平成天皇のパラオ訪問は昭和天皇と戦前日本の「国策の誤ち」に対する贖罪の旅の一つと見なければならない

2015-04-09 08:08:40 | 政治


 天皇と皇后が4月8日午前、民間のチャーター機で羽田空港を出発、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけて日米激戦地となったペリリュー島のあるパラオ共和国に向かった。

 出発の際、天皇はお言葉を述べている。文飾は当方。


 《皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば》宮内庁/2015年4月8日)  

パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲()ばれます。

私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。

 「日米の死者を追悼する」と言っているように9日に日米激戦地となったペリリュー島を訪問。日米戦死者を慰霊するという。

 日本軍死者は全滅に等しい1万名余。生存者34名。米軍総勢4万8千名の内死者1800名弱だという。

 戦闘員に代表される5倍近い兵力の差、戦術や戦略を含む総合的な戦力の結果として現れたこの死者の差は何を意味するのだろうか。無謀の戦いであったという一言に尽きるのではないだろうか。その結末であると。

 そしてこの無謀は一つの象徴に過ぎない。日中・太平洋戦争自体が無謀の戦争であり、無謀の戦争の一つの典型として現れたペリリュー島の無残な結末ということであるはずだ。

 無謀は誤ちによって生じる。的確・合理的な判断からは無謀は生まれない。不的確・非合理な判断が無謀を生み出す。

 マスコミは天皇・皇后のパラオ訪問を「慰霊の旅」だと表現している。果して戦死者を悼む慰霊だけを目的としたパラオ訪問なのだろうか。

 天皇は言っている。「このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います」

 「このような悲しい歴史」はペリリュー島に限ったことではなく、日本の戦前の戦争の時代を通した歴史を言うはずである。

 夥(おびただ)しい戦死者や民間人死者をつくり出した戦争を通して、「悲しい歴史」と言い、日本国民は「決して忘れてはならない」と言っている。 

 「悲しい歴史」とは、それが国家が起こした戦争の歴史を指している以上、“誤った歴史”を言うはずである。安倍晋三のような正しい歴史であるとの文脈での物言いではないはずである。

 いわば昭和天皇を頂点とした国家がつくり出した戦争自体が誤っていた。当然、昭和天皇の名によって宣戦布告が発せられた国策の誤ちを指すことになる。

 但し天皇の口から“誤った歴史”と言うことはできない。せいぜいできることは「悲しい歴史」と言うことぐらいだろう。

 少なくとも日本の戦争を「悲しい歴史」だとする自覚のもと、米軍死者と比較した場合、日本軍の余りにも夥しい数の戦死者を、例え日米両軍を含めてのことだとしても慰霊する。

 そのような歴史認識のもとの慰霊に贖罪の意味が込められていないとしたら、「悲しい歴史」とする意味が出てこないことになる。

 単に戦争で亡くなったとするだけで慰霊の役目を果たすことができる。

 天皇は戦後60年に当たる2005年6月28日、1944年9月15日から1944年11月25日のペリリュー島の戦いに先立って1944年6月15日から7月9日にかけて日米両軍が激突したサイパン島を訪問している。

 日本軍約3万1700人に対して戦死者約2万5千人。米軍約6万6千人に対して戦死者3500人。日本軍兵士と民間人が「生きて虜囚の辱を受けず」の命令を忠実に守ってサイパン島の海から800メートルの高さもある断崖絶壁から次々と身を投げ、バンザイクリフと名づけられて有名となった。

 その数5000人。一説に1万名とも言われている。教科書検定で「通説的な見解がない」と意見が付けられたら、より少ない人数で落ち着くことになるに違いない。

 だとしても、サイパン島の戦いは、ペリリュー島の戦いが映し出していた準備可能な兵力の差と死者数の差が象徴する総合的な戦力の差(=ハードとソフトを合わせた国力の差)を同じく結果としていて、「悲しい歴史」(=「国策の誤ち)を動機とした無謀の戦いを性格としていたことに変わりはない

 天皇は来月5月下旬には10万人以上が亡くなった東京大空襲の犠牲者慰霊のために東京の下町を訪問。6月には戦時中、魚雷攻撃などで沈没した民間船2500隻約6万人の船員を祀る、神奈川県横須賀市にある「戦没船員の碑」を拝礼する予定だと「毎日jp」記事が伝えている。

 こうまでも戦争で亡くなった死者の慰霊を続ける。天皇をそのように駆り立てるのは夥しい死者を生み出した「悲しい歴史」であり、それを忘れないための歴史の再確認であり、そのことを一身に背負った慰霊となるはずで、そうである以上、原因をつくり出した昭和天皇と戦前国家の「国策の誤ち」を贖罪する旅と見なければならない。

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