10年前国交省が鬼怒川常総市新石下近くの堤防が決壊した場合の浸水シミュレーションをしていたという

2015-09-11 09:45:10 | 政治



 昨日9月10日の午後4時頃テレビの電源を入れたら、民法の特別番組をやっていて、台風18号の影響による大雨で鬼怒川が茨城県常総市で決壊したのを知った。台風18号から変わった温帯低気圧と日本の東の海上を北上する台風17号の影響で関東と東北地方が記録的な大雨に見舞われたと言う。

 決壊によって低い土地に流れ込んだ濁流が建物の2階近辺にまで届いていて、中には壊れた家や船のように浮いて、ゆっくりと流されている家などをテレビは映し出していた。

 東日本大震災のときに家々が次々と津波に流されていく、その威力の恐ろしさ程ではなかったが、そのシーンを思い出させる程にテレビの画面全体に濁流が広がっていて、家々が孤立した無力な様相を呈していた。 

 ただ驚いたのは家の2階や屋根に取り残された住民が手を振ったりして助けを求めている人数が意外と多かったことである。迷彩色に色塗りされていないから、自衛隊所属ではなく、どこのヘリコプターか分からなかったが、取り残された住民を一人ずつ吊り上げて救助活動を行っていた。

 何か黒色をした畳大の浮遊物の上に立ち電柱にしがみついていた中年男性も無事救助された。今朝ネットを見ると、既に「電柱おじさん」と名付けられていて、すっかりと有名人になっているようだった。

 取り残された住民が多いのはまだ眠りに就いている夜の暗い内に堤防が決壊して、そのために逃げ遅れてしまったのだろうかと思った。満水状態になっていた川の水が長さ1メートルでも堤防を決壊させれば、水はそこから土石流の勢いで低い土地に流れ込み、同時にその傷口を瞬く間に広げて、浸水地域を広げていく。

 だが、各マスコミの記事を調べてみると、決壊は午後早い時間であることが分かった。

 筑西市の観測所で洪水が起きる危険性がある氾濫危険水位を超えたのは9日午後11時半頃だと「NHK NEWS WEB」記事にある。

 氾濫危険水位を超えた個所の土手の高さと川幅がどのくらいあるのか分からないから、下流の土手の高さに対する増水状況にしてもどの程度か分からないが、筑西市下流の常総市新石下(しんいしげ)で堤防が決壊したのは国土交通省の情報で約1持間20分後の午後0時50分頃だと伝えている。

 真っ昼間の決壊でありながら、取り残された住民が多いと言うことはどういうことなのだろうか。

 警察庁の情報として9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民は約690人だと「毎日jp」が伝えている。

 筑西市は下流の各市町村にどの程度の規模か分からないが、鬼怒川氾濫の危険性を情報として伝えていたはずだし、常総市はその情報を把握していなければならない。

 常総市のサイトにアクセスしてみた。決壊場所に関係する指示のみを見てみる。「更新日:2015年9月10日」の日付で次のように指示を出していた。

〈避難指示が発令されました(午前2時20分)

玉地区、本石下と新石下の一部(県道土浦境線以北の区域)に、避難指示が発令されました。

鬼怒川が、はん濫のおそれがあります。

避難場所は、豊田小学校、豊田幼稚園、豊田文化センター、千代川中(下妻市)、宗道小(下妻市)を開設しています。〉・・・・・・

 玉地区、本石下と新石下の一部に向けて既に夜中の午前2時20分に避難指示を出している。

 玉地区は新石下から2キロ~3キロ上流で、同じく鬼怒川に近接している。本石下は南北に石下を間に挟んで新石下の順で並び、新石下は鬼怒川と隣接している。

 既に夜中の内に避難指示が出していた以上、当然、無線放送の広報やあるいは巡回車で避難を促したはずだ。

 だが、勤めで出ているケースを除いて避難せずに自宅にとどまっていた住民が多かった。

 考えられることは、避難指示の理由が氾濫の恐れだったからではないだろうか。テレビが映し出していた決壊個所と隣接した壊れていない土手は雑草が青々と茂っていて、濁流でなぎ倒された様子も、濁水で茶色に汚れていたり、ゴミが付着していたりする濁流が超えた様子がどこにも見えなかったから、氾濫が誘発した堤防の決壊ではなく、危険水位近くか、危険水位を超えた増水の圧力が誘発した決壊に思える。

 問題は河川の増水、あるいは氾濫は目視できたとしても、決壊は多くの場合、目視できないということである。堤防の近くにいて、決壊を目視できたとしても、自分は逃げることができるかもしれないが、多くの住民にそのことを知らせる余裕はなかなかないはずだ。

 つまり住民の多くは常総市が警告を発していた氾濫は想定していたとしても、氾濫よりも濁流が一気に襲ってくるスピードと勢いが何倍も違う決壊を想定していなかった。

 氾濫の場合は、濁流が土手を超えてからでも、そのことに気づきさえすれば、避難も可能である。土手の決壊はそのことに気づいたときには手遅れと言うことが多いはずだ。避難せずに自宅にとどまっていた以上、二階屋なら、二階に逃げるか、平屋なら、屋根に逃げるしかない。

 そのような状況に見舞われた住民が9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民は約690人という、かなり多い人数ということなのだろう。現在、12人が行方不明になっているという。

 もし土手の決壊を想定していたなら、多くの住民が前以て避難していたはずだ。

 今回の鬼怒川の堤防決壊は1949年8月以来だという。他にはインターネット上に、〈昭和には台風や大雨で5回決壊し、いずれも大きな被害を生んでいる。〉という記述がある。
 
 このような決壊の歴史を受けてのことなのだろう、国土交通省が10年前、今回堤防が決壊した茨城県常総市の鬼怒川の現場のすぐ近くで堤防が決壊した場合を想定した浸水状況のシミュレーションを行っていたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 〈決壊が発生したあと、川の水は住宅地に流れ込み、6時間から8時間程度で南北およそ15キロ、東西2キロ余りに広がり、およそ37平方キロの範囲が浸水〉、〈浸水の深さは広い範囲で1メートルから2メートル程となり、深いところでは5メートルに達する恐れがある。〉と推計。

 国土交通省は10日午後、鬼怒川左岸の堤防決壊について浸水被害面積は37平方キロメートル、深さ最大5メートルの浸水となる恐れがあると発表しているが、10前のシミュレーションに基づいて算出したのかどうか、現場上空をヘリコプターを飛ばして推計したのかどうか分からないが、10年前の想定値とほぼ同じとなっている。

 国交省は10年前のこの情報を常総市に伝達し、共有していたのだろうか。

 9月10日の「常総市河川情報」は午前7時40分に若宮戸での鬼怒川が越水と、国土交通省の午後0時50分頃決壊の情報に約15分遅れた午後1時15分の鬼怒川決壊の告知のみで、危険性としての決壊の恐れを前以て伝える情報発信は見ることができない。

 国交省にしても常総市にしても、国土交通省の10年前の鬼怒川決壊シミュレーションが今回の土手決壊の現場近くを想定したものでありながら、生かすことができなかったのだろうか。

 それとも生かしていたのだろうか。生かしていながら、9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民約690人、12人が行方不明という結果になったのだろうか。

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