昨4月11日(2011年)午後6時頃から予定していた菅首相の記者会見は震度6弱の余震のため今夕に延期した。記者から統一地方選の民主党惨敗や党内菅降し等々の神経に障ること間違いなしの質問が1日でも伸びて少なからずホッとしたのではないだろうか。
この記者会見では震災がもたらした多くの死者や行方不明者を思い遣り、さらに家族や親族、知人に死者や行方不明者を抱えて避難所生活を送る被災者の悲しみや心痛、生活上の困難や不安を思い遣って、あるいは原発事故による放射能漏れから止むを得ず避難生活を強いられている避難者の不安や困難を思い遣って被災地外の各地で花見や旅行といった各種催し事や、中には結婚式まで延期するといった自粛が社会的現象化していることに対して菅首相は過度な自粛は復興の妨げになるとして通常の経済活動を行うよう国民に呼びかけることにしていたという。
既に与党サイドから“自粛の自粛”(玄葉国家戦略相)を呼びかける発言が飛び出ていたことやマスコミも同調して、過度の自粛の弊害を訴える記事を書いていることを受けた菅首相の国民への訴えの予定だったに違いない。
《与謝野経財相「自粛は不景気運動。普通の活動に戻る時期」》(MSN産経/2011.4.8 13:44)
4月8日の閣議後会見で閣僚懇談会で次のように述べたことを明らかにしたという。
与謝野馨経財政担当相「自粛はみんなが不景気運動をしているみたいなもの。そろそろ普段の活動に戻るべき時期が近づいている。被災地の経済活動や暮らしに離れた方は、元の生活に戻っていただいた方がよいんじゃないかと思っている」
記事は書いている。〈被災地に配慮した自粛をめぐっては、小売業の販売額が大きく落ち込み、経済への悪影響を懸念する声も上がっている。〉――
与謝野も記事も余計なお世話だと言いたい。
《「自粛ムードやめよう」閣僚から発言相次ぐ》(asahi.com/2011年4月8日20時10分)
〈東日本大震災で広がっている花見やイベントなどの「自粛ムード」について、菅内閣の閣僚らから見直しを求める意見が相次いだ。行きすぎると経済に悪影響が出かねない、との懸念からだ。〉――
ここでも変節男与謝野を登場させている。同じく4月8日の閣議後の記者会見。
与謝野経財政担当相「自粛は経済学で言えば、みんながどんどん不景気にしているようなことだ」
同じ記者会見の発言を取り扱っていながら、言い回しが微妙に違う。
玄葉国家戦略相「どこかのタイミングで菅直人首相がメッセージを発する必要がある。政権として“自粛の自粛”を呼びかけるべきだ」
記事は被災地の村井宮城県知事が午前中首相官邸に出かけて仮免首相に面会(きっと辞任するまで仮免状態に違いない)、自粛が終息に向かうよう要請したという。
村井知事「消費が活発になるよう音頭をとってほしい」
菅仮免「経済をしっかり回すことも含めて、全国民的に取り組んでいこうと呼びかけていきたい」
枝野官房長官「政府として(自粛撤回を)申し上げることが適切かどうかを含めて考えなければいけない」
玄葉国家戦略相の発言を《玄葉氏、自粛ムード歯止めに「首相はメッセージを」》(MSN産経/2011.4.8 13:38)が異なった趣で伝えている。
玄葉国家戦略相「経済有事という考え方でこの局面を考えなければならない。どこかの段階で菅直人首相はメッセージを発する必要がある。だが、原発事故が進行中だ。原発被災者の心の痛みは想像を絶することも常に考慮に入れなければならない。精神的な痛みが分かる内閣でなければならない」
震災を政権延命に利用しようとしている自己保身一辺倒の菅仮免許首相に「精神的な痛みが分かる」リーダーだとは到底思えないが、玄葉自身も、「心の痛み」を抱えている被災者を「原発被災者」のみに限定する矛盾、不公平を働らかせている。進行中なのは「原発事故」だけではなく、近親者に死者や行方不明者もいる被災者の被災生活も進行中であるはずである。
それとも津波被災者をも含めていた発言だったが、記事は省いて報道したということだろうか。もし何ら省いていない報道だとしたら、玄葉はとても「精神的な痛みが分かる」政治家ではない証明となってしまう。
自粛といった社会現象は永遠に続くものではない。国民にしても自粛解除のタイミングを図る時期を待っているだろうだから、首相の呼びかけはそれなりに効果はあるだろう。だが、震災前、景気回復の歩みが見え始めたと言っても、殆んどが外需の恩恵を受けた景気回復であって、政府の経済政策が個人所得の目に見える増加、このことの反映としてある個人消費の目に見える活発化を促していたわけではない。いわば菅仮免挙政府は元々経済をしっかり回すことができていたということではない。それを「経済をしっかり回すことも含めて」と、いとも簡単にできるように言う軽薄さ、言葉の軽さは相変わらずである。
村井知事の発言は《「過度の自粛」やめるよう=被災地を元気に、首相呼び掛けへ》(時事ドットコム/2011/04/09-19:02) がより詳しく取上げている。
村井知事「被災地が元気になるためには、日本全体が元気にならなければならない。過度な自粛はやめて、消費が活発になるよう首相自ら音頭を取ってほしい」
〈菅直人首相は、東日本大震災発生後、国内に広がる自粛ムードが経済に悪影響を及ぼしかねないことから、「過度の自粛」はやめるよう近く国民に呼び掛ける意向を固めた。政府関係者が9日、明らかにした。〉
菅仮免「東北の産品を買ってもらえるよう声掛けしていきたい」
この記事は逆に菅首相の発言を極々簡略化している。仮免許相応の扱いで、たいして価値を置いていないのかもしれない。
この社会現象となった自粛の動きに対する“自粛の自粛”を促したキッカケは「花見を自粛しないで被災地の酒を消費してください」と呼びかけた動画をインターネットの動画サイトに投稿、公開したことが始まりなのだろうか。
《“花見で被災地の酒 消費を”》(NHK/2011年4月4日 21時57分)
呼びかけ人は岩手県二戸市の創業100年超の日本酒酒造会社専務久慈浩介氏。動画題名「被災地岩手から『お花見』のお願い」。制作者久慈氏友人。動画時間2分間。登場人物久慈氏本人。閲覧回数4万回超。
久慈氏の蔵元は建物や古い蔵の一部に被害が出たが、酒造りに大きな影響はないものの、震災で売り上げが落ち込んでいる上に首都圏を中心に花見や宴会を自粛する動きが相次いでいることに危機感を抱いたことが動機の動画投稿だと言う。
久慈氏セリフ「のままでは、岩手は経済的な2次被害を受けてしまいます。自粛するより、お花見をしていただくほうがありがたいです」
そして特産の酒や農作物の消費を通じた被災地への支援を呼びかけたという。
閲覧者メッセージ「東北の酒でお花見をしたい」
久慈氏(インタビュー)「まずは地元企業が元気になって、さらに深刻な被災地域を助けたいので、中長期的な支援をお願いしたいと思います」
この久慈氏の動画投稿をマスコミが報じたのが4月4日。閣僚が“自粛の自粛”を呼びかけたのが4日後の4月8日。その間、既に各マスコミが自粛による経済停滞の各場面を伝えていたから、そのことを受けた閣僚の反応であり、そこで一丁オレがと菅仮免の呼びかけの予定となったのだろうか。
久慈氏の動機は尤も至極だが、久慈氏にしても閣僚にしても、村井県知事にしても、すべて経済的理由からの“自粛の自粛”となっている。経済的理由からだけでは割り切れない自粛もあるはずだが、それを無視して、与謝野の場合は「不景気運動」だと経済的次元でのみ断定している。
確かに経済的な現象に限るなら、相当深刻な状況に至っていることが報道からも窺うことができる。5月開催の浅草神社の三社祭や8月開催の東京湾大華火祭が早々に中止になったとか、東京銀座の高級クラブや高級寿司店は閑古鳥が鳴いているとか、各観光地のホテルはキャンセルが相次いでいるとか、一般的な飲食店でも客が減っているとか震災後急激に売り上げが落ちていることを伝えている。
しかしこういった自粛の中にはテレビコマーシャルでも訴えていて、政府も先頭に立って音頭を取っている節電の呼びかけも影響している自粛もあるだろうし、巷間言われている復興増税も影響、風評被害からの自粛もあるはずである。
国家権力が介入した節電の象徴的事象として、プロ野球の開幕日騒動やナイター騒動といった節電を動機とした一種の自粛の強制は各個人に外の電気に対しても協力意識を芽生えさせて、家庭で節電を心がけるだけではなく、外出を控えることで電気使用に対する自粛を促し、経済の停滞をもたらしたといった側面も無きにしも非ずであろう。
また自治体の祭事の中には賑やかさの観点からだけではなく、電力消費量の点からも中止を選択したケースの存在も否定できないはずだ。
最悪なのは与謝野が節電を動機として電気料金の値上げの検討を打ち出したことであろう。《“値上げ検討発言”を釈明》(NHK/2011年3月26日 1時4分)
下地国民新党幹事長「国民が困っているときに値上げの話をするのはおかしい」
与謝野は釈明のために枝野官房長官と会談。会談での会話。
与謝野「大量に電気を使用している家庭について、何か検討すべきだと言ったつもりで、庶民の電気料金の値上げを提案したわけではない。私の説明不足だった」
枝野「間違った印象を国民に与えないようにしたほうがいい」
要するに菅仮免の昨年の参院選前の消費税増税発言と同様に具体的な仕様を煮詰めもせずに生煮えの思いつきで言ったのだろう。
だが、ごく一般な国民からしたら、特に低所得層からしたら、いつかは来るかもしれない電気料金の値上げに備えて、いつ来るかもしれないゆえに早々に生活縮小に走ったといった例も考えることはできる。
個人的にはたいしたことのない経済的縮小ではあっても、全体的には相当な経済縮小をもたらすはずだ。
与謝野のガソリン価格高騰時の減税特例措置廃止発言(3月25日の)も多くの国民をして生活防衛に走らせた可能性は否定できない。
〈減税は最低3カ月は続ける仕組みになっており、適用されれば、国と地方をあわせて3カ月分で4500億円の税収減になる〉(《ガソリン高騰時の減税特例、廃止を検討 政府・与党》 asahi.com/2011年3月30日23時11分)そうで、それを復興財源にまわすというものである。
記事は書いている。〈この特例措置の導入は、民主党が09年の衆院選マニフェストで「暫定税率を廃止し、生活コストを引き下げる」としたのがきっかけ。財源不足のため、結局、税率を維持することになったが、価格が高騰したときには暫定税率分を減税するという「救済策」をとることで決着した経緯がある。このため、同党内には「廃止は生活者支援につながらない」との異論が出ている。 〉――
さらに言うと、風評被害からの自粛もあるはずである。原発が14基もある福井県では観光地で客が減少、ホテルの予約がキャンセル続きだそうだ。
本来的には自粛行為は純粋に主体的行為でなければならない。当然自粛行為に対しても、“自粛の自粛”行為に対しても国家権力は強制も要請もできないはずだ。原発の放射能災害を含めた被災者の不安や困窮に対する共感から発した感情共有行為なのだから、誰も止めることはできないからだ。
これは非常に個人的な感情行為であろう。多くの国民が共通して持つことによって、自粛は社会現象化する。
だが、中にはみなが、あるいは世間が自粛しているから、自分も自粛しないと格好がつかない、何か言われるからと、周囲に従う意味での同調行為の場合が往々にして存在する。これはごく個人的な感情共有行為と違って、非主体的行為の範疇に入る。
この手の同調行為は常に社会的に優勢な風潮に従うことによって生じるから、その風潮が社会的優勢を失うと短時間に縮小、もしくは消滅する。菅仮免許の呼びかけはこのような同調行為から発した自粛行為には効果覿面に違いない。
だが、何よりも問題なのは例え国家権力が“自粛の自粛”を呼びかけなくても、既に書いたように自粛は永遠に続くものではないし、例えごく個人的な主体的行為としての感情共有行為であっても、独立した個人である部分を捨てるわけではないということである。
では、今回の震災の場合、政府が“自粛の自粛”を呼びかけなくても、自然に収まる期間はどのくらいだろうか。目安として言えることは避難所生活を送る被災者の場合は、身内に死者を抱えていた場合、親が子どもを失った、子どもが親を失ったといった場合はその悲しみや辛さは終わることのない記憶として残るだろうが、第三者から見て生活面で人並みの生活が可能となり、そのような人並みの生活姿を見たとき安心して、主体的な感情共有行為からの自粛であっても、自ずと終息に向かうのではないだろうか。
同調行為としての自粛も、周囲の自粛の終息を見て、それに同調することによって同じく終息していく。
避難所生活を送らざるを得ない被災者にとっての生活面での人並みの生活の確保とは避難上生活を切り上げて仮設住宅住まいができることであろう。
放射能避難生活者の場合は、原発事故の収束であり、放射能の霧散も加わらなければならない。
いわば政府が何よりもやるべきことは“自粛の自粛”を呼びかけることではなく、一刻も早い避難所生活者の仮設住宅への入居であり、原発事故の解決であるはずである。
もし原発事故の解決に時間が何ヶ月も予想されるなら、放射能避難者に対する人並みの生活の確保を早急に保証することが政府のなすべきことであろう。
確か陸前高田市の仮設住宅の入居を伝えるテレビだったと思うが、子どもたちが余程嬉しかったのか、部屋のカーテンの裏に隠れたり、手で大きくめくったりはしゃいでいた。雑居生活から逃れて、自分達だけの家として住むことができる喜びと避難所とは格段に違う部屋の新鮮さに自然と身体が反応したに違いないが、子どもたちのその姿からだけでも、どれ程に仮設住宅を必要としていたかを物語っている。
だが、政府は両者ともやるべきことをやっているとは言えない。昨4月11日の「NHK」記事――(《仮設住宅 建設は全体の13%》NHK/
2011年4月11日 4時52分)
国土交通省の調査で、被災地宮城県・岩手県・福島県の3自治体が要望している仮設住宅は6万2000戸。
着工決定は全体のおよそ13%のみの約8060戸。5万4000戸の不足。
NHKが津波で住宅が被害を受けるなどした宮城、岩手、福島の37市町村を対象にした調査。
7自治体が既に用地を確保ができた。
14自治体が来月までには確保したい。
6自治体が夏以降から年内までに。
9自治体が、「見通しが立たない」、あるいは「分からない」。
現在でも避難所生活者は宮城・岩手・福島の3県を中心に16万人に上っているという。このことは衣食住にはそれなりに満足できても、プライバシーが保証された人並みの生活の確保が不可能な避難所生活者が今後とも万単位で続くことを意味する。
郡山の避難所でノロウイルスに感染、60人が下痢や吐き気を催したと昨4月11日の「asahi.com」が伝えているが、プライバシーばかりか、衛生面でも人並みの生活に程遠い状態に置き去りにされる被災者を被災地外の国民はテレビで見ることになる。
プライバシーの面でも、衛生面でも人並みの生活以下の生活を送らざるを得ない避難所生活者を一方に置いて主体的な感情共有行為から自粛を行う者にとって、簡単に自粛をやめることができるだろうか。
NHKテレビが放送していたことだが、仮設住宅建設の費用は国が持つが、建設地確保と建設は自治体が行うことになっていて、自治体関係者の中にも犠牲者がいて、人出不足と用地難で建設どころか用地確保にまでいかない自治体が存在することを報道していた。
被災者が等しくプライバシーが確保できて衛生面でも健康を保てる人並みの生活が確保できるようになったなら、自ずと各種自粛は収まるはずだが、菅政府は肝心なことを後回しにして自粛云々を先に持ってこようとしている。
初期的な被災者支援でも後手後手の対応遅れを多くの場面で見せ、住宅の面から人並みも生活を保証するという肝心な場面でも対応遅れの無能を演じている。
仮免政権だからといって、許すことはできないはずだ。 |