日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「逓信記念日」に考える「郵政民営化」

2005-04-20 12:52:09 | アラカルト
今日は「逓信記念日」だそうです。
そして、今国会での注目議案が「郵政民営化」です。
もっとも国民の多くは「年金」や「景気対策」等のほうを優先して欲しいのですが・・・。

自民党の「郵政族」と言われる皆さんが、「郵政民営化」を反対しています。
それはどうしてでしょうか?
大票田である「郵便事業に携わっている人たち」の既得権が、失われるからでしょうか?
郵便貯金や簡易保険などは、誰でも起業することができる分野ではありませんから、「既得権」があるでしょう。
郵便事業も、同じでしょうね。
「官製はがきや切手」を作て売っている宅配業者さんはいませんから。

では、民営化を推し進める小泉首相をはじめとする人たちは「なぜ、強行に推し進めようとしている」のでしょうか?
それは、郵便貯金や簡易保険のお金が、無駄な公共事業へと支出されているからでしょう。
とすれば、この論戦は元々かみ合わないものなのではないでしょうか?
「郵政族」と言われる方たちは、「民営化の理由を既得権を取り上げること」だと思っているのでしょうか?
どうも変ですね・・・。

それと同時に「民営化されれば、効率の悪い過疎地の郵便局がなくなる」という説がありますが、どうでしょうか?
いわゆる「過疎地」には、都市銀行はもとより地方銀行の支店すら無いようなところがあります。
視点を変えれば、ある程度インフラが整っているのですから、ビジネスチャンスとなるはずです。
むしろ、個々の郵便局が「顧客サービスとは何か?」「地域社会が必要としているサービスは何か?」ということを真剣に考えれば、そのビジネスチャンスとなるモノは、いくらでもあると思います。
「日本全国津々浦々、同じサービスを提供する」という考えだけにとらわれる必要も無いと思いますし、そのような「個性のあるサービスを提供する」ためには「民営化」ということも必要だと思うのです。

もちろん「郵便事業」も同じです。
現在の宅配業者さんのきめ細やかなサービスに比べ、まだまだ「公務員的」な気がします。
サービスの内容にしても、特化できるモノがあるはずなのに・・・。
顧客満足という意識が、民間と比べるとまだまだ低いといいますか、見当違いも甚だしいところがあるような気がしています。

最近郵便局で耳にする「ユニバーサルサービス」とは、「全国津々浦々均一のサービスを提供する」のではなく、「障害者を含めたあらゆる人たちが、気持ちよいと感じるサービスを提供する」ということだということに気が付いて欲しいですね。
そして「民営化」によって「本当のサービス事業とは何か?」ということを公社の偉い人たち(官公庁の場合、偉い役職者の人たちの感覚が一般社会とズレているために、見当違いな解釈をして、業務指示を出している可能性が高い)も積極的に考え、行動して欲しいですね。



訴えたいこと-日清カップヌードルのCM-

2005-04-18 10:05:31 | CMウォッチ
4月から変わったテレビCMが、いくつかあります。
日清の「カップヌードル」もそのひとつです。
これまでも、「カップヌードル」という商品とは関係のなさそうな、シチュエーションのCMでした。
3月まで放映されていたCMは、「美しく咲き誇る野原に忽然と現れる朽ち果てた戦車」でした。
そして最後の言葉は「NO BORDER」だけ。
「一体、カップヌードルとどう関係があるのだろうか?」と思いながら、見ていた方も多かったのではないでしょうか?
このようなCMは、「商品CM」というよりも「企業CM」と呼ばれるモノです。

「カップヌードル」という商品が、既に「一企業が市場に提供する商品」ではなく、「食文化のひとつ」として捉え「日清」という「企業が訴えたいメッセージを込める程に成長した商品」だからこそ、このようなCMができるのです。
その制作企画については、HPで確認することができます。

一連のこのCMを見ていて、どこか悲しい気持ちになるのはどうしてでしょうか?
特に、今回の「少年兵」のCMは、「まだまだ様々な事情によって、武器を手にする子ども達が世界にある」ということを伝えています。
以前、そのセンセーショナルさで話題になった、ベネトンの新聞広告とは違った意味で、受け手である生活者に「考えさせる」力を持っています。
「日本人らしい、直接的ではないが鋭角的なメッセージ」というモノを感じます。
もちろん使用されているミスチルの「and I love you」や、以前使われていた「タガタメ」といった楽曲の持っているメッセージも、重要な要素となっています。

CMの世界でも、国際的な賞があります。
ただ、日本のCMは「何がいいたいのかわからない」という、指摘がされて来ました。
日本語という言語の問題だけではなく、「ヴィジュアルとして伝いたいことが分からない。」ということだったようです。
しかし、この「少年兵」のCMは、言語の問題を軽く超えてしまうほどの「強さ」を感じます。
久しぶりに「凄い!」と感じるCMでした。
そして、どうかこのCMの最後、左下に出るテロップをシッカリ見てください。
このテロップにこそ、このCMが伝えたかったことがありますから。


笑顔が素敵なひと

2005-04-17 13:05:42 | ライフスタイル
日本におけるマーケティングの第一人者の一人としてあげられる、慶應義塾大学・商学部名誉教授村田昭治先生の著書に「なぜ彼はいつも笑顔なのか」があります。
村田先生の著書としては、珍しい?マーケティング・経営学とは異なった趣の本です。
残念ながら絶版となってしまっているようですが、ビジネスの基本となる「コミュニケーションの大切さ」ということを、書いていらっしゃいます。

「自分が笑顔であれば、周囲の人たちも自分に笑顔を返してくれる」という、当たり前といえば当たり前のことなのですが、なかなか毎日の生活で実践することは難しいように思います。
以前、村田先生がテレビの深夜番組に出演されていたことがありました。
いつも素敵な笑顔で、「素敵な商品ですね」、「ワクワクする提案がイッパイありますね」とコメントされていたことを覚えています。
コメントの一つひとつに否定的で評論的なものが、無かったように記憶しています。
でも、これってとても難しいことなんですよね。

仕事だけではありませんが、どうしても自分と周囲(友人なども含む)を比較や差といったものを探してしまいます。
「ブランド構築」ということが盛んに言われています。
この「ブランド構築」こそ「他社との差別」ですから、差別化すること自体は大切な「自己のアイデンティティーを創る」ということになります。
しかし拘りすぎると、いつのまにか時代にそぐわない陳腐なモノへとなってしまいます。
人も同じかも知れません。
「自分」というモノにこだわり過ぎて、周囲が見えなくなってしまうと様々な情報を提供してくれるひとを失ってしまうのではないでしょうか?
そしてそのような人は、大体笑顔の無い方のような気がします。

笑顔は、周囲にしあわせ感を与えます。
同時に、笑顔の人は周囲から「新しい何か」と頂いているような気がするのです。
マニュアル化されていない、表情豊かな笑顔・・・「コミュニケーションの達人」の第一歩かも知れません。



不安な牛肉輸入再開

2005-04-16 12:11:48 | ライフスタイル
今日の朝日新聞讀賣新聞のWEB版に「歩行困難な牛の食用流通、米が部分的解禁を検討」という内容の記事がUpされています。

「歩行困難な牛」というのは、「BSE(狂牛病)に感染している可能性が高い牛」ということになるのですが、米国農務省は、その危険性のある牛肉を一部流通させることを検討しているということなのです。
その理由は、年間で牛肉処理される牛のうち相当数の牛が「歩行困難」で、畜産農家に打撃を与えているからということになるようなのです。

米国では、様々な業界団体がロビー活動をし、政治に圧力をかけています。
その一例が、「拳銃の所持を認める」というモノでしょう。
幼い子どもが誤って撃ってしまったり、暴発して亡くなる子どもが後をたちません。
それでも禁止することができないのは、膨大な与党への献金とロビー活動といわれる圧力があるからです。

しかし、今回の件はそのような問題ではありません。
「食」に関することなのです。
折りしも、日本での米国産牛肉の輸入再開に向けての話し合いが進んでいます。
全頭検査から20ヶ月未満の牛という譲歩を米国は、日本から引き出しました。
なし崩し的に、現在米国で検討されているようなことをごり押しされるのでは無いでしょうか?
本当にこんなことで、日本の「食」は大丈夫なのでしょうか?
今一度、私たちが「NO!」と声を上げる必要があるような気がします。

今、KIRINビールが行っている販促キャンペーンをよく見ると、日本全国には美味しい牛肉がイッパイあることに気付かされます。
食卓に、牛肉料理が登場する回数は減るかも知れませんが、安心・安全な牛肉を食べたいな~と思いますね。
総て「地産地消」は無理かも知れませんが、近隣の旬の食材に注目した「スモール・スローな生活」をしたいですね。
それと・・・米国にいかれる予定のある方!牛肉及び牛肉加工食品は食べない方が、いいかも知れませんよ!

しなやかに、そして逞しく-活躍する女性たち-

2005-04-15 11:39:57 | アラカルト
今日の新聞各紙のWEB版に初の女性代表監督誕生へ という記事がスポーツページに掲載されています。
ユニバーシアードの代表=大学生のみの代表チーム監督ということになります。
「なでしこジャパン」よりも注目度は高くありませんが、やはり素晴らしいことだと思います。
そう言えば、先月末には初めてJFL(アマチュアリーグの最高峰)で女性の主審が登場しました。 
昨年ボランティアとしてお手伝いをした「全国高校女子サッカー選手権大会」でも、女性が監督をされている学校もありました。
野球でも、今年話題になっている「欽ちゃん球団」に、女性選手が在籍をしていましたね。
「男女の差がある」と言われるスポーツの分野でも、性差関係なく活躍する女性たちが増えてきています。

この5月に船外活動などが予定されているスペースシャトル「ディスカバリー」の船長さんは、アイリン-・コリンズさんという女性軍人です。もちろん、NASA初の女性船長です。
日本では、やっとH2ロケットの打ち上げが成功した!といっているのに、宇宙へと飛び出していく人たちの陣頭指揮をする女性が、世界にはいるのです。

最近話題になったといえば、三洋電機の代表取締役会長兼CEOに抜擢された野中ともよさんがいらっしゃいますし、他にもダイエーの再建をたくされたのは、林文子CEOです。
傍目では、イメージシンボルとして女性を使っているようにも見えますが、林さんはBMW東京で既に実績を残していらっしゃいます。
決して、イメージシンボルという訳ではないのです。
以前から日本の企業における女性取締役数は、数えるほどしかいません。
その状況は、余り変わっていないようです。
もちろん、マーケティングという分野でも女性が十二分に活躍できるにも関わらず、そのチャンスを与えられていないという現実があります。

それでも、徐々にですが男性と同等もしくはそれ以上に活躍する女性達が増えてきました。
そして彼女達に共通していることは、「性差で仕事を考えていないこと」「自分のヴィジョンに向って一生懸命」ということが、あるように感じています。
そんなパワーに押され気味なのは、男性たちかも知れませんね。
決して、競争をしようと思っているのではありません。
ただ、一生懸命にチャレンジをしているだけなのです。
どうか、そんな女性たち(そして、私にも・・・)に、エールとチャンスを与えてください!

様々な人たちが集まって、多様な価値観と文化を認め合える社会は、とっても楽しく素敵な豊かな社会だと思いませんか?
「しなやかに、そして逞しく」・・・夢を実現する女性たちに共通する生き方かも知れません。

iPodと携帯電話

2005-04-14 11:26:40 | マーケティング
今日の日経新聞他に、アップルコンピューターの業績好調という記事が掲載されています。
ご存知のとおり、以前アップル=Macは危機に瀕する状態でした。
それは、Windowsが95などを次々と世に送り出すのに対し、Macは目立ったソフトの変化が無かったからです。
その間に、企業の多くがWindowsを採用したため、自宅で使うPCもWindowsへと流れていったのです。
他にも、PCそのものの価格が高いなどの理由もありました。
その為、Macの特性にマッチした人たち(=芸術系?)や従来からのMacファンなどに限られ、市場的には落ち込んでしまいました。

それが、昨年発売したiPodのヒットにより元気な企業へとなったのです。
そして、いよいよ「音楽配信」等への事業展開も日本でも始めるようです。 
もちろん、これに対抗するように松下(Panasonicブランド)ソニーが相次いで「携帯音楽市場」へと参入します。 
ソニーの場合「エピックソニー」等音楽ソフトを提供する企業が、グループ内にあるというのは有利だと思いますが、今はPCを介していることを考えれば、どれだけ有利のなのか・・・もしかしたら、ソニーは「総合エンターティメント企業」へ変わっていく基盤作りかも知れません。

その「携帯音楽市場」の対抗馬?となるのは、おそらく携帯電話だと思います。
今では、携帯電話から音楽をダウンロードするのは、当たり前のことになってきました。
特に、PCを持たない人たちや「日替わりで音楽を楽しむ」というカジュアルな音楽ファンであれば、携帯電話にダウンロードする方が、簡単でラクかも知れません。
携帯電話各社が行っている「パケット代定額制」等を上手に利用すれば、より気軽でしょう。
何より、携帯電話ひとつで済みます。

今から20年位前、ソニーがはじめて「音楽を外に持ち出す」というライフスタイルを提案しました。
それが「ウォークマン」でした。
そのようなライフスタイルが定着し、音楽を聴く機器もレコードプレーヤー、カセットテープからCD、MDへと変化して来ました。
そしてこれからは、インターネットなどを利用した聴き方へと変化していくことでしょう。

音楽市場といってもこれからは、このようなソフトとハードが一体となったモノへと変わっていくかも知れません。

「レコードプレーヤーの前で座って、新譜を聞く」というのが、身に染み付いている世代の私からすると、驚くべき?進化です。

スポーツと脳

2005-04-13 12:18:46 | スポーツ
「経熱も冷める反日運動」にトラックバックくださった社長の本音日記さんありがとうございました。
そしてだいぶ前のエントリー「鏡とにらめっこ」にトラックバックを頂いたな~んちゃってFPのひとり言さん、くくの心さん、ありがとうございました。
いまだ、トラックバックが上手くできないため、ここでお礼を申し上げます。

「社長の本音日記」を拝読させて頂くと、現在進行形の中国での反日活動の実態がわかるような気がします。
確かにデモに参加している中国の青年達は口々に「日本製品不買」ということを叫びますが、彼等の持っている携帯電話やデジカメなどは日本製であったりしますからね。
そして、今回の件で一番拙い対応をしてしまったのは中国政府でしょう。

「な~んちゃってFPのひとり言」さんと「くくの心」さんのお二人は、「一流の顔」という書籍についての内容です。
個人的にこの本で印象的だったのは「つくり過ぎない」ということでした。
この春、高校生となった女の子達も夏休みが過ぎたくらいからお化粧をして登校するようになるかも知れません。
今日日、幼稚園とか小学校低学年向けの化粧品が売られている時代ですから、当たり前のことかも知れません。
でも「つくりすぎた顔」は、個性をなくし、その人らしさを壊してしまうモノだ、ということも知って欲しいですね。

さて、今週発売の「AERA」に「サッカー脳VS野球脳」という特集が、トップに組まれています。
二大人気スポーツですが、どうやらプレーをしている時に使われている脳の場所が違うようなのです。
サッカーのように試合中監督の指示よりも、選手個人の状況判断が優先されるスポーツは「前頭葉」を使っているらしいのです。
それだけではなく、敵となる相手とボールを出すチームメイトの位置的関係を平面(=ピッチ上)だけではなく、俯瞰的な立体イメージが必要であるがために、「前頭葉」をフルに使わなくてはいけないということなのです。
それに対し、野球のように1回毎に攻守が入れ替わり、ポジションの移動が余り無く、試合中でも監督の指示を受けやすいスポーツの場合は「職人的技巧」が求められるため「前頭葉」の活動よりも他の場所の脳の活動が求められるというのです。
むしろ、投手が投げたボールに対して0.何秒という速度で「どんなボールなのか?」ということを判断するためには「体がその動作を覚えるまで繰り返す」というトレーニングが効果的となるということなのです。
だからといって、「イメージ力や創造力、判断力が身に付くサッカーの方が、優れたスポーツ」とはいえません。
逆に野球は「集中力」がつくといわれています。
スポーツそのものには、優劣は無いのです。
むしろ、子どもの頃は様々なスポーツを経験することの方が、バランスの取れた「脳」になるといえるのです。

この特集で面白かったのは「脳の違いによるハローワーク」という適性職種があったこと。
ひとつのルールに従ってする仕事だからといって、野球脳派とはいえないようです。

何事も決め付けたモノの見方をしないためにも、スポーツを活用するという方法はあるようです。


経熱も冷める「反日運動」

2005-04-11 09:23:10 | アラカルト
マーケティングの分野では扱わない話題があります。
それは「政治と宗教」です。
経済と政治は、とても密接な関係にあります。
しかし、政治によって経済が左右されてしまうというのは、決して健全な市場ではないと考えられるからです。
ただ今回の中国で起きている「反日運動」は、政治的な問題だけでは終わりそうもありません。
というのは、日本企業が入居しているビルやスーパーマーケットなどへの投石が繰り返されているからです。
「不買運動」等も盛んに言われているようですが、もしこのような状況が長引くことで日本企業が撤退した場合、そこで働く中国の人たちも職を失ってしまうことになります。
もちろん、上海などのように年収1億円以上を稼ぎ出す裕福な層が、日本企業の後を引き継いで企業経営をするかも知れません。
そうすれば、現在中国国内が抱えている「経済格差」が益々広がり、その不満の矛先は中国政府に向きかねないかも知れません。

気になることがあります。
今回の件で、中国政府は「自発的なものであって、政府は責任が無い」と言っていることです。
日本で同様のことがもし起こったら、中国政府は「自発的なものだから、日本政府は責任が無い」と納得するのでしょうか?
この「反日運動」の背景にあるのは、「愛国心教育」の徹底だといわれています。
「愛国心教育」が悪いとは言いません。
世界的に見ても「愛国心教育」を実施している、国は少なくありません。
チベットやモンゴルなどの問題にいつまで知らない顔をするのですか?
「文化大革命」についても「愛国心教育」の一環として、教えていますか?
自国の汚点となる問題や歴史は、教えないというのは「都合の良い愛国心教育」と言われても仕方ないのでは?

今回の反日運動のひとつの理由が「日本の常任理事国入り」ということなのですが、日本が常任理事国になったからといって、中国に何か不利益が発生するとは思えません。
どこか、今の中国は国全体に言いようも無い閉塞感が漂い、そのガス抜きとしての「反日運動」があるように感じられるのです。
中国は3年後に控えた北京オリンピックで、国際舞台への復活を考えています。
しかし、今の状態では・・・「世界の総ての人たちに最高のホスピタリティーを提供する」ということは、無理ではないでしょうか?
そんなネガティブな印象を、世界に与えしまいました。
過激な「反日運動」は、日本だけではなく他の国からの投資機会も減らす可能性が、あるように思うのです。
中国政府、中国の人たちは、そのことに気がついているのでしょうか?
経済的関係をよりよくするためにも、要求や批判ばかりするのではない考えが必要だと思います。

私たち日本人も「時の政府に都合の良い教育は、中国の問題だけではない」という意識をもつ時代が到来してきた。ということを忘れないようにしたいですね。




好きな映画に投資?-「知的財産」へ投資-

2005-04-10 10:04:40 | ビジネス
朝日新聞のWEB版asahi.comに映画の資金集めに「知的財産信託」 松竹が初の試みという記事がありました。
松竹は、以前にも「忍ーshinobu」という映画制作に当たって制作費を一般公募するという試みをしています。

ここ10年位すっかり映画にはご無沙汰状態ですが、テレビCMなどで映画の宣伝を見るたびに「凄い製作費用が掛かっているんだな~」と思います。
特にハリウッド映画は、「いくら使っているの?」と思うくらい数十億円というお金がかかっていそうな映画ばかり。
70年以上前に製作された「イントレランス」「メトロポリス」「ナポレオン」といった映画は、映画会社を(経営的に)傾けた映画として有名ですね。
それに対して、日本映画は費用的に厳しい映画制作を強いられているといわれていました。
「となりのトトロ」や「動くハウルの城」等でおなじみの「スタジオ・ジブリ」の作品は、徳間書店と日本テレビなどが主な出資者となって作品をつくって来ました。
徳間書店は、関連書籍の発刊だけではなく日本テレビと一緒になってDVDなどの版権を得ることができます。
日本テレビは、テレビでの独占放送が可能となります。
そうやって制作費を捻出しているというのが、日本映画の現状なのでしょう。

ハリウッド映画などは、製作時にファンドを立ち上げ広く映画制作費を集めるということがされています。
アメリカのお金持ちの中には、絵画などのパトロン的出資者がいるので、そのようなことが可能なだといわれてきました。
イギリスのロックスター・デビット・ボーイは、新作アルバムを製作するにあたり株式会社を作り、投資を募りました。
以前から、海外ではアーティスト自身が自分のレーベル(製作会社)を持つことはありました。
理由は、自分のやりたい音楽について、既存のレコード会社から口出しさせないためでした。
それが、逆に制作費などの負担が膨大になり、株式化という試みがされたということのようです。

しかし、日本の社会ではこのようなことは初めての試みです。
脚本を読み、出演する俳優さんのリストを見て、投資に値する映画なのか?という判断を一般投資家がしなくてはいけません。
一般投資家からすると、大幅にリスクを伴う投資でしょう。
映画に対して強い思いを持っている人でなければ、二の足を踏む投資です。

「好きな映画に投資をする」・・・というのは、映画ファンにとっては憧れかも知れません。
これからは、株価だけではなく映画など「遊びの教養とトレンドを読む力」が、一般投資家にも必要になってくるのでしょうか?




がんばれ!AMラジオ

2005-04-08 12:13:29 | ライフスタイル
昨日の「ホリエモン考2」に「大西宏のマーケティング・エッセンス」からトラックバックを頂きました。
まさか、ライブドアの「ビジネス・マーケティング」の部門でランキング1・2位を争う大西さんからトラックバックをいただけるとは!?!重ねてありがとうございます。
そして、よくコメントを下さるsabuさん、いつもありがとうございます。

今日の中日新聞の社会面の下に、CBCラジオの新番組の案内広告(キー局はTBSラジオ)がありました。
日曜日の朝、わずか10分程度の番組ですが、パーソナリティーを務めるのが落合恵子さん。
落合さんの名前を聞いて「懐かしい~」と思われた方は、40代後半以上の方でしょうね。
今から30年以上前、文化放送のアナウンサーをしていて、圧倒的な人気パーソナリティーとして活躍されていましたから。

今の30代前半以下の方々からは想像できないかも知れませんが、当時のAMラジオ番組というのは物凄いパワーを持っていました。
「若者文化は、AMラジオの深夜放送から生まれる」といわれていたほどです。
その中でも、ニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」・文化放送「セイ・ヤング」TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」は、その中心でした。
そういう私も、毎週金曜日の「パック・イン・ミュージック」(=通称「金パ」)のリスナーでした。

先日、ライブドアの熊谷副社長の「AMラジオなんて聞かないよ。音質が悪いし・・・」というコメントが、テレビのニュース番組で流れました。
確かにAMラジオは、FMに比べ音質が悪いのです。
その代わり、なぜか東京の放送が鳥取の田舎でも聞けてしまえるのです。
もちろん、雑音まみれですが。
お陰で中高校生だった私は、TBSラジオやラジオ日本の「オールアメリカンTOP40」、米軍の横田基地から放送される「FEN(当時)」が思う存分聞けたのです。
それに、当時はFM局そのものが少なくNHK以外では東京・名古屋・大阪くらいしかありませんでした。
お行儀の良い音楽を聴くだけならFMでも何とかなるのですが、「最新のロックやポピュラー音楽」をチェックするためには、AM局の方が圧倒的にオンエアー等が早かったのです。

それだけではなく、「ある種の自由さとリスナー同士の連帯感」というモノがありました。
「人のぬくもりと気持ちが伝わる」そんな存在だったように思います。
現在のFM番組でも、当時のAM番組のような雰囲気のモノはありますが、やはり「息づかい」等が違うのです。
そして「言葉」がとても大切にされていたように思います。
時代が変化し、パーソナリティーの「言葉」が乱暴になり、音楽主体のFMラジオへと人気が移り、AMラジオの魅力が伝わらなくなったのかも知れません。
それが、熊谷氏の発言にも繋がったのでしょう。

「言葉を使う」という点では、この春から新番組を持たれる落合恵子さんなどは、とても優しい人だったように感じていました。
だからこそ、あれだけの人気があったのでしょう。

お帰りなさい、落合恵子さん。
また、AM番組で会えたことを嬉しく思います。