安倍晋三の「日本が歩んできた70年の道のりに静かな誇りを持つ」は日本の戦争を歴史の背景に隠す自己都合

2015-04-18 10:45:21 | Weblog


      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《玉城幹事長、単身渡米し沖縄県民の声を届ける》

      玉城デニー幹事長は4月17日、国会内で記者会見を行い、4月20日から23日の日程で米国を
      単独で訪問し、辺野古移設問題についてマケイン米議会上院軍事委員長らと協議をすべく
      調整していることを明らかにしました。

      《4月20日(月) 小沢一郎代表 ニコニコ生放送出演ご案内》

      4月20日16時からニコニコ生放送で『緊急鼎談 樋口陽一、小林節、小沢一郎 憲法を語る
      』が生放送されます。憲法に造詣の深い3人が憲法の本質について議論します。ぜひご覧
      ください。    

 戦後日本が歩んできた70年に「静かな誇りを持つ」ことに何の異論もないし、何の反対もない。だが、戦後の歩みは戦争の反省に立った、その反省を出発点とした、戦争の時代に対する反作用としての平和の70年の一つ一つであったことを忘れてはならない。

 言ってみれば、あの愚かしい悲惨な戦争が生ましめた日本の戦後70年の平和な歩みと言うこともできる。

 「NHK NEWS WEB」記事が戦後70年の「総理大臣談話」策定に向けた有識者懇談会3回目会合が開催されて、一部安倍晋三の発言を伝えると同時に首相官邸ホームページに議事要旨が掲載されていると紹介していたので、早速アクセスして、安倍晋三がどのような発言をしたのか見てみた。

 開催日は2015年4月2日。正式題名、《20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会》(21世紀構想懇談会)  

 読みやすいように段落を少し変更した。

 〈(5)最後に、安倍総理より、委員の熱心な議論に感謝しつつ、以下の点を述べた。〉と書いてあって、その発言要旨を伝えている。

 安倍晋三「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないかと考えている。日本は貧しく、それ程豊かだったわけではない時代からODAを始めた。賠償からある意味で連続性を持っていたことによって国民的な理解があったのかもしれないが、同時に、ODAを税金の中から出していくことについて、日本では、他の国に比べて確かに多くの国民が理解している。

 日本も実は大変貧しい時代に世界の支援で今日を作った。例えば、新幹線も高速道路も黒部第四ダムも世界銀行からの融資で作ったのであり、91年までこつこつと借款を返済してきた。それが日本の高度経済成長につながったのではないだろうか、そして、これが日本の富につながっただけではなく、世界も裨益している、今度は日本の番ではないか。
 
 日本が歩んできた70年の道のりをもうー度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこうという気持ちを持つことが、これまでやってきたことを継続していく上においても大きな力となると思う次第である。

 何の繁栄を守って行<のか、繁栄の質という点についてご意見があった。環境とか大切な価値がたくさんあるわけで、それこそしっかり主張していくべきだろうと考える。経済の繁栄をひたすら求めていくのでなく、ODAにおいても量から質について考えなければならない時代を迎えている。質についてもちやんと確保していくことに力をいれていきたい。

 TICADV(アフリカ開発会議)の際にアフリカの首脳から、日本の企業が、職場に初めて倫理と道徳を持ち込んでくれた、働く喜び、規律を守ることの素晴らしさを教えてくれた、これは日本の企業だけだという話をしていただいて、私は大変誇らしく思った」(以上)

 安倍晋三は「日本も実は大変貧しい時代に世界の支援で今日を作った。例えば、新幹線も高速道路も黒部第四ダムも世界銀行からの融資で作った」と言っているが、2015年2月5日公開の外務省YouTub動画、《戦後国際社会の国づくり 信頼のおけるパートナーとしての日本》は、「戦後自らの復興を成し遂げた日本は平和国家としてアジアの繁栄と平和を作り、国際社会の国造りに積極的に関与してきました」と、戦後日本はさも自らの力で復興を成し遂げて、復興で得た新たな力をアジアの繁栄と平和に注ぎ、国際社会の国造りに積極的に貢献したかのように宣伝していたが、安倍晋三はここでは利害の相互扶助を構造としていたことを正直に明らかにしている。

 世界銀行からの融資だけではない。《第二話 戦後の灰燼からの脱却》外務省「政府開発援助ODAホームページ」)には、「第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、アメリカからの資金援助である「ガリオア・エロア資金」(注)の果たした役割は計り知れないものがあった。

 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)となる膨大な 援助であった。この援助がなければ日本の復興は考えられなかったのである」と書いてあって、上記外務省YouTub動画の自力復興の自画自賛宣伝とは大違いとなっている。

 この大違いは安倍晋三の戦後日本過大評価の影響を受けた自画自賛なのだろうか。

 ガリオア(占領地域救済政府基金)とは陸軍省の軍事予算から支出した援助資金であり、のちに陸軍省の予算からの支出となったと「Wikipedia」が解説している。

 エロア資金とは1949アメリカ会計年度から日本や韓国、琉球などに適用された援助資金だと、同じく「Wikipedia」が解説している。

 日本の復興には朝鮮戦争特需の莫大な恩恵が多大に貢献したことも特筆しなければならない。

 日本のODAにしても、その多くがその資金を元手にしたインフラ建設に日本の企業が参加するヒモ付きであったし、被援助国に対して援助をちらつかせて日本の政治的影響力を強める役目も担わせて、日本側も多くの利益を得ていた。

 2005年8月5日「朝日新聞」朝刊、《岐路のアジア(8)途上国援助 円借款離れ 中国台頭》はタイのナロンチャイ元商務相の発言を伝えている。

 「以前の日本は東南アジアのボスみたいな態度だったが、最近は腰が低くなり、対等に近い関係になった。タイの発展の成果だ」

 タイが国力をつけ、その国力そのものから日本も利益を受ける側に立つことになって、下手に上に立つ者の態度は取ることができなくなったということだろう。

 このような位置関係の変化はタイだけに限らないはずだ。アジアの国々が経験していった日本の態度の変化であろう。

 つまり利害の相互扶助の構造がより強まった。

 以上のことからすると、「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないか」という言葉は思い上がりも甚だしいことになる。

 アメリカの「ガリオア・エロア資金」援助にしても、日本の復興を目的としていただけではなく、日本の共産化防止を目的の一つとしていたと指摘されているから、アメリカにも利益を与える利害の相互扶助の構造を持たせた資金援助だったことになる。

 安倍晋三が日本の戦後70年を“陰徳の70年”としたいのは戦後の日本に強い光を当てて、戦前の日本をその強い光の陰にぼかしたい欲求があり、強い明とぼかした暗を「安倍晋三70年談話」にそのままに反映させたい意図を持っているからだろう。

 有識者懇談会は「安倍晋三70年談話」の策定に向けた会合である。だが、安倍晋三は日本の戦後の平和な歩みが戦前の日本の戦争があらしめることとなったその反省や教訓や反面教師とする強い思いが道案内となったことの認識がないままに戦後日本の70年を光の面からのみ創り上げようとしている。

 同じく戦争に対する反省や教訓や反面教師とする強い思いが、それが例え占領軍がつくった日本国憲法であったとしても、国民の多くがそれを受け入れ、戦後日本の平和の歩みの指針とし、戦後日本人の精神の礎としたことも戦後の日本の歴史の大きな事実としなければならない。

 安倍晋三はこの事実を自身のものとしているのだろうか。安倍晋三の2013年4月5日衆院予算委員会の答弁を見てみる。

 安倍晋三「(戦後)何年間の占領時代というのは戦争状況の継続であるということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。   
   (中略)
 我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。   
   (中略)
 (マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」――

 2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージ。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。
 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをしてその上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」――

 占領軍によって日本と日本人の精神が改造されたと言って、占領軍とその占領政策を激しく忌避し、日本国憲法を否定している。日本国憲法や教育基本法の「上に培われてきた精神」は戦争の反省に立ち戦後70年の平和の歩みを決定づけた精神でありながら、その精神を見直すことを主張している。

 いわば占領時代が日本の戦後の歴史を平和の方向に決定づけ、その出発点となった戦後の歴史の一部でありながら、安倍晋三はそのようには時代解釈をせず、占領時代を抹消しようとさえしている。

 このような歴史認識が安倍晋三の占領時代を除いた戦後の日本の歴史(純日本の歴史ともいうべき戦後の時代)に強い光を当てて、戦前の日本の戦争の歴史にしても純日本の歴史でありながら、不都合な歴史としてその強い光の陰にぼかしたい欲求へとつながっているはずだ。

 当然、安倍晋三が21世紀構想懇談会で言った「日本が歩んできた70年の道のりに静かな誇りを持つ」は戦争の歴史認識を欠くと同時に戦後の歴史認識をもその正確さを欠いた平和国家70年の歩みの提示であり、日本の戦争を歴史の背景に隠す自己都合そのものと言うことができる。

コメント (1)
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