◆日本最大級特科連隊、装備するFH-70は60門!
F-15の小松航空祭か、八尾の中方航空隊か、いろいろ悩みましたが、日本最大級の特科連隊が駐屯する第10特科連隊の豊川駐屯地へ行ってきました。
第10特科連隊は全国の師団特科連隊が全般支援大隊を廃止し、もしくは特科大隊を全廃し特科中隊基幹の特科隊へ改編する中、現在も60門のFH-70榴弾砲を装備する連隊として中部方面隊から全国へ抑止力を利かせています。このほか、第49普通科連隊、第6特科群、第10高射特科大隊と多くの部隊が駐屯しています。
整列した部隊を巡閲する第10特科連隊福元洋一一佐、隷下には五個特科大隊十二個中隊が配置されています。ただ、この壮観も今年度限りで、現在即応予備自衛官を基幹とする第四大隊は廃止されると考えられ、併せて第五大隊も廃止、第4特科連隊のように直掩火力大隊のみの三個大隊編制となるのでしょう。
観閲行進へ臨む第49普通科連隊の軽装甲機動車、即応予備自衛官を主体とするコア化連隊で、連隊本部は、ここ豊川駐屯地へ置かれていますが、即応予備自衛官の訓練は第10師団管区に加え第3師団管区の一部でも行われており、分散しての訓練をおこなっているもよう。
重迫撃砲チュ隊の120mm重迫撃砲、中部方面隊には、このほかの即応予備自衛官の普通科隊員は元第13旅団隷下の現中部方面混成団第47普通科連隊が実施、この第49普通科連隊も年度末へ中部方面混成団へ移管されるとのこと、つまり即応予備自衛官主体の普通科連隊は中部方面混成団へ統合されることとなります。
第10特科連隊情報中隊。全国の特科部隊が大きく削減されつつも特科大隊へ縮小されない背景には、特科部隊には陣地構築への施設作業部隊を含め本部管理中隊が必要であるほか、写真の情報中隊のように対砲レーダ装置や気象測定装置などが装備されていなければ現代砲兵戦を実施できず、火砲を保有する意味が無くなるから。
他方、特科連隊編成が第10特科連隊の場合維持されるとみられていますが、一部師団では特科隊へ縮小されています。普通科連隊戦闘団編成に際し、特科大隊を充当することはできませんが、特科中隊ならば充当出来る、という話です。しかし、あまり細かくしてしまうよりは、普通科連隊の重迫撃砲中隊に情報小隊を置き、その分特科隊は全般火力支援に充てるべきでは、と思ったりもします。
直掩火力とは、その昔105mm榴弾砲が装備された特科大隊により普通科連隊の支援と敵迫撃砲の制圧を任務として二個特科中隊基幹の特科大隊で実施されていました。対して全般火力支援は対砲兵戦と長距離火力支援へ155mm榴弾砲の四個特科中隊基幹の第五大隊が実施していました。
現在は榴弾砲の155mmへの統合という趨勢に応じ、全ての部隊が155mm榴弾砲を装備していますので、全般支援と直掩火力の意味合いは薄れましたが、対砲レーダ装置などの支援を受けるという意味で、師団長が最後の火力を展開できるという第五大隊の意味は小さくは無いのでは、と考えるもの。
この特科連隊が大きく削減されるのは非常に残念で、コンパクト化という意味にて火力戦闘車の開発が開始されましたが、運用自体も、普通科連隊は重迫撃砲中隊に門数以外の観測小隊や小型対迫レーダを装備する情報小隊などを新編し、その分特科連隊は師団長最後の手札、として維持されるべきなのでは、とも。
第10高射特科大隊、本部管理中隊情報小隊の対空レーダ装置と低空レーダ装置、これらの情報を師団対空戦闘情報システムへ送り、これをもとに対空戦闘を展開すると共に防空警戒情報を師団各部隊へ送ります。レーダー情報が無ければ対空戦闘は実施できません。
第1中隊の93式近距離地対空誘導弾、小隊ごとに必要に応じ連隊戦闘団へ配置させ、近接防空に当たります。上記の対空戦闘情報と自動連動しているため、その射程内に接近した目標へ即座に対処することが可能、乗員は車両から離れ遠隔操作し対処もできます。
第2中隊の81式短距離地対空誘導弾C,このC型は従来型よりも射程が延伸されています。レーダーを搭載した射撃統制車両に四連装発射装置を2両がセットとなり、師団後方策源地や火砲拠点などの防空を担います。4セットが配備されており、これも第二次大戦中に空からの攻撃に悩まされた反省からの装備ですが、二個中隊の防空能力はかなりのもの。
第6施設群、大久保駐屯地第4施設団の隷下部隊です。装甲ドーザや地雷原処理車など、本来師団施設大隊に装備すべきものを集中装備していますが、これは装備の更新への問題と共に、師団施設大隊の連隊戦闘団への組み込みに際しての編成の難しさもあるのでしょう、必要に応じ師団を支援します。
G-12はここまで、流石に観閲行進に続いて実施された訓練展示はG-12で追随できるものではありません、発砲焔が映っていまして頑張ってくれましたが、やはりEOS-7DとEOS-50Dの独壇場です。こうしたかたちで、豊川駐屯地へ行ってまいりましたので、第一報として掲載しました。
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