把握」しようがしまいが、その点に限るなら、関係のない悪化だと言うことである。

 問題はあくまでも地震発生翌日の視察が事故対応初動の障害となリ、そのことが原因した悪化かどうかということであろう。

 逆説的に言うと、視察によって「現地の状況を最低限把握」したとしても、原子炉の安定化、事故収束に役立ってはいないのだから、菅首相が「現地の状況を最低限把握するのが重要だ」と言っていることは既に正当性を失っている。

 これは結果的にそうなったに過ぎないとする結果論ではない。視察して、東電側があれこれ話をして、菅首相がそれをあれこれ聞いて、そのことによって問題解決のアイディアや技術に関して貢献できるはずはないからだ。単に東電から話を聞いただけで終わった視察といったところだろう。

 原子炉の安定化、事故収束はあくまでも視察が貢献するわけではないとは東電側の事故対応の問題、問題解決のアイディアと技術の問題であって、そこに視察という要素が加わって貢献どころか、逆の障害となったとしたら――

 やはり問題はあくまでも地震発生翌日の視察が事故対応初動の障害となったかどうかにある。

 改めてそのカギを解く、菅首相の「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」という発言を考えてみる。

 言っていることは菅首相と現場の人間との間の意思疎通の確立を謳った発言であろう。意思疎通の確立は相手側が提供する情報が正確且つ的確であり、菅首相の提供された情報解釈が正当であることによって成り立つ。これらの一つを欠いても意思の疎通は成り立たない。

 菅首相が「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」と言っている以上、情報提供と情報授受のこの上ない良好な相互関係が成立した。だから、「その後の判断に役だった」。菅首相のその後の情報解釈・情報判断に役立った。

 だが、地震発生から4日後、菅首相原発視察から3日後に東電本社に統合対策本部を設置したことは、菅首相が言っている情報提供と情報授受の良好な相互関係を裏切る措置となる。いわば原発の現場で働く人間の話を聞いたことが、「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」は幻想でしかなかった。役立つ状況から踏み外していた。だからこそ、改めて東電本社に統合対策本部を設置して、原発から20キロ離れているものの、より直接的な各種指示の情報伝達と各種情報提供を図らなければならなかった。

 統合対策本部設置は3月15日「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」は統合対策本部設置の2週間後の3月29日の参院予算委員会での発言。

 その後の判断に役立っていなかったにも関わらず、2週間後の参院予算委員会で「その後の判断に役だった」と言っている。

 東電本社に統合対策本部を設置した件について伝えている記事を見てみる。
 
 《政府と東電すれ違い、作業員退避巡り押し問答》YOMIURI ONLINE/2011年3月17日06時59分)

 副本部長に海江田経済産業相を据え、細野首相補佐官と共に常駐させる組織としたことに関して、〈政府は海江田氏らを「東電に対する事実上の『お目付け役』だ」と位置づけており、不信感の根強さが透けて見える。〉と解説している。

 いわば菅首相が築いたとしていた東電と政府両者間の情報提供と情報授受の良好な相互関係は存在しなかった事実、少なくともそうと思いこんだに過ぎない事実であり、「その後の判断に役だった」は虚構に過ぎなかった。

 当然、「その後の判断に役だった」という点に関しては3月29日の参院予算委員会で菅首相はウソをついたことになる。

 3月14日の2号機燃料棒露出に関してもそれぞれの対応への食い違いを記事は指摘している。この食い違いは情報授受、あるいは情報解釈の違いに相当する。

 政府側「燃料棒露出を受け、東電側が作業員全員の撤退を申し出てきた」

 東電関係者「一時退避はあっても、撤退ということはありえない」

 東電清水社長は3月15日午前4時過ぎ(記事は〈異例の時間〉と書いている。)首相官邸に駆けつけ、首相と対応を話し合った。

 東電関係者「首相に呼ばれた」

 これらの情報の乱れ、情報解釈の食い違いにしても、両者間の情報提供と情報授受の良好な相互関係とは無縁の世界を示すことになる。「その後の判断に役だった」状況にはなっていなかった。役立たない状況が続いていた。ウソつきめ。

 記事はさらに書いている。

 社長が引き揚げた約1時間後、菅首相が入れ違いの形でが東電本店を急遽訪問。

 菅首相「撤退などあり得ない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は東電は100%潰れる」

 〈部屋の外にまで響き渡る声で幹部に迫った。〉

 16日、首相官邸で会談した笹森清内閣特別顧問の首相発言の紹介。

 菅首相「福島原発が最悪の事態になった時には東日本がつぶれることも想定しなくてはならないが、(東電は)危機感が非常に薄い。自分は原子力には詳しいので乗り込んだ

 原子炉の安定化、自己収束を求めてを目的としなけばならなかったはずだが、「自分は原子力には詳しいので乗り込んだ」とは相変わらず自己宣伝は忘れない。

 石破自民党政調会長「日本の最高指揮官が現場に行って実情を知悉()しないまま発言するのは差し控えるべきだ」

 なぜ乗り込む1時間前の首相官邸で東電社長に対して、撤退などあり得ない、引き続いて安定化に向けてありとあらゆる方法を駆使して最大限の努力をさせるべく納得させ得る情報発信ができなかったのだろうか。

 そのような情報発信ができなかったからこそ、わざわざ乗り込んで直接伝える手段を取らざるを得なかった。

 この情報交換と情報伝達の機能不全は3月29日の参院予算委員会での菅首相の発言である「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」の両者間の情報提供と情報授受の良好な相互関係をも裏切る機能不全に当たるはずである。

 首相の訪問直後の15日午前6時過ぎに2号機で大きな爆発が発生。現場の判断で原発内で作業していた東電社員や関係企業の約800人のうち約750人の退避、約50人が注水作業などのためにとどまる。

 菅首相「東電はじめ関係者は、原子炉への注水に危険を顧みず、全力で取り組んでいる」

 記事、〈首相官邸に戻った首相は一転、東電の対応を評価するメッセージを発表した。〉――

 だが、その後も東電側からの情報伝達の遅滞や誤伝達を生じせしめ、両者間の情報提供と情報授受の良好な関係は常に不安定な状況で推移した。3月26日の記者会見で枝野官房長官は作業員3人が被曝した問題で東電が事前に別の場所で高い放射線量を確認していたことについて官邸に報告がなかったことを批判しているし、3月28日午前の記者会見では、福島第一原発2号機のタービン建屋地下にたまった水の濃度分析を誤って発表し、訂正を繰返したことについて、「様々な安全確保のための大前提になるものなので、こうした間違いは決して許されるものではない」(YOMIURI ONLINE)と批判している。

 すべて3月29日の参院予算委員会以前の出来事である。

 にも関わらず、菅首相は3月29日の参院予算委員会で「第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」と偽りの発言を行っている。3月12日の視察の時点で菅首相と東電の両者間に情報提供と情報授受の良好な相互関係が確立でき、以後もそれが持続しているようなウソの証言を行った。

 なぜなら以後も持続していなければ、その場限りの確立となって意味を失うし、以後持続していないことを隠して視察時だけの確立を証言したことになる。

 繰り返しになるが、「その後の判断に役だ」つには常に情報提供と情報授受の良好な相互関係、信頼関係が維持されていなければならない。いわば、「その後の判断に役だった」と言うからには、情報提供と情報授受の良好な相互関係、信頼関係の維持・持続を前提としなければならない。その前提が存在しなかったことが証明されているのである。

 要するに視察は単に話を聞くだけ、話をするだけで終わったことの証明にしかならない。菅首相は視察を「陣頭指揮のひとつのあり方だ」と意義づけているが、その「陣頭指揮」さえ、原子炉の安定化、自己収束に役立たなかったのである。

 視察が単に話を聞くだけ、話をするだけのことに時間と取ったということなら、視察が東京電力の初動対応の遅れを招いた可能性は十分に疑うことができる。

 国会で追及を受けて追いつめられる状況に対する忌避感からだろう、以前から追及を一切受けることのない様々な現場に出かけてはテレビに露出した形で発言するパフォーマンスで以て国民向けの自己発信力と心得ている菅首相である。その一環の視察と見て間違いはないのではないのか。

 いずれ事実が現れるだろう。


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