平成天皇のパラオ訪問は昭和天皇と戦前日本の「国策の誤ち」に対する贖罪の旅の一つと見なければならない

2015-04-09 08:08:40 | 政治


 天皇と皇后が4月8日午前、民間のチャーター機で羽田空港を出発、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけて日米激戦地となったペリリュー島のあるパラオ共和国に向かった。

 出発の際、天皇はお言葉を述べている。文飾は当方。


 《皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば》宮内庁/2015年4月8日)  

パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲()ばれます。

私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。

 「日米の死者を追悼する」と言っているように9日に日米激戦地となったペリリュー島を訪問。日米戦死者を慰霊するという。

 日本軍死者は全滅に等しい1万名余。生存者34名。米軍総勢4万8千名の内死者1800名弱だという。

 戦闘員に代表される5倍近い兵力の差、戦術や戦略を含む総合的な戦力の結果として現れたこの死者の差は何を意味するのだろうか。無謀の戦いであったという一言に尽きるのではないだろうか。その結末であると。

 そしてこの無謀は一つの象徴に過ぎない。日中・太平洋戦争自体が無謀の戦争であり、無謀の戦争の一つの典型として現れたペリリュー島の無残な結末ということであるはずだ。

 無謀は誤ちによって生じる。的確・合理的な判断からは無謀は生まれない。不的確・非合理な判断が無謀を生み出す。

 マスコミは天皇・皇后のパラオ訪問を「慰霊の旅」だと表現している。果して戦死者を悼む慰霊だけを目的としたパラオ訪問なのだろうか。

 天皇は言っている。「このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います」

 「このような悲しい歴史」はペリリュー島に限ったことではなく、日本の戦前の戦争の時代を通した歴史を言うはずである。

 夥(おびただ)しい戦死者や民間人死者をつくり出した戦争を通して、「悲しい歴史」と言い、日本国民は「決して忘れてはならない」と言っている。 

 「悲しい歴史」とは、それが国家が起こした戦争の歴史を指している以上、“誤った歴史”を言うはずである。安倍晋三のような正しい歴史であるとの文脈での物言いではないはずである。

 いわば昭和天皇を頂点とした国家がつくり出した戦争自体が誤っていた。当然、昭和天皇の名によって宣戦布告が発せられた国策の誤ちを指すことになる。

 但し天皇の口から“誤った歴史”と言うことはできない。せいぜいできることは「悲しい歴史」と言うことぐらいだろう。

 少なくとも日本の戦争を「悲しい歴史」だとする自覚のもと、米軍死者と比較した場合、日本軍の余りにも夥しい数の戦死者を、例え日米両軍を含めてのことだとしても慰霊する。

 そのような歴史認識のもとの慰霊に贖罪の意味が込められていないとしたら、「悲しい歴史」とする意味が出てこないことになる。

 単に戦争で亡くなったとするだけで慰霊の役目を果たすことができる。

 天皇は戦後60年に当たる2005年6月28日、1944年9月15日から1944年11月25日のペリリュー島の戦いに先立って1944年6月15日から7月9日にかけて日米両軍が激突したサイパン島を訪問している。

 日本軍約3万1700人に対して戦死者約2万5千人。米軍約6万6千人に対して戦死者3500人。日本軍兵士と民間人が「生きて虜囚の辱を受けず」の命令を忠実に守ってサイパン島の海から800メートルの高さもある断崖絶壁から次々と身を投げ、バンザイクリフと名づけられて有名となった。

 その数5000人。一説に1万名とも言われている。教科書検定で「通説的な見解がない」と意見が付けられたら、より少ない人数で落ち着くことになるに違いない。

 だとしても、サイパン島の戦いは、ペリリュー島の戦いが映し出していた準備可能な兵力の差と死者数の差が象徴する総合的な戦力の差(=ハードとソフトを合わせた国力の差)を同じく結果としていて、「悲しい歴史」(=「国策の誤ち)を動機とした無謀の戦いを性格としていたことに変わりはない

 天皇は来月5月下旬には10万人以上が亡くなった東京大空襲の犠牲者慰霊のために東京の下町を訪問。6月には戦時中、魚雷攻撃などで沈没した民間船2500隻約6万人の船員を祀る、神奈川県横須賀市にある「戦没船員の碑」を拝礼する予定だと「毎日jp」記事が伝えている。

 こうまでも戦争で亡くなった死者の慰霊を続ける。天皇をそのように駆り立てるのは夥しい死者を生み出した「悲しい歴史」であり、それを忘れないための歴史の再確認であり、そのことを一身に背負った慰霊となるはずで、そうである以上、原因をつくり出した昭和天皇と戦前国家の「国策の誤ち」を贖罪する旅と見なければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅義偉初め安倍政権が使っている沖縄基地問題に関わる「粛々」なる言葉の二つの隠された意味

2015-04-08 09:00:51 | 政治


 「粛々」という言葉が話題にのぼっている。ご存知のように翁長沖縄県知事が4月5日の沖縄での官房長官の菅義偉と会談時、その言葉の使い方を批判したからだ。

 翁長知事「今や世界一、普天間は危険だから大変だという話になって、その危険除去のために沖縄県で負担しろという話をされること自体が日本政治の堕落ではないか。官房長官は「『粛々』という言葉をよく使われる。上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の怒りは増幅する。私は辺野古の新基地は絶対建設できないという確信を持っている。不可能だろう」(時事ドットコム

 「(普天間基地の)危険除去のために沖縄県で負担しろという話をされること自体が日本政治の堕落ではないか」という指摘の方こそが話題になるべきだが、「上から目線の『粛々』」という個所だけが取り上げられることになった。

 対して菅義偉は、これもご存知のように4月6日の記者会経験で「粛々」なる語を今後使わないと宣言した。何の気なしに使い慣れさせてきた言葉を急に使わないようにすることはなかなかの苦労を必要とするに違いない。何しろ何かと言うと使う常套句としてきたのだから。

 4月6日付の「ハフィントン・ポスト」「粛々と」という言葉についての解説を載せている。

「粛々と」とは、そもそもどういう意味なのか。政治家が対立する政党や世論の反対・批判を押し切って物事を進める時によく使われている。元をたどると、古代中国で鳥が羽ばたくようすを表す擬態語だという。
 広辞苑・大辞林・岩波国語辞典などの解説をまとめると「慎む」「厳か」「静かに」(行動する)という意味になる。東海テレビは、政治家が使う場合は、「世論の反対・批判を押し切って物事を進める時によく使われる」などと事例を紹介している。〉

 記事はついでに「東海テレビ」解説を併せ載せている。

 〈(東海テレビ|空言舌語より)

 政治家がいつ頃から「粛々」を使い始めたかは不明ですが、対立する政党や世論の反対・批判を押し切って物事を進める時によく使われる、という印象です。やや難解で強さのない「粛々」で露骨さを和らげながら、批判には耳を貸さず方針を押し通すのに使ってきました。かつては、この言葉がスマートに聞こえた時代があったのでしょう。しかし、今日では言い訳がましく聞こえます。〉――

 「粛々」という単語自体は動じないで淡々と物事を進めていくという意味があるはずだが、言葉にするとき、その裏には二つの姿勢の使い方があるように思う。

 一つは反対を受けている事柄・政策のその反対を無視する姿勢の表明としての使い方。

 もう一つは賛成を受けている事柄・政策のその賛成に喜んで添う姿勢の表明としての使い方。
 
 これまで使ってきた前者に関わる「粛々」の言葉を拾い出してみる。

 2014年1月14日記者会見。1月19日が沖縄県名護市長選投開票日。

 菅義偉「(選挙結果如何に関わらず)昨年末、沖縄県知事が辺野古埋め立てを承認し、そこは決定している。普天間飛行場の固定化は絶対あってはならない。地元の皆さんの理解を得ながら、粛々と進めていきたい」(MSN産経)――

 そもそもからして「地元の皆さんの理解」を言うなら、辺野古移設反対の意思を理解しなければならないはずだが、そうではないのだから、沖縄県民の総体的意思の無視以外の何ものでもない。無視を「粛々」という言葉を使うことによって隠蔽している。

 2014年10月30日告示、11月16日投開票の沖縄県知事選を控えた2014年9月10日記者会見。

 菅義偉「過去、普天間基地の移設賛成の知事や市長もいて、いろんな経緯の中で、仲井真知事が埋め立て承認を決定して1つの区切りがついている

 日本は、法治国家であり、仲井真知事の承認に基づいて粛々と工事をしており、もう過去の問題と思っている。わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しいなかにあって、アメリカ軍の抑止力を考えたときに、『唯一の選択肢というのは辺野古の埋め立てである』という政府の考え方は、全く変わっていない」(NHK NEWS WEB

 知事選の結果に動じないで淡々と物事を進めていくという意味以上に、「もう過去の問題と思っている」という言葉まで使うことで最大の無視の姿勢を露わにした「粛々」になっている。

 仲井真知事の沖縄県民に対する裏切りが実現させた埋め立て承認を安倍政権は辺野古移設の唯一の正当性の根拠としているのだから、「沖縄の民意?無視、無視、無視だ」と言っているに他ならない。

 2015年1月11日NHK「日曜討論」

 菅義偉「仲井真前知事から許可をいただいて、今、法律に基づいて粛々と工事に入っており、進めていきたい。

 (普天間基地の2019年初めまでの運用停止について)沖縄県の翁長知事に協力いただければ当然、行っていきたい」(NHK NEWS WEB

 「粛々」は無視の言い替えに過ぎない。

 以後も辺野古移設に向けて「粛々」なる言葉が頻繁に主として菅義偉の口を突いて出る。

 菅義偉以外に防衛相の中谷元が同じく沖縄基地問題で使っている。

 2015年1月26日収録NHK国際放送。翁長知事が前知事仲井真が行った名護市辺野古の埋め立て承認を検証する第三者委員会を設置したことについての発言。

 中谷元「既に沖縄県から工事の許可を得ており、粛々と、早期の移設に向け努力したい」(NHK NEWS WEB

 「沖縄県民の民意?そりゃあ、無視ですよ」のシカト姿勢が「粛々」を可能とする。あるいは逆に「粛々」を可能にするためには「無視、無視、無視」を前提としていなければならない。

 沖縄の民意を少しでも配慮したなら、「粛々」は成り立たない。

 2015年2月16日、翁長知事が防衛省沖縄防衛局に対して米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設する作業の一部を中断するよう指示したのに対して。

 中谷元粛々と(海底ボーリング調査の)作業を実施していく」(時事ドットコム

 「中断指示?無視、無視、無視」・・・・・・。同じく無視が成り立たせる「粛々」である。

 沖縄県が沖縄防衛局の海底作業を確認する潜水調査を開始したことについて。

 菅義偉「一方的に現状調査を開始したことは極めて遺憾だ。(海上ボーリング調査などの各作業を)政府としては環境に万全を期しながら各作業を粛々と進めたい」(産経ニュース

 沖縄県としたら、安倍政権が「粛々」と無視するから、一方的な行動に出ざるを得ない。だが、自分たちの「粛々」とした無視のみに一方的に正当性を置いているから、「粛々」という言葉を使った無視行為だと気づかない。

 2015年3月23日、翁長知事は沖縄防衛局に対して名護市辺野古沖での作業を1週間以内に中止するよう指示を出した。3月23日午前の記者会見。
 
 菅義偉「この期に及んで、そうしたことが検討されているとすれば甚だ遺憾だ。工事の許可は沖縄県側と十分調整したうえで受けたもので、政府としてそうした状況であることをしっかり説明していきたい。国が勝手にやっているわけではなく、沖縄県と調整をして許可をいただき、今日(こんにち)がある。工事を行っていることには全く問題はなく、粛々と工事を進めていくことに変わりはない」(NHK NEWS WEB

 同じく、「無視、無視、無視、粛々と無視」が工事進捗一辺倒の意思を駆り立てる。その工事進捗一辺倒の意思がまた、沖縄民意を「粛々」とした無視に駆り立てる。

 自分たちのみの正当性を置いたその循環となっている。自分たちのみに正当性を置くこと自体が「粛々」とした無視だとは気づかない。

 同日午後の記者会見。

 菅義偉「防衛省で文書の内容の確認を行っているところであり、現時点ではコメントは控えたい。ただ、アンカーの設置、防衛省と沖縄県の事前調整の段階で、沖縄県漁業調整規則などを踏まえ、十分な調整を行ったうえで実施している。わが国は法治国家であり、この期に及んでこのような文書が提出されること自体、甚だ遺憾だ。

 あえて申し上げれば、現時点で作業を中止すべき理由は認められないと認識している。ボーリング調査などの作業は、環境に万全を期して粛々と進めていきたい」(NHK NEWS WEB

 やはり無視を趣旨とした「粛々」になっている。

 2015年3月30日午後。

 中谷元「混乱するほど、(普天間飛行場の)問題は解決が遅くなる。工事は粛々と行っていきたい」(asahi.com

 「粛々」という言葉を使いながら、「無視、無視、無視」と言っている。

 そして4月5日、翁長知事から「上から目線の粛々だ」と批判を受けた。

 菅義偉は「不快な思いを与えたということであれば使うべきではないと思う」と以後使わないことを宣言したが、いくらその言葉を使わなかったとしても、沖縄の民意を無視し続けるなら、使わなくなったというだけのことで、何にも変わらないことになる。

 きっと腹の中では「上から目線の粛々」を続けることになるだろう。

 大体が安倍晋三がスローガンとしている「国民の命」とか、「国民の幸せな暮らし」とかが沖縄県民は除外し、無視した政治信条となっていることから始まっている「粛々」という言葉に隠した諸々に亘る無視の姿勢であるはずだ。

 「粛々」という言葉を使わなくなったからと言って、誤魔化されてはいけない。陰険な連中である。無視は何も変わらないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教科書検定に於ける「政府統一的見解」及び求めようがない「通説」要求に言論統制装置の役目を見る

2015-04-07 10:24:18 | 政治

 
 新たな検定基準適用に伴った来年4月から使用の中学校すべての教科教科書104点対象の検定が行われたという。次の記事、《教科書検定 領土に関する記述は2倍以上に増加》NHK NEWS WEB/2015年4月6日 16時07分)を読むと、歴史教科書に於ける今回検定の特長は“政府統一的見解”と“通説の不在”が教科書の内容を決定する大きな力を持っていると読み取れることである。  

 “政府統一的見解”に優越性を持たせた教科書との関係性の中で教科書内記述と“政府統一的見解”との併用、あるいは整合性を求めていくうちに“政府統一的見解”自体が葵の御紋のような絶対的力を持ち始めないか恐れる。

 あるいは情報処理及び情報管理が確立していない時代の歴史的事実は通説(世間一般に通用している説)が一定していないケースが多いのが一般的であるのに対して国家権力が“通説の不在”なるものを武器として歓迎しない歴史的事実にそれを求めた場合、歴史的事実の被害の残虐性の規模やそのことから受ける衝撃の規模を過小化したり矮小化したりすることが可能となる。

 このことを裏返すと、加害側の残虐性や冷酷性の過小化、あるいは矮小化そのものとなる。

 詳しいことは記事を参考にして貰うとして、二つ例を挙げてみる。

 先ず従軍慰安婦。元慰安婦の具体的な証言や写真を掲載。対して文科省から「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」という意見がついた。

 従軍慰安婦に関わる政府統一的見解とは、第1次安倍内閣が2007年3月16日に閣議決定した政府答弁書の文言を指すことは上記記事には書いてないが、「同日(1993年8月4日)の調査結果(=「河野談話」)の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」を指す。

 これを受けて教科書会社は元慰安婦の具体的な証言や写真などを削除、殆どの部分を中国残留孤児や日中国交正常化と戦後補償の記述に差し替えた。
 
 但し教科書会社は従軍慰安婦問題を巡って謝罪と反省を示した「河野官房長官談話」を掲載、「現在、日本政府は『慰安婦』問題について『軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない』との見解を表明している」とする政府見解を加えて、最終的に合格したと言う。

 このような構成を持たせた教科書の記述は、まだ詳しい歴史的知識を有していない中学生からしたら、彼らにとっては遥か遠い過去に発表された「河野談話」が描く従軍慰安婦の事実よりも“政府統一的見解”が示す従軍慰安婦に関わる現時点での事実の方がより説得力を持つことになるはずである。何しろ現在の日本政府の見解である。

 “政府統一的見解”の狙いはここにあるはずである。まだ歴史的知識が浅い内に“政府統一的見解”を刷り込み、その刷り込みによって望む歴史的事実に統一しようとの狙いがあるのだから、一種の言論統制装置そのものの役目を担わせていることになる。

 このような文科省の教科書に対する意見を受けた教科書会社の記述差し替え、検定合格という経緯を見ると、文科省は意見の根拠としている“政府統一的見解”が教科書会社に対して生殺与奪の武器となっていることを否応もなしに理解しなければならなくなる。

 “政府統一的見解”を素直に受け入れることで、教科書会社は生き残ることができる。いわば生きるも死ぬも“政府統一的見解”が決定権を握ることになるし、既に握りつつある。

 この決定権は右翼国家主義者の安倍晋三の内閣が続く限り、強化されていくだろうから、“政府統一的見解”はいとも簡単に無敵な優越性を抱えた言論統制装置となり得る。

 次の例は関東大震災についての記述。

 記事は関東大震災の発生後の混乱の中で殺害された朝鮮人の人数を「数千人」と書いた2点の教科書の記述が「通説的な見解がないことが明示されておらず、生徒が誤解するおそれのある表現だ」と意見がついたと解説している。

  教科書会社1社は当時の政府など複数の調査結果や「虐殺された人数は定まっていない」という記述を加えた上で、「おびただしい数の朝鮮人が虐殺された」と修正。

 他の1社は「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名余りと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるとも言われるが、人数については通説はない」と修正。

 「人数については通説はない」とすることによって「数千人」は表現自体からも曖昧な数字とすることが可能となり、司法省発表の数字で確定的に示した「230名余り」が生きてくることになって、被害の残虐性の規模やそのことから受ける衝撃の規模を過小化、あるいは矮小化することが可能となる。

 結果、虐殺に加わった日本人の残虐性や冷酷性の過小化、あるいは矮小化を併せて可能とすることができる。

 いわば歴史的事実の多くに関して確定的な通説(世間一般に通用している説)は求めようがなく、様々な通説が存在していることを逆手に“通説の不在”に絶対的な力を与えて、望む歴史的記述に統一的に変えていくことで教科書検定の言論統制装置とすることができる。

 この“政府統一的見解”と“通説の不在”を武器とした言論統制装置は断るまでもなく安倍晋三の歴史認識を中学生のうちから刷り込み、将来的には日本人全体の歴史認識とする機能を期待的に持たせているはずである。

 最後に安倍内閣の従軍慰安婦に関わる“政府統一的見解”は従軍慰安婦の強制連行を認めている「河野談話」を安倍内閣として引き継ぐとしている姿勢と矛盾することになる。

 にも関わらず、“政府統一的見解”と“通説の不在”で日本人の歴史認識を統一しようとしている。その欲求が如何に強いかを物語って余りある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKぐるみで籾井勝人の会長としての公私混同を隠蔽しているとしか見えないハイヤー代金経理処理の報告書

2015-04-06 09:35:15 | 政治


 NHK会長籾井勝人が私用ハイヤー代金の請求をNHKが立て替えていた問題で籾井勝人はお咎めなしとなったNHK監査委員会の調査・報告書を読んだ。無料「Adobe Reader」の場合に限ってだと思うが、コピー&ペーストができないPDF 記事となっているから、他のソフトを使った全文をここに記載してみる。

 大体が国民の視聴料で成り立っているNHKが広く知らせて、その妥当性の論評を受けるべき情報をコピー&ペーストができないPDF 記事で公表すること自体が矛盾している。


 《会長のハイヤーの私的利用をめぐる経理処理」事案に関する報告》NHK監査委員会/2015年3月19日)    

 監査委員会活動結果報告書

(「会長のハイヤーの私的利用をめぐる経理処理」事案に関する報告)

 監査委員 上田良一
 監査委員 室伏きみ子
 監査委員 森下俊三

1.事案の概要 

 会長が平成27年1月2日に私用目的で利用したハイヤーの代金(約5万円)が、他のハイヤー利用代金と区別せずに経理処理され、協会が2月27日に支払った1月分のハイヤー代金には当該ハイヤー代金が含まれていた。なお、会長は、当初から当該ハイヤー代金を自ら負担する意向を示しており、3月10日にその金額全額を協会に償還した。

2.協会の対応 

 協会の総合リスク管理室は、会長が、業務用のハイヤーを私的に利用した旨の情報を受け、速やかにコンプライアンス統括理事に報告したうえで、事実確認を開始した。

 総合リスク管理室によれば、総務局の車両担当の部署に、1月2日に会長の自宅と小平市内との往復に使われたハイヤー乗車票(以下、「本件ハイヤー乗車票」)の控えがあること、代金は4万9,585円であること、および1月2日に小平市内のゴルフ場で新年のゴルフ大会があり、会長がこれに参加したことが確認された。なお、総合リスク管理室の調査では、会長が就任した平成26年1月から平成27年2月までの間に、会長名で休日にハイヤー乗車票が使われた事例は他にはないことも確認されている。

 コンプライアンス統括理事は、2月27日に監査委員に対し概要を報告し、また、その後3月5目までに順次判明した事実について報告を行った。

3.監査委員会の対応  

 監査委員が3月6日に会長に事実確認の聴取を行ったところ、会長は1月2日に、自宅とゴルフ場への往復に協会が手配したハイヤーを利用したが、当初から当該ハイヤー代金を自己で負担する意向を示していたと述べ、ハイヤー代金はその場でただちに支払うと申し出た。

 監査委員会は、会長が私用目的でハイヤーを利用すること、およびその代金を協会が負担することは重大な問題となり得ることから、3月9日の監査委員会において、ただちに会長を含む関係者から事実確認のための聴取等を行うことを決定した。聴取等の概要は以下のとおりである。

・会長からの聴取

 3月9日と16日に、会長から事実関係等について聴取した。

・コンプライアンス統括理事からの聴取

 3月11日、総合リスク管理室の調査内容と結果について聴取した。

・秘書室からの聴取

 3月11日から13日にかけて、秘書室長をはじめ職員から、事実関係(特に、本件ハイヤー乗車票起票の経緯等)について聴取した。

・関係部局職員からの聴取

 3月16日、総務局職員から協会による本件ハイヤー手配の状況等について、また、経理局職員から本件ハイヤー代金支払いの経緯等について聴取した。

・副会長からの聴取

 3月16日、秘書室を統括する副会長から再発防止策等について聴取した。

4.判明した事実

 上記3.記載の聴取等により本日までに判明した事実は、以下のとおりである。 

(1)協会によるハイヤー手配

 平成26年12月26日に、会長から秘書室に対し、「1月2日に小平市内のゴルフ場に行くため車の手配を頼みたい」旨の要請があった。秘書室は、ゴルフは私用目的であることから、公用目的で利用される「会長車」ではなく、ハイヤーの利用を会長に提案し、会長もこれを了承した。なお、会長は、私用目的でのハイヤーの手配を秘書室へ要請した理由について、安全の確保(セキュリテイ)に配慮したことを挙げており、秘書室長も、そのほか情報管理や緊急時の連絡に備えた所在確認のため、長時間の外出には協会が手配したハイヤー利用が望ましいと考えたことを認めている。

 12月31日、秘書室職員が総務局のハイヤー配車担当者に連絡し、1月2日の午前8時に会長の自宅にハイヤーを手配するように依頼し、行き先については、当日会長の指示を仰ぐように伝えた。

 秘書室では、ハイヤー代金については会長の「後払い」によることにしたが、具体的な支払時期・方法については検討・確認を行わず、また、会長への説明も行っていなかった。 (注)

 (2)ハイヤーの使用

 会長は、1月2日に、私用である新年のゴルフ大会に参加するため、自宅と小平市のゴルフ場との往復に協会が手配したハイヤーを利用した。ハイヤー乗車票によると、ハイヤーは午前7時に出車し、午後7時30分に帰車していた。
 
 (3)ハイヤー乗車票の事後起票

 年始休暇が終わった1月6日頃に、ハイヤー配車担当者から秘書室に対し、本件ハイヤー代金の精算方法について照会があった。

 秘書室職員は、これを受けて1月13日にハイヤー乗車票に使用日時等を記入し、ハイヤー配車担当者に提出した。ハイヤー乗車票は通常、業務目的での利用に際し起票されるものであるが、業務内容として「外部対応業務」と記されているなど、本件ハイヤー乗車票には私用であることを識別し得る記載はなかった。また、本来使用者である会長が自署すべき使用者欄には秘書室職員が会長の氏名を記名して提出した。

 秘書室職員は、このような対応をとった理由について、「催促され、時間がないので、とりあえず伝票を出そう」ということになり、内容を精査しないまま記載して、本件ハイヤー乗車票を提出したと証言している。

 これらのハイヤー乗車票の起票等について、会長に対する報告は行われていない。

 (注)協会は、協会が手配するハイヤー・タクシーについて私用目的での利用は内部規定上詰めておらず、運用上も通常は業務遂行のための利用のみが認められている。

 業務に利用するハイヤーについては、乗車場所・経路その他の必要事項を記載したハイヤー乗車票を起票して、ハイヤー配車担当者(総務局)に提出することで、配車の依頼を行う。このため、ハイヤー乗車票は、通常、ハイヤーの利用前に起票される。ハイヤー利用後、降車特に、使用者は、降車時刻と白身の氏名を記人し、運転者に渡すことが求められる。ただし、緊急を要する場合等には、ハイヤーの利用後に乗車票を起票することが認められている。

 他のタクシー乗車票やハイヤー乗車票とともに、1月利用データとして、支払請求票を作成した。この支払請求票は、経理局中央審査部に回送された。審査・決定を経て、本件ハイヤー乗車票の代金は、2月27日、ハイヤー会社に他の代金とともにまとめて支払われた。

 なお、秘書室長は後になって秘書室職員がハイヤー乗車票を事後的に起票したことを知ったが、「途中で特定のハイヤー乗車票を回収することは異例な手続きであり、支払請求票の作成後、金額がわかった段階で、会長から協会に支払ってもらおうと考えていた」と説明している。

 これらの経理処理等について、会長に対する報告は行われていない。

 (5)会長からのハイヤー代金の償還

 3月6日に監査委員が会長に本件に関する事実確認をした際、会長は、当初からハイヤー代金は自分で負担する意向であったと説明し、ただちにその場で代金を支払うことを申し出た。週明けの9日には、会長から秘書室長にハイヤー代金全額が手渡され、協会への償還手続きが10日に完了した。

 秘書室職員は「ハイヤー会社への振り込みが行われた後、速やかに支払手続きをとるべきだったが、失念していた」、また「職員の間で、支払手続きについても認識が不十分だった」などと説明している。

 (6)秘書室の見解と再発防止策

 秘書室長は、監査委員会に対して、私用目的のハイヤー利用であることを認識していながら、支払時期・方法について十分な検討・確認を行わなかったこと、業務目的の場合と同様に本件ハイヤー乗車票を起票したことについて「不適切だった」との認識を示した。

 その上で、今後は、秘書室におけるハイヤー乗車票の管理責任者を明確にすること、管理責任者がハイヤー乗車票の起票が妥当かどうかについて適切な判断をすること、会長による私用目的の利用について必要がある場合には、協会が手配を行う場合であっても、ハイヤー会社から会長宛の請求書が届くように手続きを徹底させることなどの再発防止策をとるとしている。

 また、秘書室を統括する副会長も秘書室に対し適切な指導を行っていくことを表明している。

 5 監査委員会意見

 上記「4.判明した事実」に基づく監査委員会の意見は、次のとおりである。

 (1)監査委員会は、会長が、私用目的であったとしても、その立場上必要な、身柄の安全、情報管理および所在確認のために、協会が手配するハ

イヤーの利用を必要とする場合があることを否定するものではない。

 しかしながら、協会の「倫理・行動憲章」の「行動指針」では「公私の区別を徹底し誠実に職務を遂行します」と明記されており、監査委員会

は視聴者からの受信料で成り立つNHKにとって、公私の区別が極めて重要であり、とりわけ協会のトップである会長や会長を支える秘書室等

には、高い倫理観と説明責任が求められていることを常に意識して行動すべきであると考える。協会は、会長のハイヤー・タクシー利用の在り

方を検討する必要がある。

 (2)また、秘書室は、

 ① 本件の会長によるハイヤー利用が私用目的であるにもかかわらず、ハイヤーを手配した時点、配車担当者からの照会があった時点のいずれにおいても、利用代金の支払時期・方法等の検討・確認を怠ったこと、

 ② 利用代金についてハイヤー会社からの直接請求など然るべき手続きを検討も実行もしなかったこと、

 ③ 業務目的で利用する場合に用いられるハイヤー乗車票を安易に起票したこと、

 ④本件ハイヤー乗車票の内容に鑑みれば、秘書室が支払い処理を積極的に申し出ない限り、精算が行われなかったおそれがあるが、監査委員が事実関係の確認のための聴取を行った時点でもまだ自主的な支払手続きを開始していなかったことなど、本件に対する対応はずさんであったとの誹りを免れず、早急に改善すべきと考える。

 秘書室の業務を統括する副会長も、会長からハイヤー代金の償還があるまで今回の事案について認識しておらず、監督責任を果たすことが出来ていなかった。

 (3)さらに会長も、私用目的で協会が手配したハイヤーを利用する場合には、自身の支払いが終了していないことについて、適宜、注意を喚起し、必要に応じ適切な指示を出すべきであったと思われる。

 今回の件を受けて、関係者があらためてコンプライアンス意識を徹底し、協会が再発防止策を着実に遂行していくかどうか、監査委員会は引き続き注視していく。 以上 
 先ず籾井勝人の車の手配依頼から籾井勝人自身が代金を支払うまでを時系列で見てみる。

 平成26年12月26日 籾井勝人から車の手配依頼
 平成26年12月31日、NHK総務局ハイヤー配車担当者が秘書室職員の要請を受けて日時・場所をタクシー会社に伝えてハイヤー配車を依頼。
 平成27年1月2日 籾井勝人NHK手配のハイヤー利用 
 平成27年1月6日頃 NHK総務局ハイヤー配車担当者から秘書室に対し精算方法についての照会。
 平成27年1月13日 ハイヤー乗車票に使用日時等を記入してNHK総務局ハイヤー配車担当者に提出。
 平成27年2月27日 籾井勝人私用ハイヤー代金がNHK公用乗車代金と共に支払われる。
 平成27年3月6日 監査委員が籾井勝人に本件に関する事実確認を行う。
          籾井勝人は当初からハイヤー代金は自分で負担する意向であったと説明。
 平成27年3月9日 籾井勝人から秘書室長にハイヤー代金全額が支払われる。
 平成27年3月10日 協会への償還手続きが完了。

 以上である。

 1月2日に代金は自分で払うと言ってハイヤーを利用してから、3月10日に支払いを完了するまで2ヶ月以上も経過している。しかも催促されてのことである。

 報告書は、〈協会によるハイヤー手配〉について、〈平成26年12月26日に、会長から秘書室に対し、「1月2日に小平市内のゴルフ場に行くため車の手配を頼みたい」旨の要請があった。秘書室は、ゴルフは私用目的であることから、公用目的で利用される「会長車」ではなく、ハイヤーの利用を会長に提案し、会長もこれを了承した。〉と書いてある。

 要するに籾井勝人は「会長車」を利用するつもりでいた。だが、秘書室が「ゴルフは私用目的である」からとハイヤー利用を提案、籾井勝人は了承した。

 と言うことは、自分からの代金の支払いは当初は考えていなかった。しかも私的目的に「会長車」の利用を考えていた。

 いわば公私混同に気づいていなかった。公私混同を思いとどまらせたのは秘書室ということになる。

 籾井勝人は報告書が3月19日に公表される3日前の3月16日参議院予算員会に参考人として出席、小川民主党議員の質問に対して次のように答弁している。

 籾井勝人「1月2日にプライベートでゴルフに行く予定があり、去年の暮れに秘書に対して、公用車ではなく、ハイヤーの配車を依頼して、代金は自分で払うことを伝えていた。私のところに代金の請求があり、金額が分かった時点で、全額を支払った。私が支払ったのは3月9日だ」

 「公用車ではなく、ハイヤーの配車を依頼」と自分の意思として述べていることは真っ赤なウソとなる。秘書室の意思としてそうなったに過ぎない。

 「代金は自分で払うことを伝えていた」の発言にしても、当初はそのつもりではなく、秘書室にハイヤー利用を勧められてからの意思でなければならない。

 果してNHKが一括して代金を支払うNHK御用達のタクシー会社のハイヤーを使うということで、自分で代金を支払うことまで考えていたかどうかである。

 籾井勝人はHK御用達のハイヤー利用の理由を「安全の確保(セキュリテイ)への配慮」としているが、後付けの尤もらしい理由に過ぎない。ただ単に安易に公私混同となる「会長車」の利用を当初は考えていたからである。

 秘書室長にしても、ハイヤー利用の理由を安全の確保(セキュリテイ)以外に情報管理や緊急時の連絡に備ええる所在確認のためには協会手配のハイヤーの利用が望ましいからだとしているが、これも後付けに過ぎず、単に公私混同を避けるためと自分で手配してくださいと言うことができなかったからだろう。

 ゴルフ場への行き帰りの「安全の確保(セキュリテイ)」は大手タクシー会社に依頼すれば確保できることであるし、車中での仕草や言葉の遣り取りの雰囲気から明らかに愛人と分かる女を同行していない限り、どのような情報管理があるというのだろうか。「緊急時の連絡に備ええる所在確認」は携帯電話で事足りるし、何もNHK御用達のタクシー会社でなければならないという理由とはならないからだ。

 また、〈秘書室では、ハイヤー代金については会長の「後払い」によることにしたが、具体的な支払時期・方法については検討・確認を行わず、また、会長への説明も行っていなかった。〉としていることもおかしい。なぜなら、自分で支払う意思でいたなら、籾井勝人自身の方から、帰宅時に運転手に直接支払うことができるのかとか、そうでなければ、請求書は会長室に別途直接届けて欲しいとか聞くか言うべき問題だからだ。

 少なくとも支払いはどういうふうになるのかを聞くべきだったろう。

 だが、聞きもしなかった。

 要するに監査委員会は問題解明の重点を秘書室の対応により置いている。

 最も疑問に感じる点は、「ハイヤー乗車票の事後起票」についての説明である。

 先ず最初に、〈年始休暇が終わった1月6日頃に、ハイヤー配車担当者から秘書室に対し、本件ハイヤー代金の精算方法について照会があった。〉としている。

 この照会に対して秘書室職員は1月13日にNHK内の総務局ハイヤー配車担当者に向けて事後起票を行った。

 事後起票については、〈業務に利用するハイヤーについては、乗車場所・経路その他の必要事項を記載したハイヤー乗車票を起票して、ハイヤー配車担当者(総務局)に提出することで、配車の依頼を行う。このため、ハイヤー乗車票は、通常、ハイヤーの利用前に起票される。ハイヤー利用後、降車特に、使用者は、降車時刻と白身の氏名を記人し、運転者に渡すことが求められる。ただし、緊急を要する場合等には、ハイヤーの利用後に乗車票を起票することが認められている。〉と、それが間違いではないとしている。

 NHK総務局ハイヤー配車担当者は秘書室に対して籾井勝人のハイヤー代金の精算方法の照会をしたのである。それに対して精算方法を伝えるのではなく、配車依頼の事後起票を行った。

 それともハイヤー利用前のハイヤー乗車票にしても事後起票にしても、そこに精算方法が書き入れる欄があって、照会通りに書き入れたということなのだろうか。

 だとすると、〈会長は、当初から当該ハイヤー代金を自ら負担する意向を示して〉いたとするなら、その欄に「籾井勝人会長個人支払い」といったことを記入すべきだが、〈ハイヤー乗車票は通常、業務目的での利用に際し起票されるものであるが、業務内容として「外部対応業務」と記されているなど、本件ハイヤー乗車票には私用であることを識別し得る記載はなかった。〉としている説明と大きく矛盾する。

 いわば精算方法の照会に対して「私用であることを識別し得る記載はなかった」――

 また、〈業務内容として「外部対応業務」と記されているなど〉と説明している「外部対応業務」なる言葉は業務用のハイヤー乗車票に記載する一般的な文言ではなく、「本件ハイヤー乗車票」にそう記してあったという意味であるはずだから、ハイヤー代金の精算方法の照会に対して籾井会長の「外部対応業務」とした、いわば個人支払いではなく、NHK支払いとしたことになって、このことは〈本件ハイヤー乗車票には私用であることを識別し得る記載はなかった。〉ことと相対応することになるが、秘書室は籾井勝人が自分で支払うこととしていたその意思を勝手にどこかに飛ばしてしまったことになって、自身の役目を全然果たしていなかったことになる。

 だが、最初から籾井勝人にしても秘書室にしても籾井の支払いではなくNHK支払いの予定でいたなら、何も矛盾はないことになる。

 では何のために会長車からハイヤーに代えたかと言うことになるが、納得のいく答はいつでも時の人となり得る籾井勝人が公用車でゴルフに出かけたと万が一マスコミに漏れた場合に公私混同だと騒がれて尚更に時の人となるのを防ぐ「安全の確保(セキュリテイ)」からと推測できる。

 それ以外の「安全の確保(セキュリテイ)」を考えることはできない。

 矛盾は他にもある。

 昨年12月26日に籾井勝人から車の手配依頼を受けて12月31日にNHK総務局ハイヤー配車担当者にハイヤーの配車要請をするとき、12月26日に籾井勝人から代金は自分で払うという言葉を聞いていたなら、籾井勝人の個人使用で、代金は籾井勝人持ちであることを伝えるべきだったが、伝えていなかった矛盾。
 
 12月26日に籾井勝人から車の手配依頼を受けて12月31日にNHK総務局ハイヤー配車担当者にハイヤーの配車要請するまで間に2日間の時間がありながら、「緊急を要する場合」の事後起票として1月13日に伝票を起こした矛盾。

 普通、伝票を起こす時間もない「緊急を要する場合」とは、直ちにハイヤーやタクシーを手配しなければならないといった差し迫っている場合を言う。

 しかもハイヤー配車担当者から秘書室に対してハイヤー代金の精算方法の照会があってからの起票である上に「私用であることを識別し得る記載」を行わなかった矛盾。

 報告書が描いている秘書室のどのような対応からも籾井勝人個人に支払わせる意思を感じ取ることができない報告書となっているし、籾井勝人自身の対応からも自分から支払う意思があったことを窺わせる報告書とはなっていない。

 これらの矛盾を内包したまま報告書を公表し、秘書室の不手際だけを問題視し、籾井勝人を無罪放免とした。

 どう読んでも、NHKぐるみで籾井勝人の会長としての公私混同の隠蔽を謀っているとしか見えない。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗記構造下の自律性教育を欠いた愛国心の育みは再び国を過つ付和雷同型の病巣となり得る危険性

2015-04-05 09:32:15 | Weblog


 内閣府が2015年3月21日発表の「社会意識に関する世論調査」のうちの《集計表2(Q2)国を愛する気持ちを育てる必要性》(CSV形式:16KB)に関する姿勢は次のようになっている。 

  該当者数   そう思う  そうは思わない  わからない
 6011人    75.8%    12.5%    11.8%

 6011人の日本人の愛国心に関わる見方を日本人全体の傾向とする世論調査の性格からすると、75.8%もの日本人が「国を愛する気持ちを育てる必要性」を感じている。裏を返すと、75.8%もの日本人が日本人は国を愛する気持を欠いていると見ている。

 いわば日本人は全体的な傾向として国を愛する気持を欠いているとしていながら、75.8%もの日本人が「国を愛する気持ちを育てる必要性」を感じていることになって、ちょっと矛盾することになる。

 この矛盾を解いて、妥当な答を導き出すとしたら、日本人の大人は十分に愛国心を持っているが、今の若者、あるいは学校生徒は愛国心を欠いていると見ていて、その気持を育てる必要性を感じているということなのだろう。

 安倍晋三も第1次安倍内閣時代の2006年12月成立改正教育基本法で、いわば小中高大学生を対象に愛国心の涵養を規定することに成功した。

 〈(教育の目標)第2条5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。〉・・・・

 だが、現在、8年余経過していながら、75.8%の日本人が自国民に関して愛国心の欠乏を感じている。

 愛国心教育の危険性は戦前の国家主義が教えている。このことは誰もが否定しない歴史的事実であろう。

 いや、安倍晋三とその一派は否定するかもしれない。

 殊更断るまでもなく、戦前の愛国心は付和雷同型であった。付和雷同とは自身の考え(一定の主義・主張)がなく、安易に他の考え・他の説に衝動的に賛成する盲目性・無条件性を言う。

 国が天皇を利用して国民はかくあるべしと求めたことに盲目的・無条件的に従った愛国心であった。そのことに反したとき、国賊として糾弾され、非国民として斥(しりぞ)けられた。国が求める国民の姿に反することは許されなかった。反しないことが愛国心そのものの表明となった。

 このような国家と国民との関係は国民が自律性を欠いていることによって可能となる。自律性は衝動的な盲目性・無条件性を拒絶する。

 【自律】『大辞林』三省堂)

 ① 他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。
 ②〘哲〙カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。

 自律性はまた、自分の意志・判断によって自ら責任を持って行動する態度や性質を言う主体性を兼ねている。

 基本は行動に関しても判断することに於いても自分の考えを持って行動し、判断するということである。そこに責任がついて回る。

 だが、戦前の日本人は自分の意志からでなく、他人の考えや判断、あるいは他人の意志・命令に従って行動する他律性に支配されていた。

 当然、付和雷同を排して国家に対してどう向き合うかは個人の自律性如何にかかってくることになる。

 いわば愛国心教育よりも先に自律性の育みがなければならない。後者を欠いた愛国心教育は戦前型の付和雷同的な愛国心に近づく危険性を抱えることになる。

 逆に自律性を獲得していたなら、国家に対してどう向き合うかは自律的な自らの考えや判断に従うことになって、取り立てた愛国心教育は必要なくなる。

 安倍晋三が第1次安倍内閣で成立させ、自慢としている改正教育基本法でも自律心の涵養を規定している。

 〈(教育の目標)第2条2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。〉・・・・

 個人が国家にどう向き合うべきかの愛国心はこの条文に任せるべきだろう。自律性・主体性を育む教育が取り立てた愛国心教育を不必要とし、付和雷同型の愛国心が回避可能となる。

 では、小中高生、あるいは大学生まで含めて、他からの支配を受けずに自らの考えや判断を持ち、それらに従って行動する自律性をどれ程持ち得ているのだろうか。

 3年毎実施、日本では高校1年生対象の2012年OECD学習到達度調査(PISA)の日本の学力の平均点は「読解力」、「数学的リテラシー」、「科学的リテラシー」共に2000年調査開始以降で最も高く、順位も前回を上回ったという。

 この理由として2003年調査で順位が急落した「PISAショック」を契機に「脱ゆとり教育」へ転換したことが功を奏したこととして挙げられている。

 但しこの好成績に反して数学に関する学習意欲を調査したところ、「数学を学ぶことに興味がある」と答えた日本の生徒は僅か38%。OECD平均の53%を下回り、65カ国・地域では下から4番目の低さだったという。

 「将来の仕事の可能性が広がるので学びがいがある」と回答した日本の生徒は52%

 シンガポール88.2%、上海72.7%。

 この「脱ゆとり教育」を契機とした成績回復と成績に反した学習意欲の低さは日本の教育が暗記教育そのものであることの証明以外の何ものでもない。

 暗記教育は自律性とは無縁の他律性を構造としている。教師が教科書に書いてある知識・情報を児童・生徒に伝え、児童・生徒はそれを自ら考え、判断して自分なりの知識・情報に高める自律性に従うのではなく、伝える知識なり、情報なりに受け止め、丸のまま暗記する他律性に優れていることこそが暗記教育に於ける成績を上げる要点となる。

 もし教師が教科書に書いてある知識・情報を自分の知識に昇華して児童・生徒に伝えることができる自律性を備えていたなら、その自律性は児童・生徒にも伝わって、児童・生徒自身も自ずと自律性を介在させた学びを習得できたはずだ。

 だが、学習意欲は極めて自律性を必要とするにも関わらず、それを育み得ていないから、暗記教育の成果のみが突出して、学習意欲が低いにも関わらず成績は良いという矛盾を生み出した。

 安倍晋三の改正教育基本法に込めた「自主及び自律の精神」の育みはカラ手形で終わっていた。

 このように自律性を育み得ていない日本の教育環境下で愛国心教育の必要性を訴える声が多い。

 結果、期待できるのは他人の考えや判断、あるいは他人の意志・命令に従って行動する他律性に支配さた、戦前型に近親性を持った付和雷同型の愛国心の植え付けとならない保証はない。

 国家とどう向き合うかは愛国心に恃むのではなく、自らの考えや判断・意志に従う自律性に恃んでこそ、付和雷同を排除して国を過たない、国のためになる国民個々の基本姿勢とすることができるはずである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WINDOWS8.1 タスクバー・フリーズ問題対処とこむら返り防止対処

2015-04-04 09:20:10 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」PR

       《3月31日(火)小沢代表の定例記者会見要旨 党HP掲載ご案内》   

      【記者会見質疑要旨】

      ・田中角栄待望論について
      ・検察の暴走と取り調べの可視化について
      ・安倍政権による言論弾圧問題について
      ・辺野古問題について
      ・日米ガイドラインについて
      ・国連の敵国条項と集団的自衛権について
      ・民族・中東問題について
      ・AIIB(アジアインフラ銀行)への参加表明見送りについて
      ・渋谷区の「パートナーシップ証明書」について 

 タスクバー・フリーズ問題とこむら返りは関係ないことだが、もし役に立つならと思って、纏めて記事にすることにした。

 タスクバー・フリーズ問題はネット情報が極度に発達している今日、ネット上で見つけることができるが、私と同様、プログラム操作に関わることとその情報に関してはいつまで経っても初心者の域から出ない人も大勢いるのではないだろうか。

 私は新聞記事をネットから集める際、安倍政権に関わる記事、国内問題、世界の政治とその他、統計関係、教育関係、児童虐待関係、世論調査関係、中国関係、北朝鮮関係、ロシア関係、「イスラム国」等の過激派テロ関係等、ページを分けて収集している。そのため、全体としてはタスクバーにその他のソフトのアイコンまで含めて20近くの容量を占めることになるからなのか、暫く使っていてからページを表示しようとしてマウスポイントすると全体のページは表示されるものの、目的のページをクリックしても画面に表示できないフリーズが起こって、クリックを繰返すと、最初のマウスポイントでページが並ぶ範囲全体が真っ黒になってしまう。

 暫く待つと直って、目的のページを画面に表示できるが、ページの順序が狂ってしまい、頭の中に入っている順番と違うことになって探すのに一苦労することになり、それが記事集めが終わるまで続くことになる。

 そういったことが頻繁に続くことになったため、最初は基本ソフト全体の狂いを考えてパソコン内を「リフレッシュ」操作することにし、初期化してみた。自動的に消去されたプログラムを復元するのに再び一苦労することになった。

 リフレッシュして最初は調子が良かったが、何日かすると再びタスクバーがフリーズする同じ症状が起きた。

 パソコンを新しくしてから1年3ヶ月しか経っていない。また買い換えなければならないのかと憂鬱になってから初めて「タスクバーが固まる 修正方法」と検索文字を入れて、ネット上の情報を探すことにした。

 どうも何事もやることが気づくのがワンポイント遅い蛍光灯の感がする。

 タスクバーが固まる原因のファイルとその削除方法を教えるページに出会うことができた。

 原因はパソコンの購入後に自動Updateされる更新プログラムだということで、次のプログラムが記されていた。

 KB3033889
 KB3035527
 KB3032359

 主たる原因は最初に太赤文字で印したプログラムで、KB3033889をアンインストールすれば解決するようである。

 「Windows+X」キー →「コントロールパネル」→「プログラム」の「アンインストール」項目をクリック→左側の「インストールされた更新プログラム表示」をクリック。

 表示後、「コントロール+F」キーで検索窓表示→検索窓にKB3033889をペースト。

 「KB3033889」が表示されたなら、それを右クリックして「アンインストール」を表示させて、「アンインストロール」の文字をクリック。

 再起動が要求されるから、再起動。

 これで解決できたが、ところが次の日になると再びフリーズが始まった。ネットで調べたところ、セキュリティにも関係するプログラムだから、そのパソコンに不在となると自動的に更新されて来て、再び居座ることになる。そしてタスクバーにイタズラを始める。

 根本的な解決方法はないかと再びネットを調べると、ネット情報を頼りにどうにかMicrosoftの《タスクバーがフリーズする修正プログラムのダウンロードサポートページにたどり着くことができた。 

 次のような表示があった、

 修正プログラムを入手される前に、Hotfix Online Submission– 修正プログラムの入手に関するご案内とご注意を必ずご確認ください。
 修正プログラムは特定の現象のみに対応しているため、他の現象を引き起こす場合があります。
 誤った修正プログラムを適用した場合、システムに影響が出る場合があります。
 どの修正プログラムが正しいか不確かな場合は適用しないでください。
 ほとんどの修正プログラムは次回のサービスパックとして提供されますので、その際にMicrosoft Updateを利用することでより安全に適用できます。

 何と無責任な。この薬は副作用が多くて治るかどうか分からないが、服用してみるかどうかは自分で判断してみてくださいみたいな案内となっている。自分たちのパソコンで臨床試験して安全を確かめなかったのだろうか。

 当然、副作用の多い薬は敬遠して、最後に書いてある修正プログラムのサービスパック提供を待つのが一番安全ということになる。

 一応修正プログラムを入手するために要求された電子メールアドレスを入力して、修正プログラムへのリンクが電子メールで送信されるのを待つことにしてみた。

 英文のメールが届き、ネット翻訳を利用して訳してみた。

 修正プログラムは「ホットフィックス」とい名称で、完全なテストを行わなかったと警告している。しかもタスクバーのフリーズ問題解決に「ホットフィックス」と関連するか確信できないなら、次のサービスパックリリースを待つように勧めるなどと書いてある。

 要するに治るかどうかも分からない副作用の大きい薬を、ときにはその副作用が身体に決定的なダメージを与えることになるかもしれないが、それでも服用するかどうかは自分で決めてくださいと最初のページ同様の自己責任を求めてきた。

 「ホットフィックス」(hot fix)とはネットで調べたところ、「ソフトウェア製品において製造元がバグを修正した際に、ユーザへ修正版を提供する形態のひとつ」だそうだ。

 そこで「ホットフィックス」をダウンロードするのをやめて、「KB3033889」をアンインストールしてパソコンを使用した。

 その日はパソコンを快適に使用できた。電子メールアドレスを送ったから、そのパソコンの自動更新は回避したのかと思い、さすがはMicrosoftだなと思った。
 
 ところが、その日パソコンをシャットダウンするとき、「更新してシャットダウン」、「更新して再起動」の文字が表示されたから、前者をクリックしてシャットダウンした。次に起動すると、「更新プログラムを構成しております」の文字が表示されて、構成に任せて、それが終了後、デスクトップが表示されてから、パソコンを使いはじめると、暫く経ってから再びタスクバーがフリーズした。

 Microsoftは電子メールを送ったパソコンのIPアドレスは分かるだろうから、そのパソコンに対しては「KB3033889」の自動更新をなぜ避けないのだろうか。

 それとも電子メールアドレスからIPアドレスを探るのはプライバシーの侵害に当たると言うことなのだろうか。あるいは自動更新で特定のパソコンを避けるのは技術的に不可能ということなのだろうか。

 仕方がないから、パソコンを起動すると、先ず第一番にコントロールパネルを開いて、「KB3033889」を探し出し、それができたなら、「アンインストール→再起動」の操作をしてから、「検索条件に一致する項目はありません」の表示が出たなら、そのままパソコンを使い出すという面倒を繰返すことにした。

 既に同じ面倒を取っている人も大勢いると思うが、あくまでもタスクバーがフリーズするよりもましという次善策である。
 
 こむら返りは筋肉が固まる症状だから、パソコンのフリーズと似ていないことはない。

 寝ていて寝覚めのとき、両足を伸ばす癖がある。途端にこむら返りが起きる。ぐっすり眠っている最中に突然こむら返りに襲われるのは気づかないままに両足を伸ばしている時なのかもしれない。

 こむら返りが軽症のときは、足首を伸ばすか、逆に手前に倒すかすると、治る時があるが、足首を動かしても何の効果もなく、ベッドから起きて立ち上がっても、しゃがみ込んでも、何をしても筋肉がなお固まって、ときには心臓を圧迫するときがある。

 1ヶ月程前に毎日のようにこむら返りに襲われ、心臓が圧迫されることになった。ベッドの端に座って脹脛(ふくらはぎ)を揉んだり、立ち上がったり、床にしゃがんだりした、何の効果もなく、却って悪化して、そのうち心臓が圧迫されて、そのような身体の動きをしている最中、意図せずに直立する姿勢で腹を凹ませたとき、なぜかこむら返りが楽になった気がしたが、そのまま心臓の圧迫になかなかこらえることができずに次の姿勢に移っていたから、直立の姿勢を維持せずにどうにか筋肉の硬直を治めることができた。

 だが、楽になったという記憶が残っていたから、こむら返りの治療に役に立つ姿勢となるのだろうか試してみることにした。昼食前と夕食前に足を軽く開いて直立の姿勢となって全身の力を抜き、腹をへこませると、尻が後ろに突き出される形となる。その尻を気持持ちあげるようにして、その姿勢を2分続ける運動を繰返してみた。

 次の朝から、こむら返りを発症しなくなった。毎年桜が咲く頃になると、市営アパートのすぐ背後の川の土手に桜並木があり、桜の咲く前は毎年河川敷と土手の雑草を午前中のみ4時間、計5日間程度の時間をかけて草刈機で刈って、散歩者が気持よく散歩できるようにしているが、草刈りの初日は長靴に入った小石を一度長靴を脱いで取り除いてから、再び長靴を履くとき脹脛が緊張させる形になって、普段使っていない筋肉を普段とは違う動きをさせているからなのだろう、必ずこむら返りを発症させていた。

 ときには心臓が圧迫されるほどの重症に見舞われることもあった。但し2日目以降は身体が慣れるのか、こむら返りは程んど発症しない。

 今年も草刈りを初めて、初日のこむら返りを覚悟していたが、だが、運動が功を奏したのか、一度も発症せずに済んだ。

 他者に効果がるかどうかは分からない。だが、草刈りが終わってから10日以上経過しているが、運動を続けているせいか、寝覚めのとき足を伸ばしてもこむら返りを発症させずに済んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田光に「バカ」呼ばわりされた安倍晋三の渋谷同性パートナー条例忌避に見る人権意識と人格主義の危うさ

2015-04-03 07:54:49 | 政治



      生活の党PR

       《4月1日 「生活」機関紙第22号発行》    

      「生活の党と山本太郎となかまたち 機関紙21号」

     ◆辺野古問題を考える
     ◆街頭記者会見開催
     ◆第189回国会活動報告
     ◆「生活」統一地方選公認・推薦候補者紹介

 4月1日(2015年)午後の参院予算委員会の集中審議で社民党の福島瑞穂が、お笑いコンビ「爆笑問題」の大田光にラジオ放送で「バカ」呼ばわりされた安倍晋三に対して東京都渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める証明書の発行を盛り込んだ条例の制定に絡めて同性婚について国も前向きに検討するべきだと質問したとマスコミが伝えている。

 安倍晋三「家族のあり方にも関する問題で、憲法との関係において結婚は両性の合意ということになっている。慎重に議論していくべき課題だ」(asahi.com

 日本国憲法は第24条で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」 としている。

 要するに太田光に「バカ」呼ばわりされた安倍晋三は憲法では認めていないことだとしている。その心は歓迎しないと言うことなのだろう。

 だが、社会の現実に対応できなくなったとき、憲法とて国民の合意のもと変えることはできる。軍事に関わる日本の国の姿に関しては憲法を変える意志を持ちながら、両性の社会的な在り様に同等な同性のその在り様に関しては憲法を変える意志を希望することすらしなかった。

 理由は「家族のあり方」に関係してくるからだとしている。太田光に「バカ」呼ばわりされた安倍晋三は旧来の家族観に囚われの身となり、その中で生息している。

 いわば伝統的な家族のあり方を変えることに忌避感を見せている。結果的に結婚という社会的な営みを両性の独占とし、そこから同性同士を排除する意思を示していることになる。同じ人間であり、同じ国民でありながら。

 日本国憲法によって同じ権利を保障されていながら、その同じ憲法によって婚姻の権利に限って差別を受けることになる。

 日本国憲法はすべての国民に基本的人権を等しく認めている。基本的人権とは人間が人間である以上、人間として当然持っている基本的な権利を言う。思想・表現の自由等の自由権、生存権や教育を受ける権利等の社会権等々が基本的人権とされる。

 人間は基本的人権の保障を受けて人間として人間らしく生きることができる。自らの存在性を十全に全開して生き、活動することが社会的に許容されることの保障である。

 だが、性的少数者であることによって、そこに差別が生じ、不平等が立ち塞がる。自らの存在性の十全な全開を妨げる。同じ一個の人格を有する社会的存在として性的少数者を見ることができず、人格なるものを抜きに社会的な異端として性的少数者を見ることによって差別を可能とし、不平等を可能とする。

 結果的に排除の論理が働く。憲法を楯にさも正当性があるように見えるが、同じ憲法が保障する人間が人間らしく生きる権利――存在性の十全な全開を踏みにじっていることに気づかない。

 相手が例え社会的少数者に過ぎなくても、政治家から見たなら、無視できる程に票が期待できない存在であったとしても、それぞれに一個の人格を有して生き、行動する社会的存在であると見る人格的価値付け(=人格主義)で眺めることができなければ、太田光に「バカ」呼ばわりされた安倍晋三が如何に女性の権利を言おうと、女性の社会的進出を言おうと、女性の活躍を言おうと、女性の人格の尊重から出た女性政策ではなく、それらはニセモノの言葉と化す。

 単に経済的利用から出た女性政策ということなのだろう。

 社会的多数者の人格は認めることができても、社会的少数者の人格は認めることができないとするのは人格的価値観(=人格主義)自体をウソにすることになる。

 太田光に「バカ」呼ばわりされた安倍晋三は渋谷区の条例を憲法を楯に旧来の家族観から忌避反応を示すことによって基本的人権思想の危うさ、人格的価値観(=人格主義)の矛盾を図らずも暴露することになった。

 太田光に「バカ」呼ばわりされただけのことはあって、その点だけは立派であったと評価はできる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月29日NHK「日曜討論」で沖縄の米軍基地荷重負担は岡本行夫と森本敏が政治の無力と怠慢が原因と指摘

2015-04-02 08:53:37 | Weblog


 この政治の無力と怠慢の罪を犯している者たちの中に勿論、安倍晋三も入っている。現在、その犯罪途上にあるということである。

 3月29日(2015年)、NHK「日曜討論」は日米普天間基地返還合意から19年を経た今日に於けるその移設計画の問題点と沖縄県民が納得する問題解決策についての議論が行われた。

 ここでは主として後者の沖縄県民が納得する問題解決策についての出演者たちの主張に焦点を当てることにする。そのため発言は順を追う場合もあるが、追わない場合もある。

 出演者は植村秀樹流通経済大学教授、屋良朝博沖縄国際大学非常勤講師、岡本行夫マサチューセッツ工科大学シニアフェロー、民主党政権時代の防衛相だった森本敏拓殖大学特任教授の4氏である。司会は島田敏男NHK解説委員。

 前二者は普天間の辺野古移設反対の立場を取り、後二者は賛成の立場を取っている。

 島田アナ「翁長知事の工事中止指示をどう見るか」

 どう見るかに辺野古移設が賛成かどうかが現れることになる。

 岡本行夫「議論の原点が忘れられている。普天間地域の今の苦痛を取り除く、海の上へ出してしまう、面積は3分の1になる。普天間地域には事故の危険もなくなる。

 これはいいことに決まっている。そのこと自体はF18とか15とか、戦闘機も飛ばなくなる。そのプラス面を議論しないで、3分の1の新しい施設を辺野古に造るマイナス面に焦点を当ててそれを政治問題化してしまっている。

 私実はね、あの辺り、自分で潜って調べている。サンゴ礁が広がるようなところではなくて、海(底)面は荒涼たるもので、藻が僅かに生えて、所々にああいう岩がある。それを触ったからと言って差し止めというのは些か無理な気がする」

 森本敏「元々県の漁業調整規則によれば、23日の(翁長知事の)記者会見の言葉にあるように海底面の現状を変更する行為、いわゆる岩礁破壊行為をやるための基礎を造るためにはどうしても重機体系の現状を変更をしないといけないということなので、それを手続きを得て、去年の8月知事が認可を降ろした際、工事をやるときにブイを設定することは9つあることの1つで、ただブイを設定するときに固定をしなければならないから、コンクリートブロックを降ろすことは県知事の許認可の範囲に入っていないということは何度も沖縄防衛局が県の担当官に確認をして工事を進めているので、今更という言葉は適当ではないが、これが違法であるという指摘は、私は県知事が余り勝算がなく、思い切ったことをやろうということで腹を決めたと言っておやりになっておられるので、知事は事柄の事態を知っていて、今回の決断をなさったのではないか」

 岡本行夫「確かに翁長知事に代わったが、知事が代わったことで法律の守り方が変わってしまうのはこれで自分の社会生活、これで安定していかないんで、私はやっぱり沖縄県民の大きな不公平という問題は、これ別途に競技する必要がある。

 しかし今度の工事はこのまま妨害する、益々混乱を大ということないようにして貰いたい」

 知事の交代で「法律の守り方」まで変わることを非難しているが、安倍晋三は内閣交代を利用して日本国憲法の「守り方」まで変えて集団的自衛権行使を憲法解釈変更で容認しようとしていることについては何も思っていないのだろうか。

 島田アナ「政府の対応は今のところ間違いはない、瑕疵はないと思うか」

 岡本行夫「間違いないと思う」

 島田アナ「県外移設希望の選挙結果に現れた沖縄の民意について」

 森本敏「この問題の原点はそもそも94年の海兵隊の事故の辺りにできたSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)での合意、普天間基地など沖縄県内11のアメリカ軍基地や施設の整理や縮小が盛り込まれた。

 基地返還の最優先課題を普天間基地に置いて、これを兎に角返して欲しいということを沖縄の方から言い出されたことで、日米が押し付けたことではない。

 このために今まで19年、紆余曲折があって、確かに一部政府には反省すべきところはあったと思うが、一貫して普天間基地の返還を実現するためにずっと努力をしてきて、いよいよ工事をやろうという時なので、私はやっぱり普天間という危険な基地を1日も早く日本側に返還をする、実現することをやるために工事を着々と進めていく。

 これについては沖縄が希望したことで、沖縄の方には理解と支持が必要だと。この点はよく考えて頂きたい」

 屋良朝博「時間はそこから過去にずっと遡ってみると、沖縄にある基地の大きな部分は海兵隊だけど、その海兵隊はそもそも沖縄になかった。最初の駐留地は岐阜と山梨だった。

 それが本土側で起きた50年代の安保闘争が60年代に広がっていくが、その流れの中で本土ではもう米軍基地を運営、管理していけないと、地元との軋轢があまりにも強まっている。それでその頃アメリカ軍が統治していた沖縄に海兵隊を持っていったという経緯がある。

 そこが問題の原点だと思う。沖縄に負担が集中してしまった歴史を振返って、安保の負担としてどのようにこの国として受け入れなければならないかということをそろそろ議論しなければ沖縄の問題の解決はないと思う」

 屋良氏の言う「この国としての受入」とは日本政府としての受け入れ方法の議論という意味のみではなく、全国民それぞれがどう受け入れるかの議論まで含めて求めているはずだ。

 森本敏「今の話だが、海兵隊が岐阜、山梨にあったことは確かだが、それを沖縄に動かしたのは50年代のあと、50年代半ば過ぎ、正確に言うと56年以降で、朝鮮戦争が終わってから、その時の抑止力とか脅威と言うのは今の中国とは全然違う。

 半島に安定的な抑止力を持つかどうかということだけで、安保闘争があったからということではなく、安保闘争は60年のギリギリになってから起こったので、56年に安保闘争はそんなに大きなものではなかった。

 何のために沖縄に動かしたかというと、かなり訓練がしにくいとか、どんどん住宅ができて、離着陸訓練が殆ど本土でできにくくなったので、当時米軍施政下にあった沖縄に持っていくことが望ましいという判断をアメリカがやったわけです。

 そこが前提条件が違うと思う」

 島田アナ「選挙で沖縄の民意は反対の方向に傾いている中での移設計画の推進、如何でしょうか」

 岡本行夫「沖縄のフラストレーションがこれまでになく高まっている。私もここ10年位の政府のやり方を全面的に支持するものではないが、仲井真知事によって沖縄県の意思として埋め立て許可が承認された。それから中国の暴走的な海洋政策はここのところ急速に増えてきている。

 ですから、選挙で知事が代わるたびに政策が変わるのは当然だが、法律の守り方というので変わるのは如何かと思う。

 ただ屋良さんが言われた沖縄の不平等感はまたあとで議論して貰いたいと思うが、全くその通りだと思う」

 島田アナ「沖縄がなぜここまで基地の負担を強いられるのか、この声は保守系も革新系もどちらも言っているこの辺の政府に届かないもどかしさはどう思うか」

 屋良朝博「(民主党政権で最後の防衛大臣をしていた)森本さんの最後の記者会見で説明なさった言葉が全てだと思っている。海兵隊が沖縄に駐留する。軍事的な問題ではなく、政治的な問題なんだと。

 これはどういうふうに理解するかと言うと、後で森本さんに説明して貰いたいが、要するに負担を引き受けるところがない。これは安保とか軍事とか、安全保障、抑止力といったことも含まれるが、実際問題、安保を維持していくための本土側としての、その覚悟と負担を引き受ける政治的な土壌があるかというと、そういうのがないんだと、そこに問題の本質があって、それに対する不満が沖縄の中でどんどん高まっているというふうに思っている」

 歴代政府がそのような「政治的な土壌」を国民の中に醸成することを怠ってきたということなのだろう。この場合の怠慢は政治の無力と相互対応し合っているはずだ。

 但しこの指摘は辺野古移設反対派が言っていることだと片付けられてしまう。

 島田アナ「軍事的合理性よりも政治的押し付けという面が目立つということだと思うが」

 森本敏「(記者会見での発言は)そういう趣旨で言ったのではなく、こういうことなんです。海兵隊が沖縄にいなければ抑止にならないという専門家が随分いるから、それは軍事的に見ると間違いですと反論するために先ず第一に沖縄にいなければ抑止力にならないということは必ずしも正しくないと思いますということを言ってるんです。

 例えば、沖縄にあって、隣の鹿児島県の島にあったら、抑止力にならないか。そんなことはあり得ないと。現にさっき話したように元々沖縄に行く前に岐阜、山梨にあったのですから、では、そのことは抑止力ではなかったのか。

 そんなバカなことはないし、それからまた沖縄だけでなくて、民主党時代にうまくいかなかったけど、徳之島に動かそうとしたり、その後九州のどこかに動かそうとして、今まさにその努力をしている。

 これは何のためかというと、沖縄にあることが軍事的にベストなことだけど、より有効に抑止力を発揮できるような場所であれば、必ずしも沖縄ではないといけないと、こういうことではない。政治的に難しんですということを言っているんです」


 森本敏は、《森本防衛大臣会見概要》(防衛省/平成24年12月25日)で次のように発言している。

 記者「沖縄問題にとてもお詳しい大臣で、今回、半年の間に沖縄の負担軽減に努力されていたと思いますが、1点だけ確認というか。普天間の辺野古移設は地政学的に沖縄に必要だから辺野古なのか、それとも本土や国外に受入れるところがないから辺野古なのか、その1点だけ、考えをお願いします」

 森本敏「アジア太平洋という地域の安定のために、海兵隊というのは今、いわゆるMAGTFという、MAGTFというのはそもそも海兵隊が持っている機能のうち、地上の部隊、航空部隊、これを支援する支援部隊、その3つの機能をトータルで持っている海兵隊の空地の部隊、これをMAGTFと言っているのですが、それを沖縄だけはなく、グアムあるいは将来は豪州に2,500名以上の海兵隊の兵員になったときにはそうなると思いますし、それからハワイにはまだその態勢がとられていないので、将来の事としてハワイにもMAGTFに近い機能ができると思うのです。

 こういうMAGTFの機能を、割合広い地域に持とうとしているのは、アジア太平洋のいわゆる不安定要因がどこで起きても、海兵隊が柔軟にその持っている機能を投入して、対応できる態勢をある点に置くのではなくて、面全体の抑止の機能として持とうしているということであり、沖縄という地域にMAGTFを持とうとしているのは、そういうアジア太平洋全体における海兵隊の、いわゆる「リバランシング」という、かつては1997年頃、我々は「米軍再編計画」と言って、「リアライメント」という考え方ではなくて「リバランシング」というふうに言っているのですが、そのリバランシングの態勢として沖縄にもMAGTFを置こうとしているということです。

 これは沖縄という地域でなければならないのかというと、地政学的に言うと、私は沖縄でなければならないという軍事的な目的は必ずしも当てはまらないという、例えば、日本の西半分のどこかに、その3つの機能を持っているMAGTFが完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということだと。

 これは軍事的に言えばそうなると。では、政治的にそうなるのかというと、そうならないということは、かねて国会でも説明していたとおりです。そのようなMAGTFの機能をすっぽりと日本で共用できるような、政治的な許容力、許容できる地域というのがどこかにあれば、いくつもあれば問題はないのですが、それがないがゆえに、陸上部隊と航空部隊と、それから支援部隊をばらばらに配置するということになると、これはMAGTFとしての機能を果たさない。

 従って3つの機能を一つの地域に、しかも、その持っている機能というのは、任務を果たすだけではなくて、必要な訓練を行う、同時にその機能を全て兼ね備えた状況として、政治的に許容できるところが沖縄にしかないので、だから、簡単に言ってしまうと、「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である」と、そういう結論になると思います。というのが私の考え方です」

 要するに歴代政府は本土内に米軍基地を政治的に許容させる力を持っていなかったと、その政治的無力と怠慢を指摘していることになる。

 このことを補って沖縄に基地を受け入れさせる名目として沖縄の軍事上の抑止力効果とか地理的優位性とかは持ち出したということなのだろう。

 岡本行夫「なぜ不平等が今存在しているのか。米軍基地の74%が沖縄に集中している。それは日米安保体制が新しく1960年にできたときには沖縄のことは考えずに防衛体制をアメリカとの間でつくった。

 そして72年に沖縄が日本に返還されてきた。基地を満載してきたわけですね。だから、本土プラス沖縄では、そんなに兵力は要らない。だが、本土側は身勝手にも自分たちの周りだけを減らしてきた。

 本土の基地は65%以上、削減されたけれども、沖縄は20%しか削減されていない。それが現在の74%という数字になっている。74%という数字を減らすためには沖縄の基地を減らすだけではダメ。これは分母も分子も減ってしまうから。

 沖縄の基地を本土に持ってくるということで初めて行って来いで数字は初めて減り始める。そのためには本土はきちっと向き合っていかなければ。だから沖縄のフラストレーションは辺野古だけで解決しようとしても、もはや無理だと思います」

 屋良氏の辺野古移設反対派としての指摘は辺野古移設賛成派の岡本行夫の指摘と一致することによって正当化されることになる。

 要するに歴代政府は、その殆どが自民党政府だが、沖縄に元々米軍基地が多数存在していたことをいいことに、そのことに甘んじて沖縄に米軍基地を押し付ける安易な道を選択をした。その程度の政治能力しかなかった。

 ここに歴代政府の政治の無力と怠慢を見なければならない。そして現在安倍政権は政治の無力と怠慢を引き継ぐに任せている。 

 島田アナ「沖縄に米軍が駐留することによる日本とその周辺に対する抑止力の効果、先程必ずしも沖縄だけがベストではないということをおっしゃった」 

 森本敏「元々抑止の機能というのは相手が手を出すときに確実にこちらが反撃できる、対応ができるという即応性の高い能力と態勢を持っていることによって相手が手を出すことを思いとどまる、こちら側から言うと、思いとどまらせる機能が抑止の機能。

 だから、全くこちらの用意がなかったら、簡単に手を出される可能性がある。いつでも確実に反撃できるというこちら能力がある。態勢もできているということです。

 なぜ沖縄に海兵隊がなければならないか。アジア・太平洋というのは海でできている地域だから、ヨーロッパのように陸続きではないので、海兵隊は常に海を経て揚陸艦に乗って、海軍の機動部隊の一翼を担って、いつでも沿岸部・内陸部に必要な戦力を投資できるという態勢を東シナ海であれ、南シナ海であれ、インド洋であれ、常に対応できる能力をこの面全体に配備することによって抑止をするということは、沖縄だけではなくて、グアムもそうだし、ハワイもそうだし、北オーストラリアもそうだし、色んな所に置くことによって全体として面の抑止を維持しようとしている。

 その中心が沖縄であって、沖縄に於ける海兵隊の抑止力が日本の安全に直結しているということになる」

 島田アナ「沖縄が全てではないが、空白にはできないということですか」

 森本敏「ハイ」

 必ずしも沖縄でなくてもいいと言い、鹿児島県の島であってもいいと言い、少し後で「九州か四国のどこか」でもいいと言っている。

 屋良朝博「沖縄の基地というのは海兵隊だけではなくて、極東最大と言われている嘉手納空軍基地がある。嘉手納基地一つ見ただけでも、本土にある三沢基地、横須賀、横田、厚木、三沢、岩国、それから佐世保、この基地を全て合わせた合計の1.5倍もある。

 海兵隊は沖縄にいる基地であって、それが仮に本土に移って、空軍だけになって抑止力が機能しないのかと言うと、そんなことはない。

 しかも海兵隊は船で動く。その船はどこにあるかと言うと、長崎県の佐世保にある。例えば朝鮮半島で何かあったとき、どのように動くかと言うと、長崎から船で出て、沖縄で物資と兵員を乗せて、それから北上していく動きをしなければならない。

 それで果たして合理的な駐留の絶対的な条件たるかと言うと、全くそうじゃない。もっと海兵隊は柔軟な対応ができるし、即応力が物凄く高いので、本土にあっても沖縄にあっても、機能は変わらない」

 森本敏「だからこそ、沖縄でなければならないというのは軍事的には合理的ではないと僕はさっきから申し上げている。

 概ね沖縄にあればベストなんですが、しかし抑止の機能が少し減るかもしれないが、ま、概ね日本の西南部、地域で言うと、九州か四国のどこかに1万名の海兵隊が随時いて、訓練ができて、陸上部隊があって、ヘリの部隊があって、後方支援部隊があってという機能を全て包含できる機能があれば、沖縄でなくても、隣の県でも、その隣の県でもいいと、さっきから申し上げている。

 その辺りを随分と模索してきたし、今も模索している」

 「今も模索している」主体は安倍政権のことなのだろうか。だが、その動きは見えてこない。見えるのは辺野古移設に向けた一方的な動きのみである。鳩山由紀夫は自治体知事に本土受け入れを納得させるだけの力を持っていなかったが、全国知事会を開いて受け入れの要請はした。
 
 屋良朝博「歴史的に一つの地域に米軍が集中している。それをどうやって解決するかと言うことを全体が議論しないと、負担の軽減というのは難しい。先程来、抑止力というのは判断するのは難しくて答えられない。現状を見て、海兵隊の機能は何なのか。沖縄でないと機能しないのかといった、これを見て問題を解きほぐしていかないとダメだと思う」

 先ずは政府が全国民に向かって、沖縄のみに米軍基地の負担を求めていいのかと問いかけるべきだろう。そのためには国が政治の無力と怠慢から脱する覚悟を持たなければならない。

 岡本行夫が番組の最後の方で次の発言をしている。

 岡本行夫「橋本内閣のときにも国会決議があるんですね。沖縄の荷重負担を日本全国で負担する。そこへ戻るべきだと思う」

 橋本龍太郎の在任期間は1996年(平成8年)1月11日から1998年(平成10年)7月30日までとなっている。

 平成9年4月22日の、《沖縄における基地問題並びに地域振興に関する決議》は、〈本年5月の沖縄の本上復帰25年の節目にあたり、ここに改めて、長きに亘る沖縄の苦難の歴史に思いをいたし、かつ沖縄県民の筆舌に尽くし難い米軍基地の過重負担に対する諸施策が極めて不十分であったことを反省する。この際、沖縄のこころをこころとして廠しく受けとめ、沖縄問題解決へむけて最大限の努力を払う決意を表明する。〉と最初に述べ、〈在沖米軍基地の整理・続合・縮小・移転等について全力で取り組む。〉としているものの、〈沖縄県民の筆舌に尽くし難い米軍基地の過重負担に対する諸施策が極めて不十分であった〉と政治の無力と怠慢には触れているが、決議文のどこにも、「日本全国で負担する」といった趣旨のことは書いてない。

 但し決議前年の平成8年9月10日閣議決定の《沖縄問題についての内閣総理大臣談話》では、〈沖縄の痛みを国民全体で分かち合うことがいかに犬切であるかを痛感いたしております。〉の文言が入れてあって、読みようにとっては沖縄米軍基地の本土受け入れの大切さを謳っていると読み取れないことはない。

 国会の質疑で全国負担が議論されたのかもしれない。だが、決議自体に「日本全国で負担」の文言を的確に記載しない以上、政治が行動しないのは現実が証明している。

 沖縄の米軍基地負担率を本土のそれとほぼ同等にする。このことしか沖縄県民を納得させる道がないことは誰もが理解しているはずだ。

 だが、政治はそのように行動するための一歩すら踏み出すことができないまま、沖縄負担の現状に甘んじる惰性に身を任せている。

 岡本行夫と森本敏が意図せずに指摘することになる、沖縄県民を苦しめている政治の無力と怠慢が目立つ2015年3月29日NHK「日曜討論」の議論となっていた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする