砂川最高裁判決は自衛隊を9条2項の保持禁止戦力と規定、これは同時に集団的自衛権の行使禁止を意味する

2015-09-06 07:59:01 | 政治


 山口繁・元最高裁長官(82)が9月1日、朝日新聞のインタビューを受けている。

 山口繁・元最高裁長官(安保法案を「違憲」と考える理由について)「長年の慣習が人々の行動規範になり、それに反したら制裁を受けるという法的確信を持つようになると、これは慣習法になる。それと同じように、憲法9条についての従来の政府解釈は単なる解釈ではなく、規範へと昇格しているのではないか。9条の骨肉と化している解釈を変えて、集団的自衛権を行使したいのなら、9条を改正するのが筋であり、正攻法でしょう」

    ・・・・・・・・

 (安倍内閣と自民党が米軍駐留の合憲性を争った1959年の砂川事件最高裁判決が法案合憲性の根拠になると主張しているのに対して)当時の最高裁が集団的自衛権を意識していたとは到底考えられないし、(憲法で)集団的自衛権や個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった」――
    
 要するに1959年の砂川事件最高裁判決はどう憲法解釈を施そうと集団的自衛権行使合憲の根拠とはならないし、集団的自衛権の行使を考えているなら、9条を改正するしかないと言っている。

 9月4日、砂川事件最高裁の弁護団が集会を開き、「この判決を根拠に集団的自衛権の行使は憲法に違反しないという政府の主張は誤った法律論だ」と批判したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 但し記事は、〈最高裁判所は昭和34年に「戦力の保持を禁じた憲法9条の下でも、主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない」と判断しています。〉と、さも9条が自衛権を認めているように解説しているが、最高裁のこの判断には前段があり、9条は「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしも ちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」との文言で、一般論として主権国家である以上、固有の自衛権は何ら否定されていないとしているのみで、9条が戦争を放棄し、戦力の保持を禁止していることに解釈変更の手を加えているわけではない。

 色々と当方のブログに砂川最高裁判決が集団的自衛権行使の根拠足り得ないことを書いてきたが、上記二つの記事に刺激を受けて、改めて別の角度から砂川最高裁判決が現憲法下でも集団的自衛権の行使が可能であると判断を下したものではないことを書いてみることにした。

 砂川事件最高裁判所の田中耕太郎裁判長は判決文の後に補足意見を述べている。「およそ国家がその存立のために自衛権をもっていることは、一般に承認されているところである」等々、国家としての一般的防衛論を指摘した後、最後は次のとおりになっている。

 「以上の理由からして、私は本判決理由が、アメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断した原判決を、同条項および憲法前文の解釈を誤ったものと認めたことは正当であると考える」・・・・・・

 要するに砂川事件の裁判は現憲法下での集団的自衛権行使の可否を争ったものではなく、米軍の日本国駐留が現憲法に違反しているかどうかを争った裁判だということであって、当然、安倍晋三を筆頭にその内閣、与党が集団的自衛権行使を砂川裁判判決に求めるのは何ら根拠がないということである。

 勿論、主文でも米軍の日本駐留が日本国憲法違反ではないことを述べている。

 文飾は当方。
 
 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうも のであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」

 要するに米軍が日本に駐留しても、その戦力は日本国憲法「第2章 第9条 2項」が、「前項(9条1項)の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定している「戦力」に当たらないとの理由づけで米軍の日本駐留の合憲性を示したに過ぎない。

 では、第9条2項が保持することを禁止している「戦力」についてはどのように判断しているのか、上記判断から抽出してみると、第9条2項が「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指」すと、「わが国自体の戦力」である自衛隊を日本国憲法が定める保持禁止戦力としている。

 その根拠を「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」であるところに置いている。

 繰返し言うと、第9条2項規定の保持禁止戦力とは「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権」を行使できる戦力であって、自衛隊に他ならないことになる。

 砂川最高裁判決はアメリカ軍の日本駐留を日本国憲法に違反しないとした代わりに自衛隊を違憲とし、日本に駐留する米軍に自衛権の代行を委託したのである。

 自衛隊を違憲としないためには自衛隊の「指揮権、管理権」を日本政府からアメリカ政府に委ね、日本国駐留のアメリカ軍の指揮下に置く以外にないことになる。       

 日本政府が主体となって自衛隊に対して指揮権、管理権を行使することが憲法に違反する「戦力」になると言うことなら、当然、新3要件を設けようが設けまいが、個別的自衛権にしても集団的自衛権にしても行使したら憲法違反となって、行使できないことになる。

 断るまでもなく、自衛隊という戦力を用いて個別的・集団的自衛権のいずれを行使するにしても、日本政府が主体となって自衛隊に対して指揮権・管理権を行使することになるからであり、そうなった場合、自衛隊はたちまち9条2項が保持を禁止する「戦力」に早変わりすることになるからである。

 安倍晋三も内閣も自民党も公明党も、砂川事件最高裁判決を集団的自衛権行使の根拠とするマヤカシは直ちにやめた方がいい。

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