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大丈夫なのか?日本の大学生

2008-07-05 20:14:50 | アラカルト
昨日から、いきなり「夏」になったような暑さの名古屋です。
拙ブログにきてくださる皆さん、大丈夫でしょうか?暑さで体力・気力が消耗していませんか?

さて、今日の毎日新聞のWEBサイトに私大調査:教員の半数以上が「学生に基礎学力がない」という、記事が掲載されている。
数年前から、大学生の学力低下が問題になっていたが、「小中学校レベルの基礎学力がない」となると、「本当に大丈夫なのか?」と心配をしてしまう。

現在の大学1、2年生は、いわゆる「ゆとり教育世代」の学生たちだ。
円周率が「3.14」ではなく、「3」で習った世代で、やたらと薄い教科書で小中学校を過ごしてきた。
その弊害というコトなのだろうか?
個人的に不思議なのは、小中学校の基礎学力がなくて、よく高校進学だけではなく大学に進学できたという、事実の方だ。
少子化傾向で、大学受験も様変わりしたとは思うのだが、それにしても不思議な気がする。

最近、年齢や性別に関係なく感じるコトがある。
それは「情緒」という点で、なんとなく貧しくなってきているように感じるコトがあるのだ。
あくまでも、個人的で明確なモノではなくあくまでも「なんとなく」という範囲なのだが、言葉遣いにしても想像力や、文書力(「あんたに、言われる筋合いはない!」と思っていらっしゃる方がいることは、承知の上)など、自分のことばかりで、相手のコトを考えない人たちが増えてきているという感覚があるのだ。

これは学力とは直接関係のないことで、今の「学力不足の大学生」に限ったことではないのだが、社会全体が「解答を求める社会」になってきた弊害のような気がしている。
そして、そのひとつの結果的傾向として「大学生の学力不足」が、現れているのではないのか?という、気がするのである。

「情緒的」というと、具体性に欠け、何をすれば情緒性が身につくのか?と、言われそうなのだが、やはり子供の頃は外でいっぱい遊び、遊びの中から観察力やコミュニケーション能力というモノを身に付け、本を読むことで言葉の意味や文脈を読み取る力や、遊びから発展したスポーツから状況判断力や「交渉力」などの基礎を学ぶ機会を、無くしてしまっているような気がするのだ。

「解答」ばかりを求めていれば、応用力は身につかないだろうし、そもそも社会には「正解」は無い。
そこから学力をつけることを始めなくては、後2、3年後、彼らが社会人となるとき困ってしまうのは、企業だけではなく社会のあらゆる組織なのだ。
今の大学生ばかりを責めたてても、仕方ないのかも知れない。
ただ、大学生という自由な時間があるときに、「正解だけを求めない勉強」を始めて欲しいのだ。
それを願うのは、間違っているのだろうか?