官房長官菅義偉の中国「抗日戦争勝利70年」記念式典・軍事パレードに事寄せて「未来志向」を言うマヤカシ

2015-09-04 09:31:26 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

     《9月1日小沢一郎代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》

     こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     9月1日に行われた小沢一郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しました。ぜひご一
     読ください。

     【質疑要旨】
     ○維新の党分裂問題の野党共闘への影響について 
     ○8.30国会10万人集会への参加について    
     ○五輪エンブレムの使用中止について                           
     ○日中、日韓の間の首脳会談が行われていないことについて 
     ○山本共同代表の質問について 
     ○USJ調査費の予算計上について

 中国は対日戦勝記念日を日本がポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日の翌9月3日としていて、今年のこの日、盛大なと言っていいのか、盛大過ぎると言うべきか、「抗日戦争勝利70年」と銘打った記念式典と軍事パレードを北京の天安門広場周辺で行った。軍事パレードではアメリカ本土も射程に入るとされる最新鋭の大陸間弾道ミサイルや、最新鋭の艦載機「殲15」、海上での作戦に当たる早期警戒管制機などが、どうだ、凄いだろうとばかりに威風堂々と披露された。

 別に中国の肩を持っているわけではない。テレビのニュースで見たときの率直な感想に過ぎない。

 中国政府が今年を「抗日戦争と反ファシズム戦争の勝利70年」と位置づけて、「抗日戦争の勝利を記念する」とした軍事パレードを行うのは初めてだそうで、その最大の集大成が軍事パレードということなのだろう。

 中国は欧米各国首脳を式典に招いたが、アメリカを初め、ドイツ、イギリス、フランス等が中国の軍拡への懸念等の理由で出席を見合わせたという。

 我が日本の安倍晋三も、招待を受けながら、出席を中止した。欧米各国首脳と足並みを揃えたことと、「抗日」と日本を直接対象とした式典と軍事パレードに反日の性格を読み取ったからなのだろう。

 安倍晋三が習近平国家主席の横に立って、中国軍の軍事パレードに向かってナチス式の敬礼を見せたなら、素晴らしい絵になったはずだが、出席中止は残念な限りである。

 少なくとも安倍晋三にははそういった敬礼との近親性を感じさせる何かがある。

 ロシアのプーチンの出席は当然過ぎるが、特に注目を集めた出席者は韓国のパク・クネ大統領の出席だろう。アメリカの出席見合わせの要請を無視して民主国家の首脳として唯一出席し、習近平からプーチンに次いでナンバー2の位置に立った。

 韓国内には朝鮮戦争で敵国として戦った中国軍の軍事パレードに参加したことに批判する声が上がっているというが、日本もアメリカと戦争しながら、今では米国ベッタリの同盟国となっているから、この比較から言うと、韓国が中国ベッタリの同盟国になるまでが許容範囲と見なければならない。

 官房長官の菅義偉が9月3日午前の記者会見で中国の軍事パレードについて発言している。

 菅義偉「日本政府としては、戦後70年に際し、過去の不幸な歴史に過度に焦点を当てるのではなく、国際社会が直面する共通の課題に未来志向で取り組む姿勢を示すことが重要であると考えており、こうした観点から行事を注視してきた。

 日中間には国交正常化以来の日中友好の歴史があり、日中関係は改善基調にあると思っている。中国側には『行事をいわゆる反日的なものではなく、日中間の和解の要素を含むものとしてほしい』と伝えてきたが、今回の習近平国家主席のスピーチにはそうした要素は見られず非常に残念だ」(NHK NEWS WEB)  
 
 好き勝手なことを言っている。「行事をいわゆる反日的なものではなく、日中間の和解の要素を含むものとしてほしい」と注文をつけたが、そうはなっていなかったと批判している。

 だが、安倍内閣は中国の歴史認識に逆らう歴史認識を取り、現在も同じ歴史認識を取っている。そのことに対する反動でもある「抗日戦争勝利70年」の記念式典であり、軍事パレードでもあるはずだ。

 パク・クネ韓国大統領を出席に向かわせたのも、安倍内閣が対中国と同様の韓国の歴史認識に逆らう歴史認識を取っていることも一つの原因となっていたはずだ。

 人間は相手に応じる。相手もまた、その相手に応じる。そのような相互対応を人間関係のメカニズムとしている。国に於いても然り。

 菅義偉はこのような関係性無視し、自分たちの歴史認識が表すことになっている反中国の姿勢を棚に上げて中国にのみ反日ではないことを求めたに過ぎない。

 このことは日中関係の未来志向を求めた言葉にも現れている。

 「戦後70年に際し、過去の不幸な歴史に過度に焦点を当てるのではなく、国際社会が直面する共通の課題に未来志向で取り組む姿勢を示すことが重要である」・・・・・

 未来志向は過去のどこを出発点とした未来志向なのかが重要な意味を持つ。なぜなら、未来志向とは過去とは異なる将来的な生き方を示す言葉だからであり、過去の歴史のどこを出発点としているかによって、将来的な生き方の目標や内容が違ってくるからだ。

 ドイツは明らかにナチス・ドイツの歴史を未来志向の出発点としている。

 安倍晋三、あるいは安倍内閣は未来志向の主発点を日本の過去の歴史のどこに置いているのだろうか。

 安倍晋三の歴史認識からして、安倍晋三が未来志向の出発点を日本の侵略戦争や植民地支配の歴史に置いていないことは火を見るより確かなことである。8月14日発表の「安倍晋三70年談話」にも現れている歴史認識である。

 安倍晋三自身は日本の戦争を侵略戦争だとも、植民地支配の戦争だとも認めていない。日本の敗戦の事実だけを認めて、その過去とは異なる将来的な生き方――いわば平和な歩みを示す未来志向は果たして許されるだろうか。

 敗戦の事実だけを認めるということは戦争の性格そのものを認めず、戦争の性格を置き去りにする歴史認識に過ぎない。そのような歴史認識で把えた敗戦を出発点とした未来志向は、いくら口では立派な未来を語ったとしても、口先だけとなる。

 但し安倍晋三が敗戦の事実を未来志向の出発点としているわけではないことは2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージでの発言が証明している。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」・・・・・・

 「日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」と占領政策を否定し、占領軍によって制定されたとして、日本国憲法や教育基本法を土台として築き上げた戦後体制を否定、そこからの脱却を目指すことを政治家としての自身の使命としている。

 いわば安倍晋三は1945年8月の日本の敗戦からサンフランシスコ講和条約が1952年(昭和27年)4月28日に発効して国家主権を回復するまでの約7年近くの占領時代を未来志向の出発点とし、占領政策からの脱却を――そのアカを綺麗サッパリと落とすことを未来志向の内容としたのである。

 首相がそうであるのに、官房長官の菅義偉が未来志向をどう言おうと、それが「国際社会が直面する共通の課題に未来志向で取り組む姿勢」の必要性からの要請であったとしても、日本の過去の戦争を出発点に置いていない未来志向は中国や韓国に信用が置けないものとして通じるはずはないことになる。

 安倍晋三が日本の戦争を侵略戦争とも植民地支配の戦争とも認めていないのだから、当然であり、敗戦も単に日本がアメリカよりも軍事力や戦争をするための諸々の資源が劣っていたからだとしか見ていないのかもしれない。

 にも関わらず、安倍晋三も菅義偉も日本の戦争という過去の歴史を出発点とした「未来志向」であるかのようにその言葉を使う。

 胡散臭いばかりのマヤカシと言うしかない。

コメント
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