仙谷由人の問題がどこにあるか気づかない、ヤキの回った野党問責決議批判

2011-12-18 10:47:12 | Weblog

 仙谷由人民主党政調会長代行が12月14日、都内開催のシンポジウムで一川防衛相と山岡消費者相に対する野党の参院問責決議可決を批判したという。

 《仙谷氏 問責可決連発は「統帥権干犯」 野党対応を批判》MSN産経/2011.12.14 13:18)

 仙谷政調会長代行「毎年その戦術を行使するのは統帥権干犯と同じで、政党政治に大きな禍根を残す。

 解散がない参院が内閣に重いパンチを打ち込んでいく制度ははなはだ奇妙で、野党が(問責閣僚が出席する)国会審議に出ないと公言することが常態化すると政治は止まる」

 「統帥権干犯」の譬えについて記事は〈昭和5年のロンドン海軍軍縮条約に関し、当時の野党が「天皇の統帥権干犯」を理由に政府を批判した歴史になぞらえて自民党などの対応を批判した格好だ。仙谷氏は官房長官だった昨年11月、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件への対応をめぐり問責決議が可決され、1月の内閣改造で退任。その恨み節が炸裂(さくれつ)したようだ。〉と解説している。

 仙谷由人は大いなる勘違いをしている。まだ65歳のはずだが、既に年齢が理由になってしまったのか、合理的判断能力が麻痺し、問題がどこにあるか気づかなくなってしまったらしい。

 二大臣共、理由なくして野党に問責決議の提出を誘発させたわけではないはずだ。理由がなかったなら、民主主義に反するということだけではなく、人道に悖る無法行為となる。国民世論は許さないだろう。

 誘発させるに足る正当な理由があった。

 その正当性は問責決議可決後の各マスコミの世論調査が証明している。

 産経・FNN合同世論調査(12月10、11調査)

【問】野田政権についてあてはまる考えは
《一川保夫防衛相は適任だ》

思う10.2 思わない83.8 他6.0

《山岡賢次国家公安委員長は適任だ》

思う15.5 思わない70.8 他13.7

《問責決議を受けた一川防衛相は自ら辞任すべきだ》

思う80.4 思わない16.1 他3.5

《問責決議を受けた山岡国家公安委員長は自ら辞任すべきだ》

思う73.3 思わない19.1 他7.6

《野田首相は両閣僚の任命責任を問われるべきだ》

思う45.2 思わない48.8 他6.0

《問責決議を受けた閣僚が関わる国会審議に応じないとする野党の姿勢は適切だ》

思う26.0 思わない66.4 他7.6

 NHK世論調査(12月9日~11日調査)

◇参議院で問責決議が可決された一川防衛大臣の進退について

▽「大臣を辞任すべきだ」――48%
▽「辞任する必要はない」――12%
▽「どちらともいえない」――35%

◇問責決議が可決された山岡消費者担当大臣の進退

▽「大臣を辞任すべきだ」――47%
▽「辞任する必要はない」――8%
▽「どちらともいえない」――39%

 読売新聞世論調査(12月10日~11日調査)

 問責決議可決の2大臣は「辞任すべきだ」
 
 一川防衛相 ――62%
 山岡消費者相――54%

 自民党が両氏が辞任しない限り、今後の国会審議に応じないとしている対応について

 「納得できない」――71%に

 産経・FNN合同世論調査の野田首相の任命責任は48.8%が否定、だが、問うべきが45.2%もある。また自民党の今後予定している国会審議対応については否定的な評価を与えているが、問責決議の提出・可決そのものは理由なしとしてはいない。

 両者に問責決議を提出させるだけの理由があった。ここで改めて話さずとも、多くが承知している正当性ある理由であろう。

 また、読売の調査で自民党の国会審議欠席戦術は71%が「納得できない」として、産経・FNN合同世論調査と同様の傾向を見せているが、「辞任すべきだ」が一川防衛相62%、山岡消費者相54%であることからすると、野田首相が両者を更迭させることによってクリアできる国会審議出席となる。

 問責決議提出・可決に国民世論が正当性を認め、野田首相の対応次第で国会審議に影響が出ないようにすることができるとしたら、仙谷由人の批判の方こそが問題がどこにあるか気づかない、合理的判断能力を麻痺させた批判となって、その正当性を失うこととなり、「政党政治に大きな禍根を残す」はその資質もない人物を大臣に任命したことの方にこそ、当てはめるべき批判であろう。

 すべては野田首相の任命責任に集約されるということである。

 また、問責決議提出と可決を「統帥権干犯と同じ」だと言っているが、統帥権とは「軍隊を支配下に置いて率いる最高指揮権」のことを言い、旧憲法下では天皇の大権として政府・議会から独立して与えられ、絶対的なものとされていた。

 『大日本帝国憲法 第1章天皇 第11条』は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と謳っている。天皇自体が『大日本帝国憲法 第1章天皇 第3条』で、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と絶対的存在とされていたのだから、統帥権にしても侵してはならない絶対的大権と見做さなければならない。

 昭和5年当時の政府が天皇の統帥権を干犯したと野党が批判した新聞の例に仙谷の批判を当てはめてみると、参議院が内閣が握っている統帥権を問責決議を手段として干犯したことになる。

 果して内閣は国会に対して統帥権を所有する絶対権利者と位置づけられているのだろうか。

 だが、現在の日本国憲法は、「第4章 国会 第41条」は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。

 「国権の最高機関」は内閣だとはしていない。

 この「国会は、国権の最高機関」としていることに色々な解釈があるようだが、内閣が各種法律を成案し、国会がその成案を法律として制定するかどうか意思するプロセスを取る以上、国会は内閣の上に位置する機関と見做さなければならないはずだ。

 いわば問責決議を「統帥権干犯と同じ」だと批判すること自体が合理的判断を間違えた見当違いとなる。

 問題がどこにあるのか、仙谷は各大臣の見識や素養や政治的行動性をも含めた資質と首相の任命責任に置くべきを、置かずに見当違いにも野党のみを批判した。

 野党が問責決議と決議可決に応じた国会審議拒否を継続的な戦術として複数の大臣をドミノ倒しで餌食としていった場合、内閣は否応もなしに追い詰められ、最悪立ち往生することになる。

 この最悪の状況を避ける目的にのみ視野を絞った結果、身贔屓一辺倒となる野田内閣擁護の批判となったのだろう。
 
 首相が誰を任命するかによってクリアできる問題であることに目がいかなかった。ヤキが回ったとしか言いようがない。

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